I'm A Woman

Words & Music by Jerry Leiber and Mike Stoller.
(1965年発表) *1






(原題直訳 「わたしは女」)







歌詞は、次のURLから、
http://www.lyrics007.com/Maria%20Muldaur%20Lyrics/I%27m%20A%20Woman%20Lyrics.html





From the Jim Kweskin & The Jug Band album, "Jag Band Music". *2


名作アルバム度 ☆☆☆☆☆


「ジャグ・バンド・ミュージック」 (ジム・クウェスキン&ザ・ジャグ・バンド)






Also on their live track from the omnibus live album,,
"Newport Folk Festival 1964 Evening Concerts Vol.1". *3


名作アルバム度 ☆☆☆☆



「ニューポート・フォーク・フェスティヴァル1964 イヴニング・コンサート」
ピート・シーガー、フィル・オクス、バフィー・セイント・マリーほか)






Also on the Maria Maulder album, "Waitress In A Donut Shop".


名作アルバム度 ☆☆☆☆



「ドーナッツ・ショップのウェイトレス」 (マリア・マルダー)






名曲度 ☆☆





邦題「アイム・ア・ウーマン」 (ジム・クウェスキン&ザ・ジャグ・バンド) *4







Well, well, well,
ねえ、ねえ、ねえ、
I can wash out forty-four pairs of socks
あたしは一度に44足もの靴下を洗って
And have them hangin' out on the line
それを一列に吊り干しちゃえるのよ
You know I can starch and iron two dozen shirts
わかる、あたしって24枚ものシャツにスターチして
アイロンだってかけちゃえるのよ
Before you can count from one to nine
あなたが 1から9まで数え終わらないうちによ
Well, I can scoop up a great big dipper
いーい、あたしはすっごく大きな柄杓で
Full of lard from the drippin's can
油入れの缶に貯めたラードをたっぷり すくいとって
Throw it in the skillet,
それをフライパンに放り込んで
Do my Shopping and be back before it melts in the pan
フライパンの上でそれが溶けきらないうちに
お買い物をすませて来ちゃうことができるのよ
'Cause I'm a woman
だって、あたしは女ですからね
W - O - M - A - N
W(ダブリュ)、O(オー)、M(エム)、A(エー)、N(エヌ)
Let me tell you again
もう一度、言わせてもらうわよ
I'm a woman
わたしは女
W - O - M - A - N
W(ダブリュ)、O(オー)、M(エム)、A(エー)、N(エヌ)よ




Well, I can rub and scrub
ねーえ、あたしはゴシゴシ こすったり、磨いたりして
Till this old house is shinin like a dime
この古ぼけたおうちを10セント玉みたいに光らせちゃうわ
Feed the baby, grease the car and
赤ちゃんにご飯をあげて、車を磨いて、それから
Powder my face at the same time
同時に自分の顔にもおしろい塗って
You know I could get all dressed up,
いーい、あたし、ちゃんと着飾って
Go out and swing till four a.m. and then
お出かけするのよ、
それで朝の4時まで楽しくゴキゲンにスイングするの、
そして、それから
Lay down at five, jump up at six
5時に横になって、6時にとび起きて
And start all over again
それでまた全部をしっかりやりはじめるの
'Cause I'm a woman
なぜって、あたしは女なんだもん
W - O - M - A - N
W(ダブリュ)、O(オー)、M(エム)、A(エー)、N(エヌ)
Let me tell you again
もう一度、言うわね
I'm a woman
あたしは女
W - O - M - A - N
W(ダブリュ)、O(オー)、M(エム)、A(エー)、N(エヌ)ってわけ




