Go To The Mirror Boy

Words & Music by Pete Townshend.
(1969年発表)





(原題直訳 「きみ、鏡のところに行ってごらん」)





From The Who album, "Tommy".
名作アルバム度 ☆☆☆☆


「トミー」 (フー)





歌詞は、次のURLから
http://www.oldielyrics.com/lyrics/the_who/go_to_the_mirror_boy.html


名曲度 ☆☆☆






邦題 「ミラー・ボーイ」







Doctor:
医者:





He seems to be completely unreceptive.
この子は見たところまったく感応していません
The tests I gave him show no sense at all.
わたしがおこなった検査からは
まったく理不尽だということしかわかりません
His eyes react to light the dials detect it.
彼の瞳は光には反応しています
ダイアルがそれを示しています
He hears but cannot answer to your call.
彼は聞こえてはいるのですが
あなたがたの呼びかけに答えることができていないのです




Tommy:
トミー:


See me,
ぼくを見て
Feel me
ぼくを感じて
Touch me,
ぼくに触って
Heal me.
ぼくを癒して




See me,
ぼくを見て
Feel me
ぼくを感じて
Touch me,
ぼくに触って
Heal me.
ぼくを癒して




Doctor:
医者


There is no chance no untried operation.
見込みはまったくありません
思いつくような手術もありません
All hope lies with him and none with me.
希望があるとしてもすべては彼次第です
わたしのほうではまったくどうすることもできません
Imagine though the shock from isolation.
孤立からの衝撃はありますが、想像なさってください
When he suddenly can hear and speak and see.
突如として、彼が、もし、聞こえるようになり
喋れるようになり、見えるようになったとしたら




Tommy:
トミー:


See me,
ぼくを見て
Feel me
ぼくを感じて
Touch me,
ぼくに触って
Heal me.
ぼくを癒して




See me,
ぼくを見て
Feel me
ぼくを感じて
Touch me,
ぼくに触って
Heal me.
ぼくを癒して




Doctor:
医者:


His eyes can see
この子の目は見えているのです
His ears can hear his lips speak
この子の耳は聞こえているし、この子の唇は喋れます
All the time the needles flick and rock.
この針はつねに素早く動いたり、大きく振れたりしてますが
No machine can give the kind of stimulation,
機械類からはそうした刺激はいっさい与えていません
Needed to remove his inner block.
この子の内なる障壁となっているものを除去してやる必要があるのです




Go to the mirror boy!
きみ、鏡のところに行ってごらん!
Go to the mirror boy!
鏡のところに行くんだ、きみ!




Father:
父親:


I often wonder what he's feeling.
わたしは
よく不思議に思うのです
この子は何を感じているのだろうかと
Has he ever heard a word I've said?
この子には
わたしが言うことは一言も聞こえてないんでしょうか?
Look at him now in the mirror dreaming
見てください
いま、あの子は鏡の中で夢を見ているんです
What is happening in his head?
あの子の頭の中で何が起こっているんでしょうか?




Tommy:
トミー:


Listening to you
あなたに耳を傾けて
I get the music.
ぼくは音楽をもらってるのです
Gazing at you
あなたのことを見つめて
I get the heat
ぼくは熱気を得ています
Following you
あなたにつきしたがって
I climb the mountain
ぼくは山を登ります
I get excitement at your feet!
あなたの足許で
ぼくはこころの昂ぶりを覚えるのです




Right behind you
あなたのすぐ向こうに
I see the millions
何百万という多くの人々が見えるのです
On you
あなたに
I see the glory.
ぼくは栄光を見ているのです
From you
あなたから
I get the opinions
ぼくはオピニオンを得ています
From you
あなたから
I get the story.
ぼくは物語を得ているのです




Father:
父親:


What is happening in his head?
この子の頭の中で何が起こっているんだろう?
Ooooh I wish I knew,
あゝゝゝ、わたしにわかればいいのだが
I wish I knew.
わたしにわかるといいのだが






Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞






∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮




両親に連れられ、医師のもとにやって来たトミー、
さまざまな検査を施され、医師の問診を受けるが、
あいかわらずトミー(の内面の声)は、




See me,
Feel me
Touch me,
Heal me.


ぼくを見て
ぼくを感じて
ぼくに触って
ぼくを癒して





というもので、このトミーの声はけっして彼以外の者に届くことはない
いたずらに彼の内に谺するばかりだ。


「(ぼくのことを)見て、感じて、さわって(ほしい)」


この声、(この訴え)は、きわめてセンシュアルなものだ。*1
(わたしが)「触覚の予感」(と言ったもの)をかきたてる呼び声、(もしくは)いざないだ。
(世界中の女に言われてみたい言葉である(笑い))
(ときには男子たるもの、自分の股間からのその呼び声に自ら応えてしまうことも大アリだろう)(これは(けっして)ジョークばかりではない)


トミーの内面のこの声、それは(もしかしたらフロイト精神分析学で言う)「リビドー」libido に重ねることのできる「求め」であると言えるのかもしれない。

そんな彼の内面を統括してるものは何なのだろうか?
医師はトミーを鏡に向かわせる。
トミーが鏡の中に何を見るのか、見せてみようというわけだ




Go to the mirror boy!
坊や、鏡のところに行ってごらん!



するとトミーの内面に明らかな変化が生じる、
トミーの内なる声が変わったのだ。



Listening to you
I get the music.
Gazing at you
I get the heat
Following you
I climb the mountain
I get excitement at your feet!


あなたに耳を傾けて
ぼくは音楽を得るのです
あなたのことを見つめて
ぼくは熱気を得ています
あなたにつきしたがって
ぼくは山を登ります
あなたの足許で
ぼくはこころの昂ぶりを覚えるのです
     ・
     ・
     ・
     ・
     ・


この「あなた」とは(もちろん、よくはわからないが)、
(しかし)トミー自身の自己と考えるのが自然だろう。*2
本来、言葉として聞こえるべきものが音楽のようなものとして感知され、
また、本来、ひとつの像として見えるべきものがある種の熱として感知されるというのは、十分に常識の範囲で想像できることだろう。


実は、精神療法的には、現実問題として、こういうトミーのようなケースでは家族ぐるみの治療が必要なのだ。
家族全員が参加するかたちでの長期にわたる療法、
そうなったときこそ(トミーのみならず、父親と母親の心の秘密の)真実も見えてこようというものだ。


そのことをこの少年のご両親にお伝えすると、明らかに何やら訳がかありそうなぎこちないそぶりでそそくさと子供を連れて帰って行ってしまいましたとさ・・・・・・。

*1:ふつう日本語では「官能的」と訳されるこの「センシュアル」 sensual という語は 「sense」、すなわち「感覚」から派生した語であることはっきりと意識しておくといいだろう。

*2:ケン・ラッセルの映画版では、医師の登場以前からトミーは鏡にばかり向かっているという展開になっており、鏡に映る自分の姿を追いかけて想念の世界に遊ぶといったシーンもある。映画では、また、母親の愛人に殺された父親が(シェークスピアの「ハムレット」の父の亡霊を思わせるがごとく)たびたびトミーの想念の世界にその姿を現していたが、殺されたのが(母の愛人ではなく)トミーの実の父親としたことが、映画版では多くの点で都合のいいかたちで展開することになっていたようだ。