Davey Moore

Words & Music by Phil Ochs.
(1963年発表)







(原題直訳 「デイヴィー・ムア」)







歌詞は、次のURLから、
http://web.cecs.pdx.edu/~trent/ochs/lyrics/davey-moore.html






From the Phil Ochs compilation album, "The Early Years". *1


推奨アルバム度 ☆☆☆☆☆ 



(フィル・オクス)より






名曲度 ☆






邦題「不明」 (フィル・オクス)









It was out to California young Davey Moore did go, *2
若きデイヴィー・ムーアが向かったのはカリフォルニアだった
To meet with Sugar Ramos and trade him blow for blow *3
シュガー・レイモスと対戦し、彼を相手にパンチとパンチの取引をするために
He left his home in Springfield,
彼はスプリングフィールドの家をあとにした
His wife and children five;
彼の妻と5人の子供を。
The spring was fast approaching,
春が急速に近づいてきていた
It was good to be alive.
生きているのは素晴らしいことだった
His wife, she begged and pleaded,
彼の妻は、彼女は乞うように願った
"You have to leave this game.
「あなたは、この試合をしてはいけないわ
Is it worth the bloodshed
血を流したりする価値はあるの?
And is it worth the pain?"
そう、痛い思いをしたりするそれだけの値打ちがあるの?」
But Davey could not hear above the cheering crowd
しかし、喝采を送る観衆をまえにデイヴィーには聞こえなかった
He was a champion,
彼はチャンピオンだった、
And champions are proud.
そう、チャンピオンたちは誇り高き者たちなのだ




Hang his gloves upon the wall, *4
壁にグローブを吊るして
Shine his trophies bright clear,
トロフィーをきれいにピカピカに磨き上げる
Another man will fall before we dry our tears
わたしたちの涙が渇かぬうちに
またひとりの男が倒れてしまうことだろう
For the fighters must destroy
なぜなら、戦士たちは叩き潰さねばならぬのだ
As the poets must sing,
詩人たちが歌うのと同様に。
As the hungry crowd must gather for the blood upon the ring.
飢えた群衆どもがリングの上に血を求めて群れ集う中で




And thousands gave a roar when Davey Moore walked in,
そして、デイヴィー・ムーアの入場に何千もの人間が沸き立った
Another man to beat, another purse to win
打ちのめすべき新たなる相手、勝ち取るべきさらなる賞金
And all along the ringside, a sight beyond compare
そしてリングサイドづたいに、比べようのない光景が
The money-chasing vultures were waiting for their share,
カネを追い求める禿鷹どもがおのれの分け前を待っている
He stood there in his corner and he waited for the bell;
彼は自分のコーナーに立つと、ゴングを待った
The signal of the struggle of two men facin' hell;
ふたりの男が地獄とツラ付き合わせる闘いの合図をだ
And when the bell was sounded, the blows began to rain,
そしてゴングが鳴り響き、パンチの雨が降りはじめた
And blows will lead to hate
そして、パンチは憎しみへとつながり
Hate drives men insane.
憎しみは男どもを狂わせる




Hang his gloves upon the wall,
壁にグローブを吊るして
Shine his trophies bright clear,
トロフィーをきれいにピカピカに磨き上げる
Another man will fall before we dry our tears
わたしたちの涙が渇かぬうちに
またひとりの男が倒れてしまうことだろう
For the fighters must destroy
なぜなら、戦士たちは叩き潰さねばならぬのだ
As the poets must sing,
詩人たちが歌うのと同様に。
As the hungry crowd must gather for the blood upon the ring.
飢えた群衆どもがリングの上に血を求めて群れ集う中で




The fists were flying fast and hard,
拳が飛び交っていた、素早く、そして激しく
The sweat was pouring down,
汗が したたり落ちていた
And Davey Moore grew weaker with ev'ry passin' round.
そしてデイヴィー・ムーアは、ラウンドごとに弱まっていった
His legs began to wobble and his arms began to strain,
彼の脚はふらつきはじめ、彼の腕は こわばりはじめた
He fell upon the canvas floor,
彼がキャンバスに崩れ落ち、
A fog around his brain.
彼の脳には霧が立ち込めた
At last the fight was over,
ついに戦いが終わり、
Young Davey fought no more,
若きデイビー・ムーアはもはや戦うことをしなかった
He lost the final battle behind a doctor's door.
彼は病室の扉の向こうで最後の戦いに敗れたのだ
And back at the arena, the screaming crowd is gone,
そしてアリーナに話を戻すと、歓声を上げる群衆は消えていた
And death is waiting ringside,
そしてリングサイドには死神が待ちかまえている
For the next fight to come on.
次なる闘いのはじまりを





Hang his gloves upon the wall,
壁にグローブを吊るして
Shine his trophies bright clear,
トロフィーをきれいにピカピカに磨き上げる
Another man will fall before we dry our tears
わたしたちの涙が渇かぬうちに
またひとりの男が倒れてしまうことだろう
For the fighters must destroy
なぜなら、戦士たちは叩き潰さねばならぬのだ
As the poets must sing,
詩人たちが歌うのと同様に。
As the hungry crowd must gather for the blood upon the ring.
飢えた群衆どもがリングの上に血を求めて群れ集う中で







Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞 012110










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いかがでしたか?
わたしの判定では大差でディランの勝ちですね。
おそらく、ディランもオクスもこの試合を見ていないだろう。
現地ではもちろん、TVの試合中継すらも見てはいないに違いない。
(見ていないほうにわたしは賭けるw。)
彼らが見たのは、おそらく繰り返しTVのニュースなどで流される映像だろう。
悲劇の後に再構成された映像とナレーションからなる報道映像を何度か見てるだけだろう。
(問題ありとされるような場面を、おそらくはスローモーションやストップモーションを駆使して、繰り返し映し出すような映像を)、
すなわち、彼らはこの試合をではなく、ニュースを見たのだ、
あるいは聞き、そして知ったのだ。
それもこの試合のニュースではなく、(試合の結果としての)ボクサーの死というニュースをだ。
そして、ふたりは歌を書いた。
ディランは、先に註として紹介したMCにあるとおり、
その出来事を自分の立場を逸脱することなく、新聞で読んだままに歌にした。
一方のオクスは、中世のバラード以来の歌の伝統に則して、
この出来事を歌にしている。
戦いや英雄は、バラードの題材としては古くから欠かせぬものと数えられる。
日本にも「講釈師、見てきたような嘘をつき」といった俗諺(=そくげん)があるが、
オクスの「デイヴィー・ムーア」もまたそうした(一種の「講談」とも言える)中世のバラードの伝統に連なるものと聴けるだろう。
(もちろん、ディランの歌もまた古来からの民謡という伝統に則したスタイルでつくられたものだ)
そして、現在のわたしたちからは、このオクスの「デイヴィー・ムーア」から なかなか聴き取りにくいのが、オクスがここで当時の世論として高まりを見せていたボクシング排斥論に与するかたちでひとつの感情の高まりを歌に(あるいはその歌の背景に)導入していることだ。
オクスのような知的で平和的で道徳的な人間には、
ボクシングのもつ暴力性、野蛮さ、また興行としての商魂のいかがわしさといったことがひときわ "悪しきもの" として、非難すべきものとして見えてしまうのだろう。
つまり、オクスはそんな自分に疑いを持たずに正義の歌を歌っている。
一方、ディランはというと、
彼は自分でよくわからないのだ。
さほど興味はないのかもしれない。
正直なのだろう。それがこの距離のとり方となってディランの歌「デビー・ムーアを殺したの誰?」になっている。
世の中の騒ぎを見て、ディランは自分にハッキリと見えてることだけを歌にしている。
みんながニュースとして知っている共通の題材に基づいて。
それが創作者の誠=実というもので、聴く者の魂にまでは触れることまではないとしても魂の方向へと向けて歌われる、力ある歌となっている。
オクスのそれは戯作としての力で感情、すなわちセンチメントという情感への強い訴求力は持ちはするだろう。そして、一般にそれがやがて(予定調和のようにして)魂へといたる(だろう、はずだ)という俗な目論見に与している。

アンソニー・スキャデュトのディランの伝記「ボブ・ディラン」(日本語版、二見書房=絶版)に伝えられる有名なエピソードのひとつに、
あるとき、ディランとオクスがクルマに同乗していて口論になり、
ディランがオクスを「おまえ、降りろ、すぐ、ここで降りろ」と一方的にクルマから降ろしてしまったという話があるが、
デイヴィー・ムアをめぐる両者のこのふたつの歌を念頭にその逸話を思い出してみると、オクスに対するディランの苛立ちというものがよくわかるような気持ちになる。
おそらくディランはオクスのことをずっとアタマの悪いバカだと思っていたのだろう。
そして話すたびにイライラしていたのだろう。*5
そしてオクスにはそんなディランのことはまるでわからなかったのではないか。
いきなりクルマを降ろされたオクスが、おそらくはただキョトンとしていたように、
フィル・オクスにはディランのことがまるでわからなかったのだろう。
そして、ディランは、おそらく、そんなオクスだけでなく、
自分の歌を支持し、喜んで喝采を浴びせるフォーク・ソングのファンたちにも同様の苛立ちを覚えていたのではないか。
ディランの正直(つまり彼が作り歌う彼の歌)が彼ら向けの歌ではなくなっていくことが自分でわかっていたのだろう。そして、それがディランのロックへの転向(フォーク・シーンへの裏切りw)となり、
一連の難解とされる錯綜としたまったく新しい歌の世界となっていたのではないか。 *6
そんなわたしの想像を説明し裏付けてくれるようなフレーズは、
ディランの歌にはこと欠くことはなく、
それこそゴロゴロ語ろ語ろロックしているのだ転がる石のようにッテカw。






あ、きょうの歌はどちらもニューヨークとは関係なかったですね。
試合がマディソン・スクェア・ガーデンででも行われていればよかったのですがw、*7
まあ、きょうのところは例外で、単にきのうのサイモン&ガーファンクルの「ボクサー」つながりだということで強引に割り込ませてしまいました。
まあ、ニューヨークで録音された歌だというのは(ひとつ弁護側の証拠申請としてw)ありますけどもw。









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【Years Ago−Go!】







(1年前のエントリーを Playback♪)





・「メアリーの小羊」 (ウィングズ)
・「メリーさんの羊」 (童謡)
・「ラヴリー・リンダ」 (ポール・マッカートニー


http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20061020/







(2年前のエントリーも Playback♪)




・「スモーキー・ファクトリー・ブルース」 (ステッペンウルフ)

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20051020



*1:2000年に初めてリリースされたヴァンガード時代のオクスの未発表曲を含むコンピレーションで、1964年に発表されたフォークのオムニバス・アルバム「The Original New Folks Vol.2」に収録された5曲とその際に収録から外れた(きょうのこの歌を含む)2曲、さらにオクスの過去のニューポート・フォーク・フェスティヴァル(1963年、64年、66年)のステージからのライヴ録音を集めた12曲が(PPMの)ピーター・ヤーローの紹介アナウンスとともに収録されている。なお、このアルバムからは(のちに彼の代表作とされるようになる)「フォーチュン」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050524 がすでにここで紹介されていますので、よろしければどうぞ♪

*2:1963年3月21日、カリフォルニア州ロサンジェルスドジャーズ・スタジアムでは、このデイヴィー・ムア対シュガー・レイモスの世界フェザー級タイトルマッチ(というのは日本語英語なのでw、フェザーウィト・ワールドチャンピオンシップ・バウト)のほかにも、世界ジュニア・ウェルター級と世界ウェルター級のトリプル・タイトルマッチというボクシング界のビッグ・イヴェントが行われたのでした。(結果は、いずれも不利と見られた挑戦者がタイトルを奪うという大番狂わせの夜だったという。また、この晩、タイトルを失ったウェルター級王者のエミール・グリフィスは1年前の1962年3月24日にベニー・パレットを12ラウンドTKOで倒してチャンピオンになったボクサーだったが、その試合でパレットは帰らぬ人となっている。)

*3:シュガー・ラモスは、アマチュアで74戦全勝というキャリアを引っさげてプロに転向したキューバ人ボクサーで、転向後、メキシコに亡命してプロとして戦いながら、その12戦目にはホセ・ブランコというボクサーを8ラウンドKOで倒し、帰らぬ人とする強打の持ち主として「ウルチミノ」(英語の「ultimate」に当たるスペイン語(=究極の))という異名で恐れられていた。なお、きょうのこの歌に歌われたこのデイヴィー・ムーアとの試合でチャンピオンになったラモスは、1964年2月に来日し、東京で関光徳(新和)の挑戦を6ラウンドTKOに退け、2度目の防衛に成功している。このとき関のセコンドにはムアのトレーナーだった人物が関陣営に雇われてセコンドに入り、ラモス側への神経戦を図ったが、試合は一方的なものとなり、6ラウンド、乱打にさらされる関を見て、そのトレーナー自身が(タオルがわりに)リングに入り、試合を止めたことが「殺人パンチャーの来日」に沸き立ったこの試合の結末として報じられている。

*4:「壁にグローブを吊るす」のは、ボクサーにおける引退を意味する象徴的な表現で、つづくトロフィーにまるわるくだりは引退後の栄誉ある暮らしを意味していることはおわかりのことだろう。

*5:そこで相手を降ろすところがディランのタフなところですねw。歌の中のディランならアハハ自分からひとりでカッコヨク降りたりするのですが、事実は小説よりも散文的なり(!)w。

*6:その意味では、ジャーナリズムからディランのライバル視されていたフィル・オクスこそが当時の世界フォーク級チャンピオンであって、ディランはその王座を返上して、世界フォークロック級チャンピオンになっていき、どんどん新しいロックのクラスを切り開いたトカw。

*7:ブルックリンのエベッツ・フィールドをホームにしていたブルックリン・ドジャーズロサンジェルスドジャーズになったそのドジャーズのホームグラウンドで行われた試合でした。