Smoke On The Water

Words & Music by Ritchie Blackmore, Ian Gillan, Roger Glover, Jon Lord and Ian Paice.
(1972年発表)







(原題直訳 「水上の煙」) *1







歌詞は、次のURLから、
http://www.loglar.com/song.php?id=16540&lang=ja







From the Deep Purple album, "Machine Head".  *2

名作アルバム度 ☆☆☆☆☆



アルバム「マシン・ヘッド」(ディープ・パープル)より








Also on the Deep Purple live album, "Made In Japan". *3

名作アルバム度 ☆☆☆☆☆



アルバム「ライヴ・イン・ジャパン」(ディープ・パープル)より









名曲度 ☆☆☆☆☆









邦題「スモーク・オン・ザ・ウォーター」 (ディープ・パープル)










We all came out to Montreux
おれたちは全員でモントルーにやって来た
On the Lake Geneva shoreline *4
ジェネヴァ湖の湖畔で
To make records with a mobile *5
移動スタジオでのレコードづくりをするためだ
We didn't have much time
おれたちには時間はあんまりなかった
Frank Zappa and the Mothers
フランク・ザッパマザーズ
Were at the best place around
このあたりじゃいちばんの場所に出演していた
But some stupid with a flare gun
ところが、どっかのバカが照明弾で
Burned the place to the ground
その場所に火をつけて焼き落としてしまったのだ




Smoke on the water,
水面の煙
Fire in the sky
空には火が
Smoke on the water
湖水の煙




They burned down the gambling house *6
その火は賭博場を焼き払い
It died with an awful sound
恐ろしいほどの音を立てて、そこは崩れ落ちた
Funky Claude was running in and out *7
ファンキー・クロードのやつが走り回って
Pulling kids out the ground
聴衆の若者たちを外へ誘導した
When it all was over
騒ぎがすべて収まったとき
We had to find another place
おれたちはべつの場所を探すハメになってしまった
But Swiss time was running out
そして、スイスに滞在する時間は残り少なくなっていった
It seemed that we would lose the race
どうも おれたちには勝ち目がなさそうに思えたぜ




Smoke on the water,
水上の煙
Fire in the sky
空には炎が
Smoke on the water
湖水の煙




We ended up at the Grand Hotel
おれたちは結局のところグランド・ホテルに行き着いた
It was empty cold and bare
そこは、ひっそりと、寒々しく、閑散としていた
But with the Rolling truck Stones thing just outside *8
しかし、ローリングストーンズのあのトラックをすぐ外に置いて
Making our music there
おれたちの音楽をそこでつくった
With a few red lights and a few old beds
いくつかの赤い明りと、いくつかの古ぼけたベッドがあって
We made a place to sweat
おれたちには、きつい仕事の場になった
No matter what we get out of this
おれたちがこのことから何を得るにせよ
I know we'll never forget
おれにはわかるんだ
おれたちは、けっして忘れやしないだろうということがな




Smoke on the water,
あの湖上の煙を
Fire in the sky
空には炎が
Smoke on the water
あの水上の煙だ












Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞 091110 *9












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【Years Ago−Go!】






(1年前のエントリーを Playback♪)






・「悪魔のラヴ・ソング」 (トム・トム・クラブ)
  (Genius Of Lov)
http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20070419







(2年前のエントリーも Playback♪)







・「メンフィス・テネシー」 (チャック・ベリー
  (Memphis, Tennessee)
http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20060419







(3年前のエントリーも Playback♪)







・「イン・エヴリ・ドリーム・ホーム・ア・ハートエイク」 (ロキシー・ミュージック
  (In Every Dream Home a Heartache)
http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050419

*1:きょうのこの歌にも登場しているフランク・ザッパマザーズのきのうの歌も、作者のザッパ自身が歌の冒頭で「この歌は実話だ」と歌っていたが、きょうのこの歌もまた実際に起こったことが歌われている。(以下、ネタバレ(というほどのものではないですが、歌の内容がすべて説明されてしまうこと)になりますのでご注意あれ(!)デハツヅケマショウ>>>1971年の12月、前々作のアルバム「イン・ロック」、前作アルバム「ファイアボール」の成功で自分たちの音楽の新たな活路を見い出したかに見えるイギリスのハード・ロック・グループ、ディープ・パープルは、翌72年の春にその発表が予定されていた次回作アルバムのレコーディングのため、スイスのジュネーブ湖畔のモントルーに合宿していた。ローリングストーンズの移動式スタジオ設備(=通称「ローリングストーン・モーバァイル」別記註参照)を使って、「モントルー・カシノ」という街の賭博場(を中心としたホテルやレストランなどの総合娯楽施設)のコンサート会場をスタジオとして、リハーサルとレコーディンの日々に明け暮れる、そういう予定が汲まれていた。そして、明くる日からレコーディングがはじまることになっていた12月4日の夜、かねてからのスケジュールどおり、その会場では、フランク・ザッパマザーズ(オヴ・インヴェンション改め)のコンサートが行われていた。コンサートの最中、マザーズが「キング・コング」の演奏をはじめ、やがてドン・プレストンのシンセサイザーのソロに入ると、聴衆のひとりが あろうこと天井に向けて自分の席から(なんと!)持っていた照明弾を発射したのだ。会場の天井は籐が張り巡らされたつくりになっていて、その籐に火がついてしまい、それが一気に燃え広がり、やがてカジノを中心とした湖畔の総合娯楽施設の大半が焼け落ちる火災となった(<未確認)という。(また、フランク・ザッパ海賊盤のひとつには、このとき火がついたのを見て(最初はたいしたこともないと思ったのだろう)ステージの上からヴォーカルのマーク・ヴォルマンが「火だ、アーサー・ブラウンご本人の参上だな」と(アーサー・ブラウンのヒット曲「ファイアー」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20080423 を引き合いに出して)軽口を叩くところが収録されてるものがあるとのこと(<未確認)。)パープルの面々は、そこからは かなり離れた湖畔のべつのホテルにいて、その窓から まさに(きょうのこの歌のタイトルとなっている)「湖水の煙」(ルビ=スモーク・オン・ザ・ウォーター)が水面に広がっていくさまと、燃え上がる「空の炎」(ルビ=ファイア・イン・ザ・スカイ)を目にしたのだった。火事は、彼らパープルのメンバーにとっては、(それこそ)対岸の火事といったもので身の危険はなかったものの、しかし、おかげで翌日からのレコーディングのスケジュールがまったく立たなくなってしまった。急遽、彼らはそれに代わるレコーディングに使える施設を見つけなければならなくなり(きょうのこの歌にも登場する)クロード・ノブズ(別記註参照)の尽力でパヴィリオンという地元の劇場を使うことになったが、レコーディングをはじめるとともにその音響に対して近隣からの苦情が出て、思うような進行ができずに僅かにギター・リフやバック・トラックのいくつかが録音されたのみで警察の介入もあって中断せざるをえなくなり、レコーディングの予定は大幅に遅れ、1週間を無為に過ごし、ようやく見つけたのが(廃業同然になっていた(<未確認))モントルー・グランド・ホテルで、そこを借り受け、その吹き抜けになった玄関ホールをスタジオ代わりに見立て、外に駐めたローリングストーンズの移動式レコーディング用機材ユニットを使って録音したものが、やがて、きょうのこの歌をはじめとするディープ・パープルの最高傑作とされる名作アルバム「マシン・ヘッド」となったのでしたトサ。

*2:このアルバムからは、すでに「ハイウェイ・スター」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20071210 がここで紹介されていますので、よろしければどうぞ♪

*3:このアルバムからは、すでに「ハイウェイ・スター」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20071210 と「チャイルド・イン・タイム」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20070123 がここで紹介されていますので、よろしければどうぞ♪

*4:ここで「レイク・ジュニヴァ」と歌われている「ジェネヴァ湖」と歌われているのは、スイス南西部とフランス東部の国境にもなっている湖で、フランス側からの呼び名は「レマン湖」。ローヌ河の流れの途中にある湖で周囲の長さは72kmにもなる大きな湖で湖畔にはこのモントルーをはじめ、ローザンヌ、モルジュ、ニヨン、ジュネーヴをはじめとするスイスの街やアンティ、エヴィアン=レ=バンなどのフランスの街もある。

*5:この歌のあとのほうにも出て来るローリングストーンズ所有のレコーディング機材一式を装備した(TVの中継車のようなレコーディング用の)車両(ルビ=トラック)のことで通称「ローリングストーンズ・モーバァイル」と呼ばれている。ストーンズ自身の名作アルバム「スティッキー・フィンガーズ」や「メインストリートのならず者」をはじめ、他のグループの求めに応じて貸し出されるようになり、きょうのこの歌のディープ・パープルのアルバム「マシン・ヘッド」やの同じくパープルの「バーン」をはじめ、レッド・ゼプリンの「III」や「IV」や「聖なる館」、「フィジカル・グラフィティ」、バッド・カンパニーの「ラン・ウィズ・ザ・パック」など数々の名作アルバムの録音に使われた。そもそもストーンズがこうした「移動式録音システム」という発想を持つに至ったのは、第二次大戦後のイギリスでは(基幹産業を国有化し、社会福祉を優先した)(実質社会主義的な国家体制の下で)労働組合の力や立場が強く(国法によって保護され)、(いわゆる)「9時〜5時」をはじめとする労働上のさまざま制約があり、既成の録音スタジオでは、どうしても主として時間的な問題などから創造上の自由が制約されてしまう(というと、まあ、聞こえはいいのですが、早い話が好きなときに好きなように自分たちなりのやり方でやるためにということであるわけだろうが、という)ことから、そうした問題を解決するものとして、ミック・ジャガーと(文字通り6人目のストーンズであるピアニストで現場マネージャーのひとりの)イアン・スチュアートが中心になって(当時の若手で)気鋭のエンジニアとしてストーンズをはじめとする多くのイギリスのグループの仕事に参加していたグリン・ジョーンズらの意見を容れて、当時の随一の機材を導入、装備し、(その後の技術の進歩とともに改良を重ねながら)使用され、それによってライヴ・レコーディングがコンヴィニエンスなものになったのはもちろんのこと、アルバム制作もヨーロッパの城館や海外のリゾート(また、きょうのこの歌のような)コンサート会場やホテルを借り切ってのレコーディングが可能となり(実際に言葉で指摘できないような目に見えない影響=効果を含めて)(精神的、身体的、音楽的、経済的な)さまざまな影響をアーティスたちに与えたものと思われる。まあ、いずれもディジタルなノンリニア・レコーディングが実用化する以前のお話になりますが、そうした諸々の機材やらエピソードやらいろいろと詳しい話はあるのだろうが、それはまた何か要請でもあれば するとしましょうか。こうした移動式のレコーディング車両については、ほかにも(フェイシズを脱退した後の)ロニー・レーンが所有していた通称「LMS」((ロニー・)レーンズ・モーバァイル・スタジオ)