Sensation

Words & Music by Pete Townshend.
(1969年発表)





(原題直訳 「センセーション/感覚」)*1





From The Who album, "Tommy".
名作アルバム度 ☆☆☆☆


「トミー」 (フー)





歌詞は、次のURLから
http://www.oldielyrics.com/lyrics/the_who/sensation.html





名曲度 ☆☆





邦題 「センセイション」








Tommy:
トミー:


I overwhelm as I approach you
ぼくが近づいていくと
みんなは圧倒されててしまう
Make your lungs hold breath inside!
あなたがたは固唾を呑んだようになってしまう!
Lovers break caresses for me
恋人たちは身を離し、ぼくを受け容れ、
Love enhanced when I've gone by.
ぼくが立ち去ったとき、愛は強まっている




You'll feel me coming,
あなたがたは
ぼくがやって来るのを感じるとることだろう
A new vibration
新たなる波動だ
From afar you'll see me
遠くからでも
きみたちにはぼくが見えることだろう
I'm a sensation.
ぼくは一大センセーションなのだ




They worship me and all I touch
人々はぼくを崇め、ぼくはみんなに手を触れる
Hazy eyed they catch my glance,
彼らはどんよりした目でぼくの視線をとらえる
Pleasant shudders shake their senses
歓びの戦慄が人々の感覚を揺さぶり
My warm momentum throws their stance.
ぼくの温かな勢いがみんなの姿勢に宿るのだ




You'll feel me coming
あなたがたは
ぼくの到来を感じることだろう
A new vibration
新たなる波動だ
From afar you'll see me
遠くから
あなたがたにはぼくのことが見えるだろう
I'm a sensation.
ぼくは感覚、一大センセーションだ




I leave a trail of rooted people
ぼくはしっかりと根を下ろした人間たちの道を残していく
Mesmerized by just the sight,
目に入るものに惑わされた者ども
The few I touch are now disciples
ぼくが手を触れたごく僅かな人々は
いまやぼくの使徒となっている
Love as One I Am the Light...
「一」なる者として愛しなさい
ぼくがその「光」なのだ・・・・




Soon you'll see me
すぐに
あなたがたはぼくを目にすることだろう
Can't you feel me?
ぼくのことを感じないかい?
I'm coming...
ぼくがやって来るのが・・・
Send your troubles dancing he knows the answer
あなたがたの悩みを踊らせてしまえ
答えを知る者なのだ
I'm coming...
ぼくの到来だ・・・・
I'm a sensation.
ぼくは感覚、一大センセーションだ






Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞






∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮





逆上した母親が叩き割った鏡、
まるでそれが壁であったかのように
トミーの心は(そのとき、その場で)解き放たれる、
・・・・視覚、聴覚を遮断して、喋ることを忘れ、長く自閉していたトミーの心が解放されたのだ。

先の医師も述べていたではないか




Needed to remove his inner block.

この子の内なる障壁となっているものを除去する必要があるのです



その障壁が取り除かれたのだ。


鏡という壁に映る「自己」のイメージ、
それが障壁となって長い自閉のときを過ごしてきたトミー
あるいは、鏡に映る自己のイメージをどうしても超えられずに長く自閉していたトミー

その鏡が(ヒステリックな逆上というかたちではあるにせよ)母親の愛の衝動によって叩き壊されたとき・・・・
その壁と化した鏡に映るトミーの「自己」の像(=セルフ・イメージ)self-image は粉々に砕け散り、
トミーの「自己」、(あるいは)トミーという「自己」self そのものがじかに世界に接するようになる。
そして、剥き出しになったトミーの五感と六感は、
ひとつの「感覚」sensation という塊として、
この現実の世界を躍動する。




I'm a sensation

ぼくは感覚だ





これがセンセーションでなくして何だろうか
一個の感覚の塊となったトミーの行く先々に、またたくまに一大センセーションが巻き起こる!




オリジナルの「トミー」では、この曲を最後にレコード盤のC面が終わり、
いよいよ次の曲から最終のD面がはじまる(という構成になっていた)。




(以下、雑談)

かつて、ザ・フーは(その名を広く世界に広めることになった名作「マイ・ジェネレーション」で)こんなふうに歌っていた・・・・・




Why don't you all f-fade away
And don't try to d-dig what we all s-s-say
I'm not trying to cause a b-big s-s-sensation
I'm just talkin' 'bout my g-g-generation
This is my generation


てめえら、何でみんな、うッ、失せやがらねえんだ
おれらの、いッ、言うことを
いちいち、ほッ、ほじくりかえすようなことするんじぇねえよ
おれは、そんな、でッ、でっかい騒ぎを引き起こすつもりじゃねんだ
おれは、ただおれの、せッ、せッ、世代のことを話してるだけなんだ
これがおれのジェネレーションなんだよ


(「マイ・ジェネレーション)




さすが、(疑問詞はもちろん関係詞の諸々の「who」をすべて(しっかりと)定冠詞の「The」をつけて「The Who」と自分たちのグループ名にしてしまうだけの、図々しいまでのガッツを持ったグループならではの歌だが、当時、彼らは実際に(ストーンズビートルズとは違うその後発世代として)ちょっとしたセンセーションを巻き起こしていたわけだが、

この歌で「f-fade away」「d-dig」「 s-s-say 」「b-big」「s-s-sensation 」 「g-g-generation」と力み、吃ってみせるロジャー・ダルトレーの歌い方は圧倒的に正しい唱法だった。
このロジャーの吃音とトミーの失語症に(わたしは)(どうしても)(「The Who]というグループの意識下を縦横に走る)何か通底するものを感じてしまうのだ。そもそもフーのデビュー曲である「アイ・キャント・エクスプレイン」もまた(「うまく言えないんだ」、「説明できないんだ」という)それと類を同じくするテーマを持った歌ではなかったか?



・「アイ・キャント・エクスプレイン」 (フー)

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050131




人間、深いところで脈々と何かがつづいているのだ・・・・脈々と*2
まるで文脈 context のように、それを見つけ出し、摘み出し、白日のもと、大気中に(ひとつのかたちにして)広げてやる、
あとは(その求めに応じて手を貸してやる)、芸術家の仕事とは(たぶん、極端な話)それに尽きるのではないだろうか?

(それに対してレコード会社や放送局や広告代理店やプロデューサーを自称する山師や評論家やジャーナリストや(そして、ファンもまた)がいろんなことを言ってくるわけだ、)



このころ、ビートルズは「愛こそはすべて」All You Need Is Love で




All you need is love
All you need is love
Love is all you need

あなたたちみんなに必要なのは愛なのです
あなたたちみんなに必要なのは愛なのです
愛が、あなたたちみんなが必要としているものなのです




と歌っていたが、
それは彼らがそのデビュー曲「Love Me Do」(愛してくれよ)で歌っていたこと




Love, love me do
You know I love you

ぼくのこと、愛してくれよ、なあ
ぼくがきみのこと好きなのわかってるだろ




の(ごく私的な)小文字の「love」から(より普遍的な)大文字への「LOVE」へのひとつの到達であったわけだが、
同じことがフーのこの「センセーション」という歌についても言えるだろう。
グループの最大の出世作「マイ・ジェネレーション」の「ビッグ・センセーション」から「感覚」という微細な人間の生命活動の域にまで到達した「センセーション」・・・・。
ビートルズの場合は、マハリシ・マヘシ・ヨギという超越瞑想の指導者に学び、フーの場合は、ピート・タウンジェンドがミハ・ババに師事するなど(LSDをはじめとするサイケデリックな体験によって拡大された意識、解き放たれた感覚に何らかのかたちと方向を与える)「智恵」と(その身体的な)「実践」の「技法」への意識から生じたものだろう。
この時期、いくつかのグループやアーチストに(同じように)意識におけるスケール・アップが見られることは、ロックの歴史(の一部となった個々のディスコグラフィー)が示すとおりだ。

*1:「センセーション」という語には「感覚」という意味と(それを大いに刺激するものとしての)「大騒ぎ」「大事件」「大評判」といった(日本語にもなっている)「センセーション」の意味があり、これはうまくその双方にかかったタイトルとなっている。

*2:もしかしたら、それは個人の域を、個人の生涯(つまり。「現世」)というスパンを超えてつづいているのかもしれない。