Well if you come to me sickly, you know
ねーえ、もしも、あなたが具合を悪くして
あたしのところにやって来るなら、わかるわよね
I'm gonna make you well
あたしは、あなたをよくしてあげるわ
Well, if you come to me hexed up,
ねーえ、もしも、あなたが呪いにかけられて
あたしのとこにやって来るなら
You know I'm gonna break the spell
わかってるわよね、あたしはその呪いを解いてあげるわ
Well, if you come to me hungry,
そうねえ、あなたが、もしも、お腹を空かせて
あたしのところへやって来るなら
You know I'm gonna fill you full o' grits
わかるわよね、
あたしはあなたを挽き割りのトウモロコシで満腹にしてあげるわ
If it's lovin' you're lackin, I'll kiss you
あなたに足りないものが、もしも愛情だっていうのなら、
あたしはあなたにキスしてあげるわ
And give you the shiverin fits
それで、あなたが震えちゃうほどゾクゾクさせてあげるから
'Cause I'm a woman
だって、あたしは女なんだもん
W - O - M - A - N
W(ダブリュ)、O(オー)、M(エム)、A(エー)、N(エヌ)
Let me tell you again
もう一度、あたしに言わせてね
I'm a woman
あたしは女
W - O - M - A - N
W(ダブリュ)、O(オー)、M(エム)、A(エー)、N(エヌ)なの





C'mon, Mel ! *5
カモン、メル!




Well, I can stretch a greenback dollar bill
ねえ、あたしは1ドル紙幣を長々と大事に使うことができるのよ
From here to kingdom come
現世から来世までね
I can play the numbers, pay my bills
ナンバーズ籤だって、あたしはいけるし、
いろんな請求書の支払いもして
And still end up with some
それでもいくらか残せるのよ
I got a twenty dollar gold piece says
あたしに20ドルもの黄金があれば、そうよ
There ain't nothin I can't do
あたしには できないことなんて何ひとつありはしないわ
I can make a dress out of a feed bag
飼葉袋からドレスを仕立て上げることが、あたしにはできるし
And I can make a man out of you
それに、あなたを男にしてあげることもできるのよ
'Cause I'm a woman
だって、あたしは女なんだもん
W - O - M - A - N
W(ダブリュ)、O(オー)、M(エム)、A(エー)、N(エヌ)
Let me tell you again
あたし、もう一度、言っとくわね
I'm a woman
わたしは女
W - O - M - A - N
W(ダブリュ)、O(オー)、M(エム)、A(エー)、N(エヌ)
And that's all
以上、そういうことォ!









Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞 072209










∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮







きょうのこの歌「アイム・ア・ウーマン」のジム・クェスキン&ザ・ジャグバンドは、マサチューセッツ州ケンブリッジから出て来たグループで、いろんなものを読んだりすると、当時としてはのちのロックが到達するようなひじょうに高い意識を持ったグループだったような印象がある。アメリカの音楽の歴史にこの時期のケンブリッジのフォーク・シーンが結果的に果たすことになった役割にはけっして無視のできない重要なものがある。
このケンブリッジについて、むかし、ある週刊誌の「ぷりんと配線」という(毎回、いろんなヒトがいろんなことを勝手に書くという)コラムに寄せた文章があるので、ここに採録して載せておきますね。






 アメリカのマサチューセッツ州ケンブリッジという町がある。ハーバード大学マサチューセッツ工科大学といった超一流のエリート校があり、アカデミックな香りのするいかにも東部の学生の町らしいムードで知られている。
 このケンブリッジの町が、その印象とは裏腹に、いわゆる1960年代のカウンター・カルチャーの展開に欠くことのできない下地をかたちづくる重要な役割を果たしたことは、少々意外な感じがしないでもない。すなわち白人によるブルースの再発見を含むアメリカン・フォーク・ミュージックの再生の動きだ。ジョーン・バエズを生み、ボブ・ディランを世に送り出し、後に公民権運動やベトナム反戦運動と呼応したかたちで繰り広げられることになる幾多のプロテスト・ソングを生み出したアメリカの民衆音楽再生の動きだ。その拠点となったのが、1950年代後半から60年代初頭にかけてのケンブリッジだった。主役はもちろん学生たち。
 1950年代後半のアメリカは、アイゼンハワーの時代である。壮大なアメリカの夢は、もはや文字通りの夢物語となって遠のき、ひたすら勉強して中身のある安定した仕事に就き、社会の責任ある一員になることが何よりだといった風潮がしっかりと定着していた時代だった。アメリカの民衆音楽の再生の動きを推し進めた学生たち、ケンブリッジのミュージック・シーンを担った学生たちは、そうした時代の雰囲気の中、アメリカ各地からディプロマを得るべく、ケンブリッジやボストンにやって来た若者たちだ。
 当時のケンブリッジには、他にラドクリフ大、ブランダイス大があり、ボストンにはボストン大、ノースイースタン大、エマソン・カレッジをはじめ7つ以上のキャンパスがあった。だが、町には「場」=状況(ルビ:シーン)がなく、また音楽もなかった。強いて状況と呼べるものがあったとすれば、それは各校のスクールカラーであり、ダンス・パーティであり、スポーツの対抗試合だった。それに飽き足らない連中はコーヒー・ハウスにたむろすることになる。
 そんなケンブリッジの町に新たに1軒のコーヒー・ハウスがオープンする。オーナーはブランダイス大を卒業した2人の女の子。彼女たちは店を1920年代のパリの雰囲気を真似たヨーロピアン調に造り上げ、詩の朗読、現代美術館の貸し出しリストからセレクトしてきた映画の上映やクール・ジャズのライブ演奏といったプログラムを組む。開店当初は、ラドクリフの女子大生を使った売春組織ではないかと噂されたりもしたが、すぐにこの店は「クラブ47」としてケンブリッジのフォーク・シーンの先駆的拠点となる。ブルーグラス、バラード、ブルース・・・・。ギター少年たちはアパートから町に出て、お互いに知り合い、テクニックを教え合い、グループを結成し、演奏活動をスタートさせる。
 やがて、いくつものコーヒー・ハウスが誕生し、マイナー・レーベルやローカル・ステーションとともにケンブリッジにフォーク・シーンを展開する。従来の左翼系のフォーク・ソングとの連携も生まれ、いくつものワークショップを持ったニューポート・フォーク・フェスティヴァルにも参加。ニューヨーク、シカゴ、バークレー、ロンドン、パリとそのネットワークは広がっていく。てっきり死んだものと思っていたカントリー・ブルースのシンガーたちが実は生きているのだという噂を聞くと、クルマを飛ばしてはるばる南部に足を踏み入れる。*6
 ケンブリッジのフォーク・シーンからは、音楽を介したいくつもの冒険がはじまったほかにも、ライフスタイルの上でも、それまでアメリカの学生たちにはけっして身近なものではなかったアストロジーマクロバイオティック、禅、ヨーガ、メディテーションなど遠く古代や東洋の叡智への関心が育まれていくようになった。*7 それはケネディ以前のアメリカ(したがって、時代がまだビートルズを聴く以前のアメリカ)の各地のキャンパスの周辺に静かに、そしてホットに息づいていた状況(ルビ:シーン)だった。










∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮









【Years Ago−Go!】







(1年前のエントリーを Playback♪)





★アルバム「ベルリン」(ルー・リード)全曲訳(第3回)★



・「暗い感覚」 (ルー・リード

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20060520








(2年前のエントリーも Playback♪)





・「クロスロード・ブルース」 (ロバート・ジョンソン
・「ウォーキン・ブルース」 (ロバート・ジョンソン

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050520

*1:リーバー=ストーラーのコンビがよく書いていたノヴェルティ・ソング(日本の寄席や演芸の世界で言う いわゆる「イロモノ」に類するもので、ポピュラー・ミュージックの主流を外れたどこかコミカルな内容のものが多く、ごく初期のロックンロールが期せずしてこの方面から中央への侵入を果たしていったことは、わたしにはひじょうに興味深いものがある。)で、オリジナルは1962年のクリスティン・キトレルによるもので、そのモロ、ブルージーな唱法と旋律、サウンドに魅せられたのか、1963年にこれをペギー・リーが採り上げ、アルバムのタイトル・ソングにしたことで一躍、世に知られるようになり、サミー・デイヴィスJrがカウント・ベイシー楽団をバックにレコーディングしたりするなどしているが、ロックの世界では、ジム・クェスキン&ザ・ジャグ・バンドやその前身とも言えるイーヴン・ドーズン・ジャグ・バンドで紅一点のマリア・ダモ(のちのマリア・マルダー)が歌ってステージの人気曲としてアメリカのフォーク・シーンで広まり、のちに彼女もソロになってから1974年発表のアルバム第2作「Waitress In A Donut Shop」で新たに録音しなおして歌ってる。なお、オリジナルのクリスティン・キトレルのヴァージョンは、リーバー=ストーラーの作品を集めたコンピレーション・アルバム「The Leiber & Stoller Story Vol.2; On the Horizon 1956-1962」という作品集で聴くことができる。

*2:彼らのデビュー・アルバムであるこのジャケットの下段に見える文字列(写真参照)には(すべて大文字で)「Vanguard Recordings For The Connoisseur」とある、つまり「通のためのヴァンガード録音」ということで、この時期のヴァンガードは、ジョーン・バエズを最大のスターに多くのフォーク・シンガーやブルース・シンガーの名をそのカタログに連ねていた(たしかに(いわゆる) "通" のための)レーベルだったが、当時のフォークとかブルースを聴く若い白人たちにはそういうチョットお高い感じのスノビズムみたいなものがあったこともこのアルバムのコピーからもうかがえますね。もともとはクラシックのレーベルとして1950年にニューヨークで設立されたインディペンデント・レーベルで(この時期の「インディペンデント・レーベル」とは、独自の制作・流通を行うレーベルのことで、流通をメジャー・レーベルの既成の流通網に依存するレーベルは「マイナー・レーベル」とか「サブシダリー・レーベル(傘下のレーベル=子会社)」というかたちでしっかりと業界上の区別の基準がありました。)、その後、1953年からジョン・ハモンドの監修のもとにジャズに路線転換し、それがブルースからウィーヴァーズらのアメリカン・フォークソングへと拡大、傾斜していき、1960年代初めのフーテナニーやフォーク・リヴァイヴァルのブームに乗って盛況をきわめ、きょうのこのジム・クゥエスキンのジャグ・バンドのようなローカル・シーンでの人気グループも次々と紹介されるようになった。ところで、このアルバム、チャック・ベリーの「メンフィス」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20060419 なんかもジャグバンド風にやったりして、かなり わかってるイケてるヒップな楽しいアルバムですよー♪ 

*3:この年のニューポート・フォーク・フェスティヴァルだけでも全部で7枚のライヴ・アルバムが制作されているが、彼らが出演したのはモダン・フォークのアーチストたちによるイヴニング・コンサートのステージできょうのこの歌「アイム・ア・ウーマン」ほか全3曲が収録されている。

*4:歌っているのは、(のちにメンバーのジェフ・マドラーと結婚してマリア・マルダーとなる(のち離婚))マリア・ダモ。

*5:ヴォーカルのマリア・ダモ(のちのマリア・マルダー)のこの掛け声にグループのハモニカ奏者のメル・ライマンのブルージーハモニカ・ソロがつづく。

*6:実際、スキップ・ジェームズをはじめとする少なからぬブルースマンたちが彼らケンブリッジの学生たちの手で "発掘" され、その翌年からニューポート・フォーク・フェスティヴァルに招かれ、当時の白人たちのアメリカの現代との遭遇を果たすことになる。

*7:このあたりに先駆的に足を踏み入れていたのが、彼らよりも世代的にはひとつ上になる(アレン・ギンズバーグやゲイリー・スナイダー、ジャック・ケルアックといった)いわゆるビート・ジェネレーションと呼ばれた詩人や作家や文学者たちだった。また、きょうのジム・クェスキン&ザ・ジャグバンドで一番の人気者で奇人変人だったメル・ライマンは、その後、そちらの世界に深い入りして、一種の教祖のような存在となってカリフォルニアでヒッピーたちのスピリチュアルなコンミューンを主宰することにもなり、あのチャールズ・マンソンからも深い尊敬を得ていたとのことから、マンソンの事件の惨劇への関与も取り沙汰されるなどしたという。 マンソンの事件については(それを引き起こすきっかけとなったとされる)ビートルズの「ヘルター・スケルターhttp://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050614 の項を参照ください。