Good Time Music

Words & Music by John Sebastian.
(1966年発表)







(原題直訳 「佳き時代の音楽」)







歌詞は、次のURLから、
http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20070






From the Elektra Records compilation album, "What's Shakin' ". *1
(The Lovin' Spoonful)

名作アルバム度 ☆☆☆



「ホワッツ・シェイキン」 (ラヴィン・スプーンフル、ポール・バタフィールド・ブルース・バンド他)







名曲度 ☆☆






邦題「グッド・タイム・ミュージック」 (ラヴィン・スプーンフル









I've been listening to my radio for two or three years
2、3年ほど、ぼくは自分のラジオで聴いてるんだけど
And the music they've been playing is so doggone bad
でも、あいつらがかけてる音楽って、もう、どうしようもなくひどいものでさ
That it's offendin'to my ears
ぼくの耳がダメにされるぜ
But them kids come over from the Mersey river
だけど、遥かマージー河からのあのガキどもが *2
Made us think back till then
そのときになって、ぼくらに 思い出させてくれたんだ
So let's put on our shoes
だから、さあ、おれたち、自分たちの靴を履こうじゃないか
And think about the blues
そう、ブルースについて考えるんだ
And start all over again
そして、一から全部、やり直すんだ




With that Good Time Music
よき時代の音楽とともに
Like we played so long ago,
ぼくらがずっと昔にやっていたような
Wooh, don't you know, oh yeah
うーーん、みんなにもわかるよな、おゝ、そうだぜ
With that Good Time Music
あの佳き時代の音楽でな
Yes, it's back on the radio
そう、それがラジオに戻って来てるんだ




I don't want no cryin' violins
ぼくは咽び泣くようなヴァイオリンなんていらないよ
No sax, no slide trombones
サックスも、スライド式のトロンボーンも なくていい
I don't want no screaming ya-ya girls
ヤー、ヤーって喚きたてる女の子たちのコーラスも、ぼくにはいらない
And no honkin' English horns
それに、全然、いかさないイングリッシュ・ホルンなんかもなくていい
I don't want no symphony orchestra with the Mormon Tabernacle Choir
モルモン教礼拝堂合唱団なんかが付いた交響楽団も、ぼくにはいらない
All I want is a guitar, a harp and drum
ぼくが欲しいのは、ギターと、ハーモニカと、ドラム、それですべてさ
Just to set my soul on fire
とにかく、ぼくの魂に火をつけるにはね




With that Good Time Music
佳き時代の音楽で
Like we played so long ago,
ぼくたちがずっと昔に演奏してたみたいなやつさ
Wooh, don't you know, oh, yeah
うーーん、みんなだって知ってるだろ、あゝ、そうだぜ
With that Good Time Music
あの佳き時代の音楽
Yes, it's back on the radioがあれば
そう、あれがラジオに戻って来たのさ








Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞 070909










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【Years Ago−Go!】








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・「ラシアンズ」 (スティング)

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20060509








(2年前のエントリーも Playback♪)






・「若さをつかもう」 (デイヴ・クラーク・ファイヴ)

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050509

*1:ほどなくしてドアーズというロック史に燦然と輝くグループを登場させることになるポール・ロスチャイルドの新興レーベル、エレクトラが1966年に編纂・発売した企画モノのコンピレーション・アルバムで、ご存知のとおり、コンセプトは若い白人男性によるブルース・ミュージックということで、当時、エレクトラのもとに寄せられていたデモ・テープによって編まれたホワイト・ブルースのアンソロジーとなっている。トラックには、きょうのこの歌をはじめラヴィン・スプーンフルによるものが4曲(彼らのオリジナルである きょうのこの歌「グッド・タイム・ミュージック」のほかにチャック・ベリーの「オールモスト・グロウンhttp://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20070218、コースターズの「サーチン」といったロックンロールの名作、そして「on't Bank on it Baby」)、(すぐにエレクトラと正式契約を結ぶことになる)ポール・バタフィールド・ブルース・バンドによるものが5曲(「スプーンフル」、「オフ・ザ・ウォール」、「グッド・モーニング・リトル・スクールガール」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20070228#p3、「ラヴィング・カップ」「ワン・モア・マイル」)、アル・クーパー(「泣かずにはいられない」)とトム・ラッシュ()がそれぞれ1曲、さらにイギリスから(この翌年、それぞれクリームとトラフィックを結成することになる)(ジョン・メイオールのブルーズブレイカーズを脱退した後の時期の))エリック・クラプトンジャック・ブルースと(スペンサー・デイヴィス・グループ脱退前後の)スティーヴ・ウィンウッド(=スティーヴ・アンジェロという変名で参加も、あの声を聴けば誰でもそれがスティーヴィー・ウィンウッドだとわかってしまいますネw♪)をコアにしたグループ、パワーハウスによるものが3曲(「アイ・ウォント・トゥ・ノウ」「クロスロード」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050520#p1、「ステッピン・アウト」)と計14のトラックが並ぶこのアルバムだが、きょうのこの歌「グッド・タイム・ミュージック」はアルバムの冒頭に配されたジョン・セバスチャンのオリジナル・チューンで、この「ホワッツ・シェイキン」というアルバムのコンセプトをよく描き出したアルバム全体のテーマ・ソングというべき歌になっている。ポール・ロスチャイルドエレクトラ・レコードは、実は、この「ホワッツ・シェイキンン」よりも2年ほどまえの1964年6月にやはり若い白人ミュージシャンのブルース・ナンバーを集めた「ザ・ブルース・プロジェクト〜アーバン・ブルース・シーンにおける最優良必携集」(The Blues Project : A Compendium Of The Very Best On The Urban Blues Scene) というアルバムを出している。「ホワッツ・シェイキン」が(その選曲を見てもわかるように、どちらかというとブルースというよりも)ブルース・ロック色の強いエレクトリックなサウンドであるのと対照的に1964年のこちらのアルバムはニューヨークのグリニッチヴィレッジ界隈で黒人たちのルーツ・ミュージックに取り組む若い白人フォーク・シンガーたちによるカントリー・ブルース研究とその成果といったアルバムで(こちらはけっしてデモ・テープなどではなく、1963年に企画され、そのためにきちんとプロデュースされ、レコーディングされたもので)、ジャケットのフロント・カヴァーにプリントされたアーチストの名前としては、デイブ・ヴァン・ロンク、ジョン・コーナー、(ジム・クェスキン&ザ・ジャグバンドのメンバーで(やはり当時のメンバーだったマリア・マルダーの当時の夫の))ジェフ・マルダー、デイヴ・レイ、ダニー・カルブ、イアン・ブキャナン、マーク・スポールストラ、エリック・フォン・シュミット、さらには(フロント・カヴァーには名前の記載はないが)ジョン・セバスチャン(がいくつかのトラックでハモニカ奏者として参加している)といった(当時のヴィレッジやケンブリッジのシーンの)錚々たる顔ぶれで、ジャケットのエリック・ヴォン・シュミットによるすばらしい絵画が使われている。そして、1964年のこの「ブルース・プロジェクト」というオムニバス・アルバムと1966年の「ホワッツ・シェイキン」の間には、きょうのこの歌でも歌われている「マージー河からやって来たガキども」による新しいサウンドのその衝撃が実際の出来事として事件として起こっていたのだ。1964年のアルバムで巧みなアコースティック・ギターを聴かせていたダニー・カルブは、それを電気ギターに持ち替え、(実際にそのアルバムと同じタイトルの)ブルース・プロジェクトというグループを結成して活躍し、また、きょうのこの歌の作者であるジョン・セバスチャンも(この両方のアルバムに参加していたが)ラヴィン・スプーンフルで大ヒットを飛ばし、自らが歌ったとおりの変化を体験するのだった。

*2:つまり、イギリスのマージー河岸の港湾都市リヴァプールからビートルズをはじめとする(俗に言う)"マージー・ビート" のグループやその他のイギリス各地のグループがアメリカのヒット・チャートに続々と上陸して来て、(アメリカのポピュラー・ミュージック市場で俗に言う "ブリティッシュ・インヴェージョン" (英国人による侵略)という一大現象が巻き起こり、アメリカのポップ・ミュージックのシーンは、海の向こうからやって来る外国人であるイギリス人の演奏する音楽によってブルースやリズム&ブルース、ロックンロールといった自国アメリカのルーツ・ミュージックに連なるサウンドを耳にすることになった。それにいち早く適切な反応を示したアメリカのミュージシャンたちは、主にフォーク・ソングをやっていたミュージシャンたちだったが、彼らは1964年のビートルズの最初のアメリカ・ツアーの直撃を受けて、アコースティック・ギターをエレクトリック・ギターに持ち替え、髪を伸ばし、ドラマーやベーシストを募集し、バンドを組んだ・・・・・・。それがジム・マッグィンやデイヴィッド・クロスビーたちのバーズであり、きょうのこの歌の作者であるジョン・セバスチャンやザル・ヤノフスキーのラヴィンスプーンフルであり、ダニー・カルブや(イーヴン・ドーズン・ジャグ・バンドの)スティーヴ・カッツ(がプロのセッション・ミュージシャンだったアル・クーパーと組んだバンド)のブルース・プロジェクトであり、やがては、さらにジェリー・ガルシアらのグレートフルデッドとなり、グレース・スリックやヨーマ・コーコネンやジャック・キャサディ、ポール・カントナーらのジェファーソンエアプレーンとなっていく・・・・・、