Just a Little Bit Better


Words & Music by Kenny Young.
(1965年発表)


(原題直訳 「ほんのちょっとだけマシ」)



Performed by Herman's Hermits.


You can listen to their compilation album,
such like "Herman's Hermits Their Greatest Hits".
推奨アルバム度 ☆☆☆☆☆

(ハーマンズ・ハーミッツ)






歌詞は、次のURLから
http://www.123lyrics.net/h/hermans-hermits/just-a-little-bit-better.html




名曲度 ☆



邦題 「恋はハートで」 (ハーマンズ・ハーミッツ)







He may send you flowers baby every single day
あの人なら、連日、毎日
きみに花を贈ったりするんだろうね
Buy you fancy clothes from Paris
きみのために
パリからステキな服を取り寄せてあげるのかもしれない
And have sweet things to say
そして、しゃれた言葉も口にするんだろうね
But I can give you love, sweet sweet love
だけど、ぼくはきみに愛をあげられる
ステキな、ステキな愛を
Now ain't that just a little bit better
さあ、
こっちのほうがほんの少しだけでもいいんじゃないかい?
Uh-ho-ho, uh-ho-ho, uh-ho-ho
アッハー、フムフム、




He'll take you to nightclubs in a shiny limousine
あの人は
ピッカピカのリムジンできみをナイトクラブに連れて行くんだろう
Buy you furs and diamond bracelets
きみに毛皮とかダイヤの腕輪を買って上げて
Make you look just like a queen
きみを女王みたいに仕立て上げてしまうんだろうね
But I can give you love, sweet sweet love
だけど、ぼくはきみに愛をあげられるよ
ステキな、ステキな愛をね
Now ain't that just a little bit better
さーて、
こっちのほうがほんのちょっぴりだけでもいいんじゃないかい?
Uh-ho-ho, uh-ho-ho, uh-ho-ho
アッハー、フムフム




Love, love, love is what I could give ya
愛だよ、愛、
愛情こそが ぼくがきみにあげられるもの
True, true love as long as I may live
ぼくが生きていくだろう本当の、真実の愛さ




Well, he may want to buy a fancy mansion on a hill
そうだなあ、
あの人はきみに
丘の上のステキなお屋敷を買ってあげたりするのかもしれないな
Will you live with him forever ?
きみはあの人とずっといつまでも暮らしてくんだろうか?
Baby that ain't such a thrill
ねえ、きみ、
そんなのって全然つまらないんじゃないかい?
'cause I can give you love, sweet sweet love
だって、ぼくは愛をあげられるんだよ、きみに
ステキな、ステキな愛を
Now ain't that just a little bit better
さあ、
こっちのほうがほんの少しだけいいんじゃないかい?
Uh-ho-ho, uh-ho-ho, uh-ho-ho
アッハー、フムフム
アッハー、フムフム






Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞





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きのう紹介したマンフレッド・マンのヒット曲「ミスター・ジェームズの花嫁さん」もそうだが、
自分より(社会的に)上のクラスの男に自分の女を獲られてしまうことについての歌が、20世紀中頃のイギリスの歌には少なくない。

例えば、これが日本の(とりわけ第二次世界大戦敗戦後の)「昭和歌謡」と称される一群の歌謡曲であるならば、それは(もろダイレクトに)「階級差」とはならず、あくまでも(民主主義的に)「地方と東京」という(長い目で見る)近代化の(短い目で見る「戦後の復興」の)途上ならではの(極言すれば)「都市と農村」の対立の構図を(イヤでも)物語るものとなるわけだが*1、すでに「大英帝国」という一大世界帝国の急激なる衰退のさなかにあったイギリスにおいては(それは「近代化」などではなく)それは(大衆社会化状況、そして大量消費社会の到来という)まさしく過酷な「現代」への直面というかたちで逃れようのない未曾有の一大社会現象として現れた。


この歌、ハーマンズ・ハーミッツの「恋はハートで」がヒットした20世紀中葉、すなわち1960年代中期の当時のイギリスの社会には、まだ根強く「オレたちとヤツら」 Us and Them (あるいは「わたしたちとあの者ども」)という大いなる分断があり、イギリスには「ふたつの国=民」があると言われていた。早い話が「階級社会」、つまり「階級差」である。
だから、ハーマンズ・ハーミッツが歌うこの歌も(一聴したところ)そういう「ヤツら」に(オレ(たち))の女を持っていかれてしまうことへの無力な抵抗を歌っているかのように聴こえるが、しかし、実はそうではない! というところが、この歌の(そして、この時代ならではの)奥の深さを物語っている。



(さて、どういうふうに話をもっていくか・・・・・!?)


例えば、ビートルズが出て来るまでのイギリスといえば、それは世界的に「大英帝国の栄光」であり、あるいは「紳士の国」、また「霧の都ロンドン」というイメージが広く世界に行き渡っていた。それは薄暗く、お堅い、(おまけにメシもまずい)、退屈でつまらない国ということだった。そこにビートルズが登場した。世界の大人たちはビックリした。どうしてイギリスみたいな国からあんなもの(!)が出て来たのか!? 何だあのアタマは! 何だあのやかましい騒音は!? あれを音楽というのか!? イギリスも落ちたものだ・・・・という具合である。
それはイギリス国内においても変わらない。ビートルズの最初の映画「ヤァヤァヤァ」の中に汽車のコンパートメントでたまたまビートルズと乗り合わせてしまった(いかにもな)英国紳士が「なんてこった、わしらはこんなヤツらのために命賭けで戦争してたというのか」と嘆いてみせるシーンがあるが、それなどひとつの例証になるだろうか。

そして、そこに今度は(当時はまだファッション・デザイナーだった)マリー・クァントの大胆なミニ・スカートが登場して、世界はまたしても、あわてふためく・・・・。

女性があんな大胆なかっこうをするとは! (ニンマリと)許せん!
マァ、はしたない、見て、あの格好!

それは「男があんな髪型をするとは!」に呼応したものであり、ミニ・スカートに合わせて、男性のファッションも急激にさかんになる。とくにこれまでお洒落などとは無縁だったワーキングクラスの(日本で言う「中卒」にあたる)若い労働者層が(昼間は社会の下働きのような職業に就きながら)夜はばっちりタイトなスーツでキメておしゃれなクラブで踊りまくる。そう、「モッズ」というひとつの動き=社会現象である。

そこにはもちろん彼ら若い労働者たちの可処分所得の上昇というけっして見逃すことのできない条件がある。
ようするに好景気であり、明らかに必需品とは言えないものに(社会の下層の人々の)多くの金がつぎ込まれるような、そんな時代の到来であり、それはまた(見方を変えれば)第3次産業の急激な台頭でもあった。
(ちょうど日本列島で言えば、「高度経済成長期」がユーラシア大陸をはさんだ反対側でこれにパラレルなかたちで(大衆社会化状況の発生とともに)進行していた)


イギリスの社会におけるこうした新しい動き、それは言うまでもなく若い力によって推進された。そして、その若さというエネルギーが作り出した躍動という波動は世界へと広がり、世界各地の若さがこれに呼応し連動していく。要するにそれが(いわゆる)「(黄金の)1960年代」Solid Gold Sixties というヤツであり、その「若さ」の共和国の首都となったのが「スウィンギング・ロンドン」と呼ばれた当時のロンドンであり、イギリスは(いまや)「ビートルズとミニスカートの国」として、音楽とファッションの世界最強の発信地となり、そのセンターとなっていた。



そして、ビートルズもマリー・クァント(マリー・クワント、マリー・クアント)も外貨獲得の功績によって女王陛下から栄誉ある勲章を貰う。
これにはイギリス国内から大きな不満の声が上がる。戦争での勇敢な行為によって受勲した人々から、おれたちがどうしてビートルズみたいなあんなものと同列に扱われなきゃならんのだ、と勲章を女王に返上する者まで出る騒ぎとなった。

ちなみにビートルズが貰った勲章(M.B.E.)は最下級のものではあるが、正式名称を「Member of the Order of the British Empire」。つまり「大英帝国という体制の一員」であることを認めるいう勲章である。
ということは、いつもぼくは考えてしまうのだが、勲章を貰って、人は(=英国人は)初めて「大英帝国」の一員になるということなのか。
だとしたら、「国家」と「国民」はひとつのものではないということ。「国=民」というのは実はありえないということになるのではないか。(とカマトトしてみるのですが)、これは「国民国家」Nation States なんていつまでも言ってちゃダメダメというわたしの主張のためにするトリッキーな言い草ですから、あんまり本気にしないよう。
そして、マリー・クアントが貰ったのは、ビートルズよりもワンランク上の(第4級にあたる)「O.B.E.」で、こちらは「Officer of the Order of the British Empire」ということで大英帝国の(一員である以上の)「職員」扱いに(額面上は)なっている。



で、彼らに代表されるような若い成功者が続出したのがこの時代のイギリス社会だ。
従来のイギリス社会なら(社会の)「裏方」とされていた業種の若い優れた才能が次々とモダン・リヴィングの先導者として社会の注目を集め、脚光を浴びる。そして、彼らは旧来のイギリスの上流社会の資本と手を組んで自分たちの仕事を企業化し、イギリス国内はもちろん、アメリカをはじめ西ヨーロッパ諸国、さらには日本にも進出して次々と成功を収めていく。家具デザイナーのテレンス・コンラン、ヘアデザイナーのヴィダル・サッスーン、ほかにもメンズ・ファッションのジョン・スティーヴンなど・・・・がこの時代に登場した若き寵児だった。

彼らの台頭は旧来のイギリスの社会のパースペクティヴに(つまり「階級社会」に)揺らぎを与える。
「クラスレスネス」classlessness (無階級性と)いう言葉が時代のキーワードのひとつになったのもこの時代の特徴のひとつだ。
例えば、それは喋り方ひとつにおいてもはっきりと現れた。どんな国のどんな社会でも(身分というか)(その社会における位置によって)その人間の言葉遣いというものは(同じ国語を話しながらも)明らかに違いが生じる。さながら地域差による方言のように社会的な位置の違いに、階級差(それは社会の中での役割分担の違い、つまり職業にもっともよく反映されてくる漠然とした段差としての階級差であるのだが)によってもそこに(何らかの偏り(=バイアス)を帯びて)喋り方の違いが生じてくる。イギリス英語の場合、発音やイントネーションだけでなく使う単語もまた違ってくる(実例はいずれここらへんに加筆しとくね)(このダイアリーはわたしの公開作業場なのでべつの日付のとこでもしょっちゅうマイナー・チェンジがなされています)。ところが、このスインギング・ロンドンの時代、若きヒーローたちは従来の階級差とはまた違う異質な新しい英語を喋りはじめる。それは地域という空間の違いでもなく、階級という社会空間の違いでもない、その時代のイギリス社会に生きる若い世代が呼吸し感じていた新しい時代(あるいは「(時代の)新しさ」)を感知し、それを反映した喋り方、つまり「現代」という時間的な違い、時間差を反映したものだった。
ぶっちゃけ、いまの日本の子供だって親と全然異なる日本語を喋ってるでしょう。ってことなのだが、そういうことは世界的に1950年代の中頃あたり以前には(あったとしてもひじょうに微々たる遅々たるごく自然な変化のしかたでしかなく)1960年代中期以降からは、それが不自然なまでに大股に大胆に変わりはじめる。そして、この時代の若い人気者や成功者たちの喋る言葉に(ある種の)無階級性が生じはじめる。繰り返すが、それは方言という地域差でも階級差という社会的身分的なものでもない「現代的」な喋り方をはじめたのだ。親たちの言葉と違い言葉を喋りはじめるワーキングクラスの若い男女。当時のイギリスの場合、この「クラスレスネス」な喋り方のひとつの例として注目されたのが(日本でもビデオが手に入る)TVの人気音楽番組「レディ・ステディ・ゴー」Ready,Steady,Go! の女性司会者のキャシー・マッガワンの英語だった。(資料をいちいち手許に揃えるのに(たとえレンタルでも)何かとカネがかかるもんジャズるのココロ(泣き))。そして、こうした”無階級な”英語は、イギリスの初の純正国産ロックンロール・スター、クリフ・リチャードにはじまるという主張も複数ある。(これをどこで読んだかあらためて調べたりしないと(ウフフ)論いかんわけですネ、わかりやんしたーのらびしゃんかーる)

で、とりあえず、今夜のおいらのお喋りのつづけるための(ためにする話をするなら)ビートルズとかマリー・クアントとか若いワーキングクラス出身者の感性的な閃きの結実が、旧来の社会のパースペクティヴ*2から逸脱したあまりに大きな脚光を浴び、それがしかも海外でも大きな感動と共感とともに受け容れられ評価される。しかも巨額の外貨がそれによってもたらされる(ちょうど「ジャパニメーション」みたいなもんニャロメ)。

そういう(これまでになかった)社会の崩れた構図こそが「現代」であるというある種の納得とか了承(もちろんそれは認識ではないだろう)が広く社会的な通念の域で受容される。当然、これは社会的な(地殻変動とまではいかないながらも)(少なくとも)地滑りは生じさせるに十分な時代意識が形成されてくる。


また、この時代には「スピード」の愛称でアンフェタミンという覚醒剤が(先述の)「モッズ」と呼ばれる若者の間に蔓延し*3、さらにはマリファナやLSDの流通が意識をコズミックな域にまで拡張して次なる流行や社会現象を導くことになる。
また、オスカー・ワイルドにかつて「獄中記」を書かせることになったその同じ社会が、今度は同性愛を社会犯罪として刑罰を課すような法律を廃して、同性愛を合法化しようとする動きを受容するなど、この時代のイギリス社会は(社会学的な術語を使えば)「許容社会」Permissive Society という語で称され、まさにこの語をキーワードに扉を開いて滔々と物語るならば、さながらそこにいまの化石が掘り起こされるかのような錯覚を覚えることだろう。それほどにいまのこの21世紀初頭の世界のルーツが(当時のこの歌の周辺に)いくらでも見出されることだろう。



かつてウディ・アレンは(何だったか忘れたが、自作の短編の中で)「近代とはニーチェの「神は死んだ」からビートルズの「抱きしめたい」までの間を指す」といった内容の実に素晴らしい閃きに富んだ与太を飛ばしていたのを読んだことがあるが、アメリカでアンディ・ウォーホルがその「キャンベルのスープ缶」で終わらせた近代をイギリスではビートルズがその「プリーズ・プリーズ・ミー」で終わらせたと(そのアレンの与太をここでわたしが)パラフレーズすることもできるだろう。
そして、それは単にアメリカとかイギリスという一国単位のことではなかったことは言うまでもないだろう・・・・・こうして、わたしたちの「現代」がはじまったのだ・・・よ、諸君!



(で、再び話を1966年(ぐらいにしときましょうか)のイギリスに戻すと)

ビートルズの4人も、マリー・クアントも(言うまでもなく)ワーキングクラスの人間だ。そしてビートルズは(言わずと知れた)リヴァプールの出身、クアントはウェールズの人間だ。
「スウィンギン・ロンドン」と呼ばれたこの時代のイギリス社会に登場した若い才能に多く共通していたのは、ワーキングクラスの出身で、しかも地方出身者と(できれば北部訛りが望ましい)ということで、実際にそれだけである種のトレンドとして「in」(=○)であり、ひとつの「強味」として扱われていたという。

ミケランジェロ・アントニオーニの映画「欲望」のモデルになったファッション・カメラマンのデイヴィッド・ベイリー(デビッド・ベイリー)なども、それに該当する人物だった。

(映画ついでに)この時代のイギリスをよく体現していたと思われる俳優がマイケル・ケインであり、女優で言えば、それはジュリー・クリスティーになるだろうか。1966年当時の年齢で言えば、彼らはそれぞれ33歳と25歳であり、出演作品で言えば、ケインが「アルフィー」(まさにズバリ!)、「泥棒貴族」、クリスティーが「ダーリング」(これもビンゴ!)、「華氏451」となる。




で、もう一度、ようやく本題に戻ると(アハハ、こっちが本題なんだナ、すっげえ贅沢!)ハーマンズ・ハーミッツのこの歌に出て来る「He」(演出の都合上「あの人」と訳してみたが)は、旧来の階級社会におけるアッパークラスの人間ではなく、同じワーキングクラスの成功者と考えるのが妥当であろう。
という、これを言うために延々と迂回してきたわけなんです。バカですね。旧来の上流階級の男は(まず)そうした(それこそ)下賎な女に真面目な関心を示すことは社会常識的にありえず(そういうことをしないのが「上」の人間の矜持であり、品位であったわけで)、あったとしてもそれは(スキャンダルいなるぐらい)ひどく異例なことだろう。もちろん好色とか漁色ということでなら、それはいつの時代もどこでも大いにあっただろうが、それはまたこの歌にあるような真面目な関心とはべつの範疇のよくある話となるだろう。
出身階級は同じながらも(おそらくは)年齢が上であり(ある意味で、お互いにある年齢までは、これだけで十分に劣位に立たされることになる)、しかも(明らかに)カネがある。
ハーマンズ・ハーミッツが歌うこの歌の主人公が張り合おうとしている相手はそういう男=「he」(その人)である*4




Ain't that just a little bit better
こっちのほうがほんの少しだけいいんじゃないかい?



カネやモノや年齢(からくる落ち着きや)洗練に対して、ただ無形な気持ちだけで張り合おうとする歌の主人公が、自分の気持ちを一途に押し立てて「こっちのほうが少しはいいだろ?」と「きみ」に問いかける。


しかし、聴く者の多くは(おそらく)どう考えても、この主人公がそれで優位に立てたと考えることはないだろう。

それが世の慣わし、That’s the way of the world.

*1:その最後の曲となったのが(実際はいくらかパロディー風に昭和歌謡の一典型をあえて援用して作品化した)松本隆・作詞の太田裕美の「木綿のハンカチーフ」だろう。

*2:perspecive 「遠近法」って意味ネ。転じて「構図」っていうふうに受け取ってくれればいいです

*3:それはけっして酩酊を目的とした使用ではなく、昼間9時〜5時で過酷な社会の下働きに従事する彼ら非熟練の若き男女の労働者たちが夜中になっても元気に遊びつづけるための(いわば覚醒剤本来の用法にかなった)実用的な使用目的で使われた

*4:どうせだから、マイケル・ケインにこの役を演ってもらうとしましょうか(笑い)