Who'll Stop The Rain?

Words & Music by John Fogerty.
(1970年発表)




(原題直訳 「誰が雨を止ませるのだろう?」)




From Creedence Clearwater Revival album, "Cosmo's Factory".
名作アルバム度 ☆☆☆☆

「コズモズ・ファクトリー」 (クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル


And their live album, "The Concert".
名作アルバム度 ☆☆☆☆☆

「ザ・コンサート」 (クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル


歌詞は、次のURLから
http://www.lyricsfreak.com/c/creedence-clearwater-revival/34319.html




名曲度 ☆☆☆




邦題 「フール・ストップ・ザ・レイン」 (クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル






Long as I remember the rain been comin' down,
思い返すと、この雨はずっと長い間、降りつづけ
clouds of mystery pourin' confusion on the ground.
不可解な雲が地上に混乱を注いでいるのだ
Good men through the ages tryin' to find the sun.
心正しき者たちは
何世代にもわたって太陽を見い出そうとしている
And I wonder, still I wonder who'll stop the rain.
そして、ぼくは不思議に思うのだ
いまだに、ぼくは
誰がこの雨を止ませてくれるのかと考え込んでしまうんだ




I went down Virginia seekin' shelter from the storm,
ぼくは
この嵐からの避難所を求めて
ヴァージニアまで出かけていき
Caught up in the fable I watched the tower grow
寓話に没頭して、塔が高くなっていくのを見守った
Five year plans and new deals wrapped in golden chains.
黄金の鎖が巻きつけられた5ヵ年計画や新しい諸政策*1
And I wonder, still I wonder who'll stop the rain.
そして、ぼくには不思議でならないのだ
この雨を止ませるのは誰なのだろうと
ぼくはいまだに考えてしまうのだ




Heard the singers playin', how we cheered for more.
歌い手たちが演奏するの聞いて、
ぼくらは、もっとやってくれと、どれだけ喝采したことか
The crowd had rushed together tryin' to keep warm.
群集はみんなして群がり、動こうとはしなかった
Still the rain kept pourin', fallin' on my ears
雨はいまも降りつけて、ぼくの耳にまで届いてくる
And I wonder, still I wonder who'll stop the rain.
そして、ぼくは不思議に思う
いまでもぼくは誰がこの雨を止ませるのだろうかと
不思議に思ってしまうのだ





Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞






∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮






ジョン・フォガティの書くクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルの曲には、「旧約聖書」の預言者たちの語り口に似せたスタイルの曲が少なくないが、
この歌も(ずっと)ヴェトナム戦争と関連づけて語られてきた曲だ。
そして、この歌でも「雨」は(やはり)「戦争」という衣装を無理矢理着込まされてしまうのだろう。


・雨はただずっと降っている
・誰がこの雨を止ませるのだろう


というその2つのことが歌われている(だけの)歌ではあるのだが・・・・・。*2


この曲についても(たぶん)(その)「雨」という語のシンボリズムをめぐっていろんなことが言われているのかと思うと、考えるだけで食傷気味になってくるのだが、皆さん、そんなにひとつの確かなものを欲しているのだろうかと(この歌の歌詞ではないが) I wonder である。

「雨」が何なのかかと(雨以外のものを「雨」だと言ってみる明らかな虚偽を)考えてみるよりも、「雨」がどういうものかと(雨というもののその性質の豊かさに)思いをめぐらせるほうが、わたしたちの精神にもたらす効果ははるかにすばらしいものがあるだろう。そうした「雨」というもののありようをめぐる多様性に思いを馳せ、そこからいろんなものやことを視てみること。それはわたしたちの心を豊かにしてくれるだろう。「雨」は「雨」なのです*3


例えば、あのブルース・スプリングスティーンは、そういうことは(自分の歌の歌詞でさんざんファンや評論家やジャーナリズムから多くのお粗末な矮小化や無責任な限定をされて)もう辟易としているはずだが、2003年の全米ツアー(野球場やフットボール場などの野外スタジアムのスケジュールがぎっしりだったツアー)の雨が降った日のオープニングには、必ずCCRのこの曲からコンサートをはじめたという(もう、いま書いていていても鳥肌が立って自ずと目が潤んできてしまうぐらいの)ステキなニュースが当時伝えられたが、あのスプリングスティーンがステージに出てきて、いきなり雨の中のこれを歌うんです!


もう一度、上の歌詞を読みながら口ずさんでみるといい。(もちろん音源のある人は聴いてみたらいい)そこには(スプリングスティーンがそういう状況の下で(たとえ半ばジョークとしてのウォーミングアップだとしても)スタンドの悪条件の観客に向けてショーの冒頭で歌ってのけるということで)この歌がそのとき/その場で(確実に新たに)生まれ変わっているのを耳の奥で想像することができるだろう。これが歌なのだ。名曲の持つ豊かさなのだ。

それにしても「ヘルター・スケルター」で「歌詞」の「言葉」のことをやったのが、こうやって id: yomoyomo さんのところと連携するかっこうで(雨の中を)繋がってくるのはなかなかステキなことである。このページがうまくいってることのひとつの証だろう。毎日、立ち寄ってくださってるみなさん、どうもありがとう、わたしにもとても励みになります。今後ともライヴ進行でよろしくお付き合い願います。



・・・ということで、はい、こっから先は世の音楽ライターさんとかそういう人たちのお仕事ですよ・・・



この曲は、ニック・ノルティ主演、カレル・ライス監督の映画「ドッグ・ソルジャー」の挿入歌としても使われ、そればかりか、この映画のアメリカでの公開タイトルは封切直前になって(この曲のヒットにあやかり)「Who'll Stop The Rain」に急遽変更されたりしている*4

http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD6440/story.html


音楽的なゴシップ好きにサービスするなら、この歌の第2連にある「嵐からの避難所を求めて」seekin' shelter from storm というくだりと(さらに)次の第3連のコンサート会場(らしき)くだりを歌ったところとローリングストーンズの「ギミー・シェルター」Gimme Shelter(アルバム「レット・イット・ブリード」所収)という曲(また、同名の彼らの全米ツアーのドキュメンタリー映画 http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD9850/comment.html)の関連、さらにボブ・ディランの「嵐からの避難所」Shelter From Storm (アルバム「血の轍」所収)の関連を時間軸に沿って(あれやこれやと)(面白おかしく真剣に)楽しく(妄想たくましく)展開してみることもできるだろう。面白い話ができたら、是非、チャールズ・マンソンに教えてあげるといいだろう。

*1:普通、「ニューディール」と言えば、歌には大文字も小文字もないので「the New Deal」と綴られるフランクリン・デラノ・ローズヴェルト大統領の大恐慌後の社会主義的な経済復興政策を音韻的に連想し、「5ヵ年計画」もソ連の国家建設の大規模な社会事業を連想するはずだ。

*2:当然のことながら、「聖書」で頭の中をコンディショニング(=条件づけ)された人間には、それは「大洪水」を連想させ、また予感させるという仕組みになっているわけだ。

*3:そして(雨のように)降りしきるもの、浴びせかけてくるものもまた広義に「雨」とされている。そうやってわたしたちは比喩として(またさらに複雑な位相変換を経た)象徴として「雨」にいろんなものを、また「雨」をいろんなふうに視ることができるのだ。

*4:日本では映画の原作となった作品の原題どおり「ドック・ソルジャー」の邦題で公開された。