Killing Floor

Words & Music by Chester Burnett.*1
(1966年発表)






(原題直訳 「殺しのフロア」)*2







歌詞は、次のURLから、
http://www.lyricsmode.com/lyrics/h/howlin_wolf/killing_floor.html








From Howlin' Wolf album, "The Real Folk Blues".


名作アルバム度 ☆☆☆☆



「リアル・フォーク・ブルース」 (ハウリン・ウルフ





Also on The Jimi Hendrix Experience live album, "Jimi Plays Monterey".


名作アルバム度 ☆☆☆☆☆





「ライブ・アット・モンタレー」 (ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス)





Also on Electric Flag album, "A Long Time Comin'".


名作アルバム ☆



「ア・ロング・タイム・カミン」 (エレクトリック・フラッグ)







名曲度 ☆☆☆








邦題 「キリング・フロアー」 (ハウリン・ウルフ








I should've quit you,
おれは、おまえと別れておくべきだったんだ
A long time ago.
遠い昔にな
I should've quit you, baby,
おれはおまえと
切れとくべきだったんだよな、かわいいやつ
Long time ago.
ずうっとまえにな
I should've quit you,
おれはおまえと別れておくべきだったぜ
And went on to Mexico.
それでメキシコにでも行ってりゃよかったんだ




If I hadn't followed, my first mind.
もし、おれが
自分の第一番の思いに従わないでいたなら
If I hadn't followed, my first mind.
もし、おれが、
おれの第一番の思いに従わないでいたとしたなら
I 'd've been gone,
おれは出ていっちまってたことだろうな
Since my second time.
おれの第二の時間ってことでな*3





*4




I should've went on,
おれは
そのまま出て行っちまってりゃよかったものをな
When my friend come from Mexico at me.
おれの友達がメキシコからおれんとこに来たときに
I should've went on,
そのまま出てっちまってりゃよかったんだよな
When my friend come from Mexico at me.
おれの友達がメキシコからおれんとこにやって来たときによ
But I know I was foolin with ya baby,
けどよ、テメェでもわかってるとおり
おれは、おまえと、ベイビー、アホやってたんだわな
I let ya put me on the killin' floor.
おまえにされるがままに
おれはこの屠殺場のたたきの上にいるってわけだ




Lord knows, I should've been gone.
主はご存知のことさ、
おれは出て行っちまっておくべきだったんだ
Lord knows, I should've been gone.
主はご存知のことさ
おれは出て行っちまっとくべきだったのよ




And I wouldn't've been here,
だったら、おれは
こんなとこにいるはずはなかったものをな
Down on the killin' floor.
この屠殺場のたたきの上にはな










Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞 052509











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<とくに読まなくてもいい本日分のためのまえがき>



さて、さて、説明しなきゃいけないことがありすぎてメゲ気味に日が過ぎてしまいました。どうも説明というのは面倒で苦手です。

まず、手始めに、なぜ、きょうの歌がこのハウリン・ウルフの「キリング・フロアー」なのか? 
答、それは、この「キリング・フロアー」が(きょう、この後で聴く)レッド・ゼプリンの「レモン・ソング」の原曲だからです。
問い、なんでZEPの「レモン・ソング」なのですか? という問いは必要のない方も多いかもしれませんね。 つまり、そんなみなさんを思っての「キリング・フロアー」であり「レモン・ソング」のきょうの2曲であり、ついでに明日の「トラヴェリング・リバーサイド・ブルース」なのです。
さっぱり何のことだかわからんというみなさんに向けてお話ししようとしているのですが、エントリー日付にして一昨日に(現在のここの流れに即して)レッド・ツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20070402 *5 を採り上げたときに、おそらく多くの方々が(ツェッペリンでエッチな歌といったらやっぱ「レモン・ソング」だろと)(「胸いっぱいの愛を」と同じアルバムの)「レモン・ソング」を思い浮かべたことでしょう。そういうヴァイブレーションがわたしのところにひたひたと押し寄せてきましたもんwink。ですから、わたしとしては、どうしてもそれにお応えしたかったわけですが、しかし、そのまま「レモン・ソング」を載せるわけにはいかないのが(わたしに見えている「筋」であり、わたしがしたがっている「理」みたいなものによって動かされている)ここなわけです。
きのう、たまたま(まあ、わたしには(詰まるところ)たまたまなのですが)(ZEPの「胸いっぱい」の原曲として)御大マディ・ウォーターズのトラックを紹介することになったので、きょうもまたZEPの「レモン・ソング」の原曲として、ウルフの「キリング・フロア」を紹介し、明日もまた引き続き(「レモン・ソング」の問題の「レモン」のくだりの出典であるブルースナンバーである)ロバート・ジョンソンの「トラヴェリン・リヴァーサイド・ブルース」を紹介することになれば、アメリカやイギリスで白人のロック・ミュージシャンたちに人気の3人のブルースマンを引き続き紹介することになって(それは なかなか流れの中の流れみたいになって)面白いかなというのもあり、また、一昨日来、ここで話題にしてきているレッド・ゼプリンの(すなわちジミー・ページ=ロバート・プラント作品の)ブルースの盗用というか過度の無断引用というか、そこらへんのことも引き続き話題にできていいかなということありました。と、いざ、説明してしまうと、とくに説明するまでもないことのようにも思えてきて、この3日間、何を面倒くさがってたんだろう、さっさとアップしとけばよかったなあとも、いま、思います・・・・・・。




<ということで、ここからが本題です。といいながらも、依然、前置き風>




きょうのこの歌、「キリング・フロアー」、ハウリン・ウルフのオリジナルで1966年の発表というから意外と新しいブルース・ナンバーなのですね。ジミ・ヘンドリックスが一躍、大きな注目を集めることになった(ロック史上最初の大規模なロック・フェスティヴァルである)「モンタレー・インターナショナル・ポップ・フェスティヴァル」に登場して、(けっこう長々とチューニングした挙句にw)そのオープニングにのっけから物凄いハイテンポのこの「キリング・フロアー」を演奏したのが1967年ですから、まだ、そのときは(どちらかというと)新しい曲の部類に属していたわけですね。つまり、けっしてブルースの古典的な名曲を演ったわけではなかったというのはひとつ頭にとめておくと(アタマん中の壁にピンナップしとくとw)、どこかでまた活きてくる事実になるかもしれませんね・・・・。


と、これもまだ前置きの部類に属するお話になってしまいましたが、さて、本題に入りましょう。


歌詞だけ読むと、なんだかこの歌に歌われていることは女にフラれた男の歌のように思えてしまうかもしれませんが、全然、そうじゃないんですよね。実際に歌を聴いてみるとその演奏とともにそうではないことがおわかりいただけると思うのですが、では、なぜ、歌詞を読む(という実に反=音楽的な)行為から、それが女にフラれた男の(それこそ)ブルースのように思えてしまうのかというと、一連の事情説明的なヴァースもさることながら、タイトルでもあり、また(それゆえに)キメのフレーズになっている「キリング・フロアー」という語の力が大きいのだと思いますね。「killing floor」とはそのままこの2語を日本語に置き換えれば「殺し」の「床」(=フロアー=場所)ということになり、「殺戮の場」ということになります。上のわたくしの訳詞では(いきなりブッチャケで)「屠殺場のたたき」と訳していますが、必ずしも「キリング・フロア」という語にそういう意味があるわけではないので、そこはひとつ留意しておいてくださいね。第一、「屠殺場」には(ちゃんと辞書に載っている)「slaughter house」という正規の英語があります。そのまま字義通りに日本語にすれば「殺戮の館」、それがつまり「屠殺場」なのです。日本語というひとつの "風土" では、屠殺場という日本語にいろいろと雑音が聴こえてきてしまう方も少なからずいらっしゃることでしょうが、ここではひとつノイズ・リダクションをオンにしてお話を進めていくことにしますが、アメリカでは屠殺場(=slaughter house)の作業現場で働く人々はかつてはその大半が(南部の農村から北部の都市部へと職を求めて移ってきた)黒人たちであったことから、彼らの間では、その作業場を(まさにその作業の内容そのものから)「殺しの部屋(=ま=間」(killing floor)と呼んでいたわけです。これがひとつ。
そして、ここからは徐々にブルースという芸=術の域に話題が移行してくるわけですが、その「殺しの間」と呼ばれる作業場は、彼らの目には(それがコンクリートのたたきであれ、たくさんの敷石が敷き詰められたものであれ)そこに大量の血や体液を流して牛や豚などの食用動物が死んだばかりのぐったりした死体をさらしている、そのイメージ=映像と断ちがたく結びついたものであったことでしょう。それが「killing floor」という語にまつわるイメージです。それがふたつめ。


ですから、そういうことから、この歌「キリング・フロアー」の歌詞だけを読んだヒトがこの歌について抱く印象は、(十中八九が)女性にひどい目に遭わされた男の失意や傷心の(それこそ)ブルースとなることでありましょう。そのこと自体は(上記の事実からも)けっして間違いではありません。また、実際に1920〜30年代のディープ・サウス(=アメリカ深南部)のデルタ・ブルースのスタイルでこの歌詞が歌われれば、間違いなくそれは失意や傷心のカントリー・ブルースになることでしょう。しかし、ハウリン・ウルフのこの曲は第二次世界大戦後の1960年代中期のシカゴ・ブルースです。黒人たちはもはや(絵に描いたような)南部のプランテーションの綿畑(=コットン・フィールズ)にいるわけではありません。すでに久しい以前からその多くが都市部の工場労働者になっていたでしょう。それがみっつめ。
そして、この頃になると、黒人たちの間では、すでに「killing floor」という語は、単に屠殺場の作業場それ自体を意味するだけでなく、副次的なその譬えとしての意味が広く共有されるようになってきています。つまり、屠られてコンクリートのたたきの上にぐったりして倒れている牛や豚にわが身を譬えて、いわば「ドン底」状態にある自分を(この歌の歌詞にもあるように)「down on the killing floor」(屠殺場のたたきの上に倒れる)という表現で言われるようになっていました。それがよっつめ。
そして、もうひとつ、ちょっと角度を変えたところから、このお話をつづけるならば、それは「殺す」ということが必ずしも「(生命を奪う)殺す」ことではない、副次的な比喩的な意味で使われるということです。日本語でも(例えば)「おやじキラー」なんてコトバがあったりしますが、それは(べつにオヤジ狩りをしてみっともないおっさんどもを片っ端からブッ殺してまわる連中のことでは全然なくw)(おっさんたちの鼻の下を長くしたり、目や財布の紐を緩めてしまう)おやじたちを魅了するのが得意な(殺し屋=キラーのような存在の)若いオンナの子のことだったりするわけですね。つまり、「殺す」というのは「魅了する」という副次的な意味があるのですね。そうそう「悩殺」なんて実に悩ましいコトバもありますね。(そして、ついでに言えば「キラー」(=殺し屋)には「必殺の」というニュアンスとともに口にされ、用いられるコトバなわけですね)そして、この「殺す」に関しては、ロバータ・フラックの名曲「Killing Me Softly With HIs Song」(=彼の歌で わたしをやさしく殺して)(邦題「やさしく歌って」)なんてのもありますね。ですから、ベッドの中で女性に「殺してぇ」と悩ましげな声で囁かれたとしても、アハハ、どうかくれぐれもバカ(正直)な真似は・・・・ですよw ってなことで、それがいつつめ。



<ということで、いよいよ、ここからが本題です>


長々と話しながら、わたしが何を言おうとしていたのかというと、それはつまり、きょうのこの歌、ハウリン・ウルフの「キリング・フロアー」(「屠殺場のたたき」)が、けっして失意や傷心の歌ではないということです。むしろ、その反対の歌といってもいいかもしれません、しかし、それでいてけっして嬉しい喜びの歌だというのでもありません。ハウリン・ウルフのこのブールスの名作はすぐれて現代的な相反する二面感情が(つまり、アンヴィヴァレントな感情が)歌われています。


きょう、ここまで上に述べてきた5つのポイントをアタマに、もう一度、この歌の歌詞に目を向けていただくとかなり見えてくるのではないかと思いますが、この歌は、女にハマって抜けられない男の気持ちを歌った歌=ブルースなのですね。
何度も別れようとしながらも、また、別れなくてはいけないと思いながらも、別れられずに、ひとりの女にはまってしまい、どうにも抜けられない、男の歌。それがこの「キリング・フロアー」なのでしょう。
ベッドの中でさんざん女とやりまくった挙句、ぐったりと疲れ果てて、ベッド上からゴロンとゆかの上に転げ落ちる。そのゆかの上でこそ、ぐったりとしながらも、やっとホッとして・・・・、そして、同時にそんなわが身を呪うのか、あるいは嘆くのか・・・・・
それがこの歌のキメのラインになっている




Down on the killing floor


屠殺場のたたきの上にぐったりと倒れ込む




という光景に歌われているわけです。
死んだようにぐったりとしながらも、(死んだように)どこかホッとしながらも、
このままでは この女に殺されてしまうぜ、自分がダメになってしまうと・・・・・,
そこのところが、この歌のブルースであり、
また、この歌がブルースである所=以ですね。


その意味では、この「キリング・フロアー」は、ひじょうに高度な現代的なブルースなのだと思います。


そして、あらためてこの歌のキメのラインを(いわゆる)上手な訳で訳すとするなら、




And I wouldn't've been here,
Down on the killin' floor.


だったら、おれは、ここで
グッタリと死んだように倒れこんではいなかっただろうよ




といったあたりになるでしょうか。


ところで、 "killing foor" というこのコトバは、いまでは日本の英和辞典にも(といっても、もちろん「リーダーズ・プラス英和辞典」(研究社)ぐらいではないかと思いますが)「セックスをする場所、寝るところ」という記載で一項目ができていますが、これは必ずしも、「キリング・フロアー」という語がそういう意味であり、また、そのことなのではなく、きょうここで長々と述べてきたようないろんなことから、そういうふうにもとれるんだよという、そういう辞書との付き合い方はわかっておくとよいでしょう。


ということで、この「キリング・フロアー」を
(そういうそっちの意味を(つまり、(そんな日本語はありませんが)ザ・"愛欲部屋" wってな意味を)さらに増幅して)
原曲としたレッド・ゼプリンのナンバー「レモン・ソング」を 次に聴いてみましょう。

*1:このチェスター・バーネットという名前は、ブルース・ファンならご存知でしょうが、ハウリン・ウルフ(=吠える狼)さんのご本名でございます。

*2:意味としては(本文でも触れているように)(アメリカでは)「屠殺場の(コンクリートや敷石の)たたき」が思い浮かんだり想い浮かんだりするようなコトバであるようだ。

*3:「おれの二度目のとき以来」と訳すのが無難なのだろけれど、同じこのスタンザの「my first mind」との対照で(わたしには)こう聴こえてしまうのです。つまり、「この女と深い仲になる」のが第一の思いで、「この女には手を出さないでおく」が第二の(まっとうな)考えというころを考えてのことなのです。ブルースの英語はあまりにルーズすぎて、なかなか一筋縄ではいきません。

*4:このヒューバート・サムリンのギターも完全に「レモン・ソング」のジミー・ページのギターにまるごとすっかり流用されていますね。

*5:なお、この日のエントリーである「Whole Lotta Love」にハンドルネーム「shingotada」さんより、「はてなスター」というのをいただきました。最近の「はてな」のシステムはいろいろと新しくなってしまって何が何やらさっぱりわからないのですが、どうもお褒めのしるしであるようです。わほほーい、うれPなッつ! ってことで、singotada さん、どうもありがとうございました。いつもごらんになってる皆様も、どうもありがとうございます。これからもまたどうぞよろしく。