Oh Jim

Words & Music by Lou Reed.
(1973年発表)



(原題直訳 「おゝ、ジム」)



From Lou Reed album, "Berlin".
名作アルバム度 ☆☆☆☆☆

「ベルリン」 (ルー・リード




歌詞は、次のURLから
http://www.lyricsondemand.com/l/loureedlyrics/ohjimlyrics.html




名曲度 ☆☆☆





邦題 「オー・ジム」 (ルー・リード








All your two-bit friends
おまえのくだらない友達たちとやらが
They're shootin' you up with pills
おまえをクスリ漬けにしているのさ
They said that it was good for you,
やつらは言うんだ、あんた、こいつはいいぜ
That it would cure your ills
あんたの病気によく効くぜとかってな




I don't care just where it's at
本当のところがどうだろうと
ぼくは知ったことじゃない
I'm just like an alley cat
ぼくはただの野良猫みたいなものだからな




And when you're filled up to here with hate
それで、あんたは
そこまで自分を憎しみでいっぱいにしてしまう
Don't you know you gotta get it straight
まともにならないきゃいけないってことが
あんたにはわからないのか?
Filled up to here with hate
全身を憎しみでいっぱいにして
Beat her black and blue
目のまわりが青黒くなるほど彼女を殴りつけ
And get it straight
それでやめさせようとする




Do, do, do, do, do, do,
♪ドゥ、ドゥ、ドゥ、ドゥ、ドゥ、ドゥ
When you're lookin' through the eyes of hate
おまえがその憎しみの目を向けるとき




All your two-bit friends
おまえのくだらない友達たちとやらが
They're ask you for your autograph
おまえのサインを求めてくる
They put you on the stage,
やつらはおまえを舞台に出して
They thought it'd be good for a laugh
あいつらは考えたのさ
こいつはけっこうな笑いものだとな





But I don't care just where it's at
しかし、ぼくは
それがどういうことだろうとかまいやしない
'Cause honey I'm just like an alley cat
だって、ハニー
ぼくははただの野良猫みたいなものだからな




And when you're filled up to here with hate
そして、おまえは全身を憎しみでいっぱいにしてしまう
Don't you know you gotta get it straight
おまえにはわからないのか
まともにならなきゃだめだってことが
Filled up to here with hate
全身を憎しみでいっぱいにして
Beat her black and blue
目のまわりが青黒くなるほど彼女を殴りつけて
And get it straight
それで、やめさせようとする







Uh huh
あゝ、はぁ


Oh Jim,
おゝ、ジム
How could you treat me this way
あなた、ひどいわ
よく、あたしにこんな仕打ちができるわね
Hey hey hey
えっ、どうなのよ、ねえ
How could you treat me this way ?
よく、こんな仕打ちがあたしにできるもんだわ




Oh Jim,
あゝ、ジム
How could you treat me this way
あなた、よく
あたしをこんな目に遭わせられたもんだわ
Hey hey
えっ、どうなのよ
How could you treat me this way ?
よく、あたしにこんな仕打ちができるもんだわ




You know you broke my heart
Ever since you went away
あなた、わかってるでしょ
あなたがいなくなってしまってからというもの
あなたのおかげで、あたしの心はズタズタにされたのよ
Now you said that you loved us
あたしたちのことを愛してるなんて
あなたはいま言ったけど
But you only made love to one of us
だけど、あなたなんか
そのうちのひとりと寝たってだけのことでしかないのよ
Oh Jim,
おゝ、ジム
How could you treat me this way
あなた、よく、あたしにこんな仕打ちができたわね
You know you broke my heart
あなた、わかってるの
あなたのおかげで、あたしの心はズタズタなのよ
Ever since you went away
だって、あなた、いなくなってしまうんだもん




When you're looking through the eyes of hate
おまえがその憎しみの目を向けるとき
Oh, oh, oh, oh
おゝ、おゝ、おゝ、おゝ
When you're looking through the eyes of hate
おまえがその憎しみの目を向けるとき
Oh, oh, oh, oh ...
おゝ、おゝ、おゝ、おゝ・・・・






Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞







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この歌は少しばかりトリッキーだ、(というか)かなり手が込んでいる。
もしかしたら、アルバムの中ですべてのテーマが集約されたもっとも重要な曲だと言えるかもしれない。*1
お聴きになればわかるとおり、
この歌の前半と後半では、明らかに実質的に違うふたつの曲だと言えるほどに、
歌の内容も、曲調も、またサウンドも、がらりと変わってしまう。
「おゝ、ジム」というタイトルも歌の後半にこそふさわしいもので、
前半はブラスの入ったフルバンド風のサウンドで男から見た女(=キャロライン)の姿が歌われ、
後半では、低音弦を強調したアコースティック・ギター一本というシンプルな伴奏で、
アルバムの中では唯一(直接話法による)女からの男への語りかけの歌となっている。
そう、だからこそ、(ここで初めて)全編の語り手である男がその名前で呼びかけれらるのだ。




Oh Jim,
おゝ、ジム



と、(後述する、ある)感情を込めて・・・・。



では、構成上のこの大きな断絶がいったい何を物語っているのかというと、
それはそのまま、物語上のふたりの関係に大きな断絶があった、ということ
それを表しているのが自ずと浮かび上がってくるだろう。
それは、ふたりの間の(男女としての)精神的な面での断絶ばかりでなく、
実際に男が女のもとを飛び出していってしまうという、
その出来事による、ある一定期間の(時間的な)断絶がふたりの間にあったことを物語ってもいる。




You know you broke my heart
Ever since you went away

あなた、わかってるでしょ
あなたがいなくなってしまってからというもの
あたしの心は、あなたのせいでズタズタにされたのよ



そう、低音弦を強調したアップテンポのアコースティック・ギターの伴奏が、
再び目のまえに姿を現した男(ジム)を目にした女の驚き(戸惑い、喜び、怒りの入り混じった複雑な感情)をよく表している。
あのアップテンポのギターはそのままキャロラインの心臓のその動悸にシンクロしているのだ。
そして、女はこう口にするのだ。





Oh Jim,
How could you treat me this way

おゝ、ジム
あなた、ひどいわ
よく、あたしにこんな仕打ちができるわね



では、なぜ、男は女のもとを去ってしまったのだろう。
それは歌の前半から察することができる。
歌の前半で歌われる女の姿は、なぜかこれまでになく(男から)遠い・・・・。




All your two-bits friends
They're shootin' you up with pills

おまえのくだらない友達たちとやらが
おまえをクスリ漬けにしているのさ



「two-bit」(two-bits)というのは、25セント硬貨を意味するアメリカのスラングだが、
その「ケチなどうでもいい」友達たちとやらは、彼よりも彼女の近くにいるのだ、
(その距離感、もしくは違和感には(このアルバムの3曲目に歌われた「富豪の息子」という)彼の出自もあるかもしれない)
http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20060519#p1


そして、



They put you on the stage,
They thought it'd be good for a laugh
やつらはおまえを舞台に出して
考えたのさ、こいつはけっこうな笑いものだとな



おそらく場末のショービジネスの世界で彼女はそれなりのスポットライトを浴びるようになったのだろう。
(このあたりの伏線というべきものは(アルバムの2曲目の)「レディ・デイ」という歌ですでに提供されていた)
http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20060518#p2

そして、スポットライトを浴びる彼女のそのステージがさらにふたりの間に隔たりを作り出すことになってしまったのかもしれない。*2
そのへんの距離を、彼は(親しげに「ハニー」と彼女に呼びかけながらも)自嘲的にこう述懐する、




But I don't care just where it's at
'Cause honey I'm just like an alley cat

でも、ぼくはそれがどういうことだろうとかまいやしない
だって、ハニー、ぼくははただの野良猫みたいなものだからな



そう、彼はキャロラインにとって自分が(どこかから迷い込んできた)(あるいは、そこらで拾ってきた)野良猫にすぎないのだと思うようになっていたのだ。
そして、彼は(野良猫らしく)出て行ってしまったのだろう・・・・。
ところが、彼女の側からすると、それはそうではなかったのは、すでに上に述べたとおりだ。

そして、彼は再び戻ってくる。
(ことによると、彼は本来彼が属している社会の上層から再びこのベルリンの吹き溜まりのような界隈に戻って来たのかもしれない・・・・)
そして、驚きに息が詰まりそうな彼女に向かって、
彼はこう言ったのだ(とわたしたち聴き手は知らされる)




Now you said that you love us

あなた、いま、言ったわね
あたしたちのことを愛してるんだって



この「わたしたち」us とは、彼女と彼女が住む世界の住人たち(彼女のつまらない友達たちとやら)を含む「わたしたち」のことだ。
それは(わたしが何度かここでこれまでにいくつかの歌で言及してきた)「おれたちとやつら」us and them という(大きな主題、あるいは)問題を孕んだものなのだ。
そして、さらに「彼」がアメリカ人であり、キャロラインがいう「わたしたち」がドイツ人であるというのも見過ごすべきではないだろう。
そう、あの「富豪の息子」という歌は、実は(このアルバムの中では)ひじょうに大きな位置を占めているのだ。*3

「わたしたち」と「非=わたしたち」(つまり、そうでないもの)だ・・・・。


そして、彼女はこんなふうに彼の言葉を突っぱねるのだ、




But you only make love to one of us

だけど、あなたは、そのうちのひとりと寝たってだけのことでしかないのよ



この「わたしたち」us と「彼ら」them という問題は、やがて、さらに(明日、ここで紹介する)「子供たち」という歌で「they」というかたちで姿を現し*4、その圧倒的な力を行使することになるだろう・・・・。


こうしたかたちの断絶もまた、わたしたちはこの歌に聴くことができるのだ。
そして、歌の前半と後半で(異なる旋律で歌われながらも)唯一共通して歌われ、かろうじて(実質的にふたつの異なる歌を)ひとつの歌にしているのが、次のこのフレーズだ、




When you're looking through the eyes of hate

人がその憎悪の目でものを見るとき




そう、ここにおいてルー・リードのこの「ベルリン」という物語は「愛憎」のドラマとしてのその本質を露わにするのだった。


そして、(ひとつ注意を喚起しておくべき)構成上の重要なポイントとして、アナログ盤のLPレコードの時代には、この「おゝ、ジム」という歌がA面の最後の曲として配置されていることだ。
キャロラインのもとから出奔し、帰って来た男、ジム・・・・・、
そのジムとキャロラインのふたりの愛憎のドラマは、
レコード盤のB面冒頭のこの歌「キャロラインの話(2)」をもって再開されるのだ。



(本当は、日をあらためて紹介したいのだが、すでにこの歌「キャロラインの話(2)」はここで紹介ずみであるため、URLを併記して、以下につづけて再録する)
http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050223#p2

(ということで、きょうはかなりヘヴィーな内容となっております)

*1:きょうのエントリーを書き終わってから、あらためて「ベルリン」について書かれた海外の文献に目を通してみたが、(自分で言ってはいけないが)これは世界最強のものだと自負してしまう。ことにこの「おゝ、ジム」については誰もが曖昧なかたちでしかものを言っていない。このラウンドを獲ったことで(エヘヘ)世界ルー・リード・ベルリン級タイトルマッチ暫定王座ぐらいにはw手が届いたように思うのだが、いかがだろうか? 国内でまったく無名のボクサーが海外で世界チャンピオンになった例もあるわけだし、けっこう自分の書くものが世界に通用するはずだという感触はこれまでにも何度がある。まあ。少しわかってる人にはもう少しよくわかり、たくさんわかってる人にはもっとたくさんよくわかる。そういう仕掛けのものを書いているので、大半は(わたしが書く)この「文」にではなく、読む側の「人」にあるわけで、そういうことを喩えて(嘘だけれども)「文は人なり、他人なり」という(爆)♪

*2:「物語」というのは通俗的なものなのだ(苦笑)。

*3:実際、実生活でも、そういったことが実はしばしば何らかのかたちで人の心や振る舞いに作用や影響を及ぼしてしまうのと同じようにだ。

*4:文法的には「主格」と呼ばれるものだ