Another Brick In The Wall Part 2

Words & Music by Roger Waters.
(1979年発表)



(原題直訳 「壁の煉瓦のそのひとつ」その2)





From The Pink Floyd album, "The Wall".
名作アルバム度 ☆☆☆


ザ・ウォール」 (ピンク・フロイド





歌詞は、次のURLから
http://www.pink-floyd-lyrics.com/html/another-brick-2-wall.html




名曲度 ☆☆☆




邦題「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール(パート2)」 (ピンク・フロイド








(悲鳴




We don't need no education
おれたちには教育など必要ない
We dont need no thought control
おれたちには思想統制など必要ない
No dark sarcasm in the classroom
教室に陰険な皮肉などなくていい
Teachers leave them kids alone
教師どもよ、自分の生徒たちを放っておけ
Hey! Teachers! Leave them kids alone!
おいッ! 教師どもッ! 生徒たちを放っておけ!
All in all it's just another brick in the wall.
ようするに
こんなものはただの壁の煉瓦のそのひとつにすぎないのだ
All in all you're just another brick in the wall.
結局のところ
人は城壁のただの煉瓦のひとつにすぎないのだ




(♪ 以下、子供たちの歌声で)


We don't need no education
ぼくらには教育なんかいらないよ
We dont need no thought control
ぼくらには思想誘導なんかいらないよ
No dark sarcasm in the classroom
教室には陰鬱な皮肉なんかいらないよ
Teachers leave them kids alone
センコーどもは、子供たちをほうっておけ
Hey! Teachers! Leave them kids alone!
よお! 先公どもッ! 子供たちを放っておけって! 
All in all it's just another brick in the wall.
結局のところ、こんなものは壁の煉瓦でしかないんだ
All in all you're just another brick in the wall.
ようするに
おまえら先公どもも、みんな、城壁のただの煉瓦の一個にすぎないんだ




(♪ ギターソロ




(spoken)
(セリフ)

"Wrong, Do it again!"
「違う、もう一回やってみろッ!」
"Wrong, Do it again!"
「違う、もう一回やってみろッ!」
"Wrong, Do it again!"
「違う、もう一回やってみろッ!」




"If you don't eat yer meat, you can't have any pudding.
「肉を食べないなら、プリンを食ってはならんぞ
How can you have any pudding if you don't eat yer meat?"
「肉を食わんのに、よくプリンが食えたもんだな




"You! Yes, you behind the bikesheds, stand still laddy!"
「おまえッ! そうだ、自転車置場の裏にいるそこのおまえ、小僧、動くんじゃないぞ!





(電話の呼び出し音が繰り返し鳴る)



(受話器のこちら側で溜息)






Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞





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ピンク・フロイドの初めてのヒット・チャート・ナンバー1・シングルとなったこの曲だが、当然のことながらBBCは
この曲を局内のオンエア除外リストに記載した。俗に言う「放送禁止」である。



繰り返される歌詞の2度目の部分は、ロンドンのある学校の生徒(13歳から15歳の子供たち)23人によるもので、かなり強烈だ。*1




We don't need no education
We dont need no thought control

ぼくらには教育なんかいらないよ
ぼくらには思想のコントロールなんていらないよ




教育というものがどうしても既存の体制のイデオロギーを帯びてしまうことは否めない。*2
また、学校の(すなわち教室)という空間は、子供たちがいちばん最初に体験する制度化された社会空間=社会時間である。*3すなわち、その社会空間=社会時間で(私たちは、かつて幼い魂として)(知という光を浴びる、それ以前のこととして)まず、その社会時空間にふさわしくあるべく(型どおりの規格に適った)(そして「社会」を維持していくに必要な力能を備えた)(煉瓦の一個として)「訓育」されることからはじまるのだ。そうした「要請」のもとに初等(及び)中等の(義=務)教育という(社会)制度があるのだ。(そして、人は(大人しく)それに従っていれば「国家」や「社会」に守られて(さしたる危険や困難もなく)生きていけることを(徐々に)学んでいくことになる。)
(「教育」(がイデオロギーである)というのは、まず、そういうことなのだ。*4




No dark sarcasm in the classroom

教室に陰険な皮肉などなくていい




先の引用箇所が「国家」や「制度」による「教育」に対して向けられていたものとするなら、この部分は(その末端のエージェント(=代理人)である)(具体的な顔と名前を持った特定の)教師に向けられている。
教師の不注意な言動というものが、そして、また(ある種の教師たちが)意識的に(ときには楽しむように)(悪意から)子供を傷つけるのも(また、たしかに)ありうることだろう。(・・・それは何かのニヒリズムの顕われなのだろうか・・・?)
そして、「学校」というものが(人の未開の闇を(光のごとき知で)「啓く」(ひらく)どころか)(逆に)個人が年齢を重ね、生きていく上で*5周囲に対して己を閉ざし、自分の周囲に張りめぐらす「壁」(すなわちこのアルバムのテーマであり、表題である「壁」)を形作るその石、すなわち煉瓦のひとつとなってしまうのだとピンクフロイドは歌う。




All in all it's just another brick in the wall.
All in all you're just another brick in the wall.

結局のところ、こんなものは壁の煉瓦でしかないんだ
ようするに、おまえら先公どもも、みんな、城壁のただの煉瓦の一個にすぎないんだ




1979年の11月にクリスマス向けの商戦として売り出されたこのアルバムと、そこからシングル・カットされたこの歌「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール(パート2)」は、12月の第3週にはヒット・チャートの1位となり、そのままトップの座を3週連続して維持し、実に1970年代最後のチャート・トッパーとなった大ヒット曲となったのだった。*6ついでに言っておくと、1979年という年は(その年の5月の)総選挙で保守党が勝利して、マーガレット・サッチャーが首相に就任した年であり、そこからイギリスの(ほとんど「革命」と言ってもよいほどの)大改革、すなわちイギリスの1980年代がはじまったのだった。

*1:このアルバムをプロデュースしたボブ・エズリンは(やはり彼がプロデュースした)アリス・クーパーの(アンチ学園モノ)「スクールズ・アウト!」(放課後だッ!)という名曲でも子供たちによるバックコーラスを入れるということをしているほか、ルー・リードの劇的な名作「ベルリン」でも母親を当局に連行された子供たちの泣き声という設定で自分の娘たちの泣き声を録音して使用するなどしているので、これは彼の得意技だと言えるだろう。>ルー・リード「Kids」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20060522

*2:これに関して、わたし個人の考えは、ジョン・レノンの「労働者階級の英雄」に寄せた駄文で僅かばかりだが述べてある。http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050730

*3:フローベールの名作「ボヴァリー夫人」が「教室」という空間、そこに連れて来られる「転校生」シャルル・ボヴァリーのある体験から始まっていることは、フローベールのこの作品に賭ける文学的思想的野心をよく物語るくだりのひとつだろう。ジョイスの「若き日の芸術家の肖像」にも(たしか)「教師」と「教室」をめぐる恐怖に触れたくだりがあったと記憶している(が、とりあえず今夜は未確認)。

*4:したがって、わたくし的には、昨今言われる「学級崩壊」というのは、どことなく人類の進化の微かな兆しのように思えて(どちらかというと)喜ばしいことの部類として思えるのだ。どうしても、世間(というお節介で嫉妬深い小役人根性に汚染された意識の集合)は自由な魂を、自由な人間を許そうとはしないものである(というようなことは、誰もが(多少なりとも)(どちら側からにせよ)経験的に知っていることだろう。いわゆる「neet」にしろ「学級崩壊」にしろ(ひたすらネガティヴに「問題」視され、また「問題」化さてばかりいるが)、それをひとつの(ある種の自然のあらわれ)(というか、ある種の臨界を超えてしまった社会的な必然としての)あらわれ(=社会現象)として(その実態をありのままに捉えることで)けっして、それを(いたずらに)「矯正」や「是正」の対象として見るのでなく、、それが暗に示している方向性というものを見出していくことで(逆に)社会のデザインを修正したり調整しなおしたりする方向に(わたしたちの叡智を)組織していくことが重要なように(わたしには)思えるのだ。

*5:あえて、それを「成長」とは呼ばないでおくとしよう。

*6:大西洋を挟んだ向こう側のアメリカでは3ヶ月遅れて、1980年の3月の4週に1位となり、そのまま4週連続トップをつづけた。