Manchester Et Liverpool

Words by Eddy Marnay,
Music by Andre Popp.
(1968年発表)



(原題直訳 「マンチェスターリヴァプール」)*1




Performed by The Fellas.*2

You can't listen to Japanese compilation,
推奨アルバム度 ☆

「続・僕たちの洋楽ヒットVOL.8/1969-70」 (ピンキーとフェラスほか)




And you can listen to Marie Laforet album, "Manchester Et Liverpool".
名作アルバム度 ☆☆ *3

(マリー・ラフォレ)




Also you can listen to Andre Popp composition compilation, "Popp Musique".
推奨アルバム度 ☆☆☆☆

「ポップ・ミューヂック」 (アンドレ・ポップ)*4




歌詞は、次のURLから
http://www.leoslyrics.com/listlyrics.php?hid=NGYrioEO170%3D




名曲度 ☆☆☆






邦題 「マンチェスターリヴァプール」 (フェラズ)






Manchester and Liverpool
マンチェスターリヴァプール
May not seem cities for romatic fools
ロマチックなおバカさんたち向けの街じゃないかもしれません
Bustling feet and dusty streets
せかせかした雑踏に薄汚れた街路
And people living for each day.
そして、その日、その日に暮らす人たち




But behind the smoke and grind
だけど、この煤煙の向こうに
A great big city's beating heart you'll find
人は、大いなる大都会が鼓動しているのに気づくでしょう
You may roam but it's still home
人は出て行ってしっまたりもするのでしょうが
それでもいまもそこは故郷なのです
Although you travel far away
たとえ、遠くを旅していても




A city, a city may not be so very pretty.
都会、都会というのは
そんなにステキなものじゃないかもしれない
But to be back, a smokestack can be a welcome sight to see.
だけど、戻ってくると
煙突のある風景が目に入り、お出迎えしてくれるでしょう




Manchester and Liverpool
マンチェスターリヴァプール
So noisy, busy and so typical
えらく騒々しく、せわしなく、そして実に型どおり
Millions there with hopes and cares
希望や心配事を抱えた何百万ものそこに住む人
And happiness is their own aim
そう、幸せこそが彼らそれぞれの目指すところ




In New York and Sydney too
ニューヨークやシドニーでも、そうね
The whole world over, it is just as true
世界中、どこでも、まさにこれは真実
Where you start is in your heart
あなたの出身地は、あなたの心にあって
And there it always will remain
そして、そこでそれはいつまでも変わらずぬままよ




A city, a city may not be so very pretty.
都会、都会というのは
そんなにステキなものじゃないかもしれない
But to be back, a smokestack can be a welcome sight to see.
だけど、戻ってくると
煙突のある風景が目に入り、お出迎えしてくれるでしょう




Manchester and Liverpool
マンチェスターリヴァプール
La la la la la la la.....
♪ ララララララララララ・・・・







Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞








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日本でしかヒットしなかった洋楽曲というのがある。
レコード会社の担当ディレクターや宣伝マンはさぞや嬉しかったことだろうなー。
きょうのこの歌、ピンキーとフェラス*5の「マンチェスターリバプール」と、次につづけて紹介するカプリコーンの「ハロー・リバプール」も日本のみのヒット曲で、どちらもリヴァプール絡みというのが面白い。ビートルズの出現によって一躍、日本でもよく知られるようになった「リヴァプール」というその地名への想いもヒットの一因となっていたのかもしれません。タイトルに「リヴァプール」とあるだけで人の気持ちをかなり魅きつけるところがあったのかもしれません。
ところで、きょうのこのフェラズ(ピンキーとフェラス)もカプリコーンも、単に日本でしかヒットしなかったというだけでなく、本国その他ではどうもまったくもって知られることがなかったらしく、インターネット上にはレコーディング・アーティストとして存在したその痕跡すらも皆無(<わたしの調べた限りでは)に等しい状態で、今回は大変苦労しました。
きょうのこの2曲のエントリーにあたっては、下記の日本語サイトの関連ページにたいへん助けられましたので、ここにそのURLを記して、わたくしからの感謝のしるしに代えさせていただくとします。 どうもありがとうございましたー!





・ピンキーとフェラス
http://www003.upp.so-net.ne.jp/Mr-Monday/pinky.html


カプリコーン
http://www003.upp.so-net.ne.jp/Mr-Monday/capricorn.html

・同サイトのトップページ
http://www003.upp.so-net.ne.jp/Mr-Monday/index.html


いずれも「Mr.マンデイ」さん主宰のサイト「Yesterday’s Pop Music Club」からの貴重なページ。本日のこのエントリーには、どうしてもなくてはならいデータを教えていただきました。Mr.マンデイさん、どうもありがとうございました。*6


・「マンチェスターリバプール」をめぐるamazonジャパンのカスタマー・レビュー
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000197H9W/503-6657525-8145568?v=glance&n=561956


・「マンチェスターリバプール」「ハロー・リバプール」楽曲解説と訳詞へのリンク
http://www.eigo21.com/03/pops/z32.htm


・同サイトのトップ・ページ
http://www.eigo21.com/03/pops/00.htm




こちらは、↑↑↑ 今回、いろいろと調べまわっている中で遭遇した「なつメロ英語 Those Were The Days」という(わたしのこことも曲目においていくらか重なるところがある)往年の洋楽ヒット曲の訳詞サイトで、わたしなどよりもずっと上等な日本語訳が掲載されていますので*7、是非、ご覧になるとよろしいでしょう。英語の解説も(英語の先生だけあって)懇切丁寧、また折りにふれてそれぞれの歌がヒットした当時の日本の事情なども説明されていて、証言としても貴重なお話がうかがえます。




おかげで、このblog形式の訳詞サイトの「方法序説」が明確になりますた。
(下欄の「註7」をお読みくだされ。)

*1:べつにマチェスター・ユナイテッドとリヴァプールF.C.の対戦ではないですよーw、はたまた、このふたつの都市を結んで1830年に開通した世界で最初の(公共の交通機関としての)鉄道の歌でもありませんよーw

*2:このグループについては英語圏のインターネットにはまったく跡形もなく、僅かに日本語のこちらのサイトに詳しいデータが記録されており、たいへん役に立った http://www003.upp.so-net.ne.jp/Mr-Monday/pinky.html

*3:上掲ジャケットはこのアルバムのもの。世界的には、このマリー・ラフォレのオリジナル・ヴァージョンしか知られていないと考えてよいだろう。

*4:作曲者のアンドレ・ポップは「恋は水色」などで知られるフランスのベテラン作曲家。このアルバムはさまざまなアーチストによって取り上げられたポップの名作集。

*5:どう考えても、これは(メンバーに紅一点がいるということから)(当時の日本の人気グループ、ピンキーとキラーズに便乗して)日本側で勝手につけてしまった名前としか思えないのですが、あとで紹介する世界でいちばん詳しいこのグループについてのサイトを読んでいくと、やっぱりどうもそのようです。

*6:こちらのサイトを拝見しながら、きょうのこのフェラズもカプリコーンも1970年代に東京で毎年開催されていた(ヤマハ主催の)「世界歌謡祭」というのに出場していることを知った。この「世界歌謡祭」というのが、どうやらけっこう日本独自の洋楽ヒットを生み出すその源泉となっていたらしい(?)という推測を得ることができた。ちょうどヨーロッパの「ユーロヴィジョン・コンテスト」やイタリアの「サンレモ音楽祭」などから毎年、独自の(国際的な)ヒット曲が生まれてくるそういう音楽祭を目指したものだったのかもれない。

*7:ただ、この点については、いささかの釈明をさせていただくならば、敢えて、わたくしは(故意に)「上手な」「巧い」日本語訳(への努力を捨象し)回避しているのだということを(あらためて)ここで申し添えておきましょう。というのも、わたくしは(いわゆる)テクスト論者の部類でありまして、完成度の高い上等な日本語の訳詞をめざしてはおらず、そうした上手な訳が見えなくしてしまうようなノイズやざわめきにこだわるテクスト至上主義と言いましょうか、あくまでも、わたしの拙い訳詞をもって、ここを読んでくださるかたに、再度、原曲=テクストに(それもメロディーやサウンドと不可分な「歌」というかたちで、あるいは「音楽」としての原典に(目を向け、いや、)耳傾けていただくことを、その目的とし、また、趣旨としているということです。(敢えて)一行ごとの上下対訳のかたちをとっているのもそのためで、読む方の(ヴォキャヴラリーの多寡はともかくとして、高校程度の英語の知識があれば)あらためてもとの歌詞と対照していただければ、それによって、より身近にその「歌=声」、及び(それに相応しく構成された)「演=奏」を(できれば、実際の)その複製音源とともに再度、実体験していただけるだろうという、そういうことを狙いとしています。重要なのはあくまでもレコーディングされたトラックであって、(その歌とは本来、無関係な異国語による)単一の意味でも見事な訳詞ではないということ。全体性と感知される複数性、直接性、もしくは多様態の擁護。喩えて言うなら、婆沙羅流の盆栽、邪道な生け花といったところになるだろうか。早い話が「自由」ってもん(の確保ってこと)になるんだろうが、おそらく、そういうことを考えると、わたしにとっては、翻訳というのは一種の必要悪であって(だって「完全なる翻訳」というのはありえないもので、その不可能性はつねにすべての翻訳作業に隣接しているわけで)、(人間が附与されたいまだ未開発な能力を考慮すれば)翻訳というのは本来的に不要であるべきものという考え(をわたしは持つ)にいたります。というようなことまで口走ってしまいましたが、こうして「Those Were The Days なつメロ英語」という訳詞サイトとの遭遇によって)あらためて自分がやっていることがよりクリアになったということはひじょうに喜ばしいことだったと言わねばなりません。同サイトの主宰者様には感謝しなければなりますまい。どうもありがとうございました。