Birmingham Sunday


Words & Music by Richard Farina.*1
Based on the melodies of Scottish traditional tune,
"I Once Loved A Lass," and "The False Bride".
(1964年発表)



(原題直訳 「バーミンガムの日曜日」)*2


From Richard Farina and others album, "Singer Songwriter Project".*3
名作アルバム度 ☆☆

(リチャード・ファリーニャ)


Also you can listen to Joan Baez album, "Joan Baez / 5".*4
名作アルバム度 ☆☆☆☆☆

ジョーン・バエズ第5集」 (ジョーン・バエズ



Also you can listen to the box set compilation,
"The Best Of Broadside 1962-1988: Anthems Of The American Underground From The Pages Of Broadside Magazine".
推奨アルバム度 ☆☆☆☆

(リチャード・ファリーニャ他、多数)*5



And You can listen to Tom Paxton and Anne Hills album,
"Under American Skies".*6
名作アルバム度 ☆☆

(トム・パクストン&アン・ヒルズ)




歌詞は、次のURLから
http://www.english.uiuc.edu/maps/poets/m_r/randall/birmingham.htm



名曲度 ☆☆




邦題 「バーミンガムの日曜日」 (リチャード・ファリーニャ)








Come round by my side
ぼくのそばにおいで、
And I'll sing you a song.
そしたら、きみたちに歌を歌ってあげよう
I'll sing it so softly,
ぼくはこれをひどく静かに歌ってみよう
It'll do no one wrong.
誰にも間違いをすることはないだろう
On Birmingham Sunday the blood ran like wine,
バーミンガムの日曜日*7、血がワインのごとく流れたのだ
And the choirs kept singing of Freedom.
そして聖歌隊はいつもずっと自由を歌いつづけていたのだ*8




That cold autumn morning no eyes saw the sun,
あの寒い秋の朝にお日様を仰いだ瞳はひとつもなかった
And Addie Mae Collins, her number was one.
そして、エィディー・メイ・コリンズ、彼女の番号が1番だった*9
At an old Baptist church there was no need to run.
古ぼけたバプティスト教会*10で逃げる間もなしの出来事だった
And the choirs kept singing of Freedom,
そして、聖歌隊はいつもずっと自由を歌っていたのだった




The clouds they were grey and the autumn winds blew,
雲が出ていた、灰色の雲が、そして秋の風が吹いていた
And Denise McNair brought the number to two.
そして、デニーズ・マックネアが2番という番号になった
The falcon of death was a creature they knew,
彼らは死というハヤブサなる被造物を知ったのだ
And the choirs kept singing of Freedom,
そして、聖歌隊はいつも自由を歌っていたのだ




The church it was crowded, but no one could see
教会は混雑していた、だが、誰にもわからなかった
That Cynthia Wesley's dark number was three.
あのシンシア・ウェズリーの暗い番号が3番となったのを
Her prayers and her feelings would shame you and me.
彼女の祈りと彼女の気持ちがきみたちやぼくを恥じ入らせる
And the choirs kept singing of Freedom.
そう、聖歌隊はいつも自由を歌っていた




Young Carol Robertson entered the door
若きキャロル・ロバートソンが玄関から入って来た
And the number her killers had given was four.
そして、彼女を殺した者が与えた番号は4番だった
She asked for a blessing but asked for no more,
彼女は祝福を願ったがそれ以上のものは何も求めやしなかった
And the choirs kept singing of Freedom.
そして、聖歌隊はずっと自由を歌いつづけていたのだ




On Birmingham Sunday a noise shook the ground.
バーミンガムの日曜日、大地は轟音に震撼した
And people all over the earth turned around.
そして地上のいたるところの人々が振り向いた
For no one recalled a more cowardly sound.
だって、あれ以上に卑劣な響きを思い浮かべられる者などいるものか
And the choirs kept singing of Freedom.
そして、聖歌隊はつねに自由を歌っていたのだ




The men in the forest they once asked of me,
森の中の男たちにぼくは一度、訊かれたことがある
How many black berries grew in the Blue Sea.
青い海の中でどれだけの黒苺が実るだろうかと
And I asked them right with a tear in my eye.
そして、ぼくは目に涙を浮かべて彼らに訊いた
How many dark ships in the forest?
森の中にはどれだけの暗い船があるのか? と




The Sunday has come and the Sunday has gone.
日曜日は来て、日曜日は去っていく
And I can't do much more than to sing you a song.
そして、ぼくには
きみたちに歌を歌う以上のことはたいしてできやしないのだ
I'll sing it so softly, it'll do no one wrong.
ぼくはこれをとても穏やかに歌ってみよう
誰にも間違いを犯すことはないだろう
And the choirs keep singing of Freedom.
そう、聖歌隊はつねに自由を歌っていたのだ







Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞





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【A Year Ago−Go!】



(1年前のエントリーを Playback♪)


1年まえもしっかり南部の小さな町の歌を歌っていましたよー。


・「タバコロード」 (ナッシュヴィルティーンズ)

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050421

*1:本当は(最後の)「a」の上に「〜」の記号があるのが正しい表記となり(「ファリーニャ」と読み)ます。そうです、お察しのとおり、ええ、わたくし komasafarina の farina ですnya。

*2:バーミンガムアメリカの南部、アラバマ州工業都市。この歌に歌われた出来事については、(全文英文ながら)次のURLを参照されるとよろしいでしょう。http://www.english.uiuc.edu/maps/poets/m_r/randall/birmingham.htm

*3:シンガー・ソングライター」という言葉が広く流通するようになるのは1960年代の末から1970年代のはじめにかけてだが、1965年7月にリチャード・ファリーニャ、デイヴィッド・コーエン、パトリック・スカイ、ブルース・マードックの4人の作品を3曲づつ集めて、当時、まだ新興のエレクトラ・レコードから発売されたオムニバスの企画盤。エレクトラの若き社長でプロデューサー、ディレクターを務めたポール・ロスチャイルドヴァンガード・レコードでA&Rマンやプロデューサーをしてきた人で、同じ時期にやはりエレクトラから白人のロックやフォークのミュージシャンによるブルースのオムニバス企画アルバム「What's Shakin'」を出すなど、意欲的なところを見せている。この意欲は、ほどなくしてジム・モリソンのドアーズの発見につながり、エレクトラは一時期、新しい時代にふさわしい新興レーベルとして隆盛のひとときをきわめることになる(が、その物語はいずれまたどこかでネ。I've Got Lots To Tell Ya.)。

*4:1964年のニューポート・フォーク・フェスティヴァルでジョーン・バエズがこの歌を自分のステージで発表。その年の新作アルバムにも収録して、大いにこの曲を有名にした。映画「ドゥー・ザ・ライト・シング」や「シーズ・ガッタ・ハヴ・イットなどで知られるスパイク・リー監督がこの事件を描いたドキュメタリー映画「4 Little Girls」の冒頭にもバエズが歌うこの歌が流れている。なお、作者のリチャード・ファリーニャとバエズの妹ミミが結婚していたため、ジョーン・バエズとファリーニャは義姉弟の関係だった。(だった、というのは40年まえの4月30日にファリーニャはオートバイの事故で亡くなっているからだ。彼の唯一の小説(となった)「Been Down So Long It Looks Lile Up To Me」の出版記念パーティの帰路のことだった。

*5:高田渡や5つの赤い風船などのフォーク系のレコードを出していた日本のURCレーベルがお手本にしたのが、おそらく、このブロードサイド・レーベルだろう。「ブロードサイド」というフォーク・シーンのニューズレター的な雑誌で、雑誌というよりも、むしろフォークソング・ムーヴメントの機関誌的な存在価値を持っていた。毎号、そのときどきのフォーク・シーンの情報や時事的な話題を歌にしたトピカル・ソングやプロテスト・ソングを中心にした非商業的な若いフォークシンガーたちの自作曲の楽譜が掲載され、レコード契約のないそれらの若く無名なシンガーたちの新曲が次々にレコーディングされ、独自の経路で流通で販売されていた。ボブ・ディランやフィル・オクス、のちにはジャニス・イアンなどもこの「ブロードサイド」の出身者だ.

*6:事件から34年を経て、当時、起訴されることのなかった共犯者2名の有罪が確定し、2001年に発売されたこのアルバムではトム・パクストンとアン・ヒルズによって新たに録音された「バーミンガム・サンデー」が収録されている。

*7:それは1963年9月15日の日曜日、アラバマ州工業都市バーミンガムにあるアフリカ系アメリカ人たちが集まるとあるで起きた忌まわしき出来事だった。

*8:日曜学校の礼拝を終えた14歳の少女3人と11歳の少女1人が、つづく日曜日の一般礼拝に備えて教会の路面下の部屋で聖歌隊のローブ姿に着替えようとしていたところに爆発物が投げ込まれたのだ。少女たち4人が即死。他にも20人からの負傷者が出た。いずれも黒人ばかりの死傷者だった。地元のKKK団の一員で「ダイナマイト・ボブ」の異名をとるロバート・エドワード・シャンブリスという59歳のトラック運転手がその実行犯だったが、一時期、彼が市の職員として雇われていたことや、事件に関与した者の中には保安官の配下に連なる者などもあり、事件の背後関係などもさまざまに取り沙汰されたが、捜査にあたったFBIと地元の警察・検察との間で頑迷な縄張り意識からくる張り合いがあり、現場で収拾された重要な証拠品やその他の多くの捜査記録などが隠匿されるなどして、起訴は難航し、1977年になってようやく唯一起訴された実行犯のシャンブリスのみの有罪が確定し、終身刑に処せられた。シャンブリスはその後、1985年に81歳で獄死している。

*9:発見された遺体につけられた番号だろうか。

*10:バーミンガムの16丁目に位置する地元のアフリカ系黒人たちが集まる洗礼派教会で、地元の白人社会からは、当時、この教会は激しい高まりを見せていた(市民としての白人なみの権利を黒人にも付与しようという)公民権運動のこの地区のひとつの拠点のように目されており、実際,デモなどもこの教会の周囲で行われるなどしていたという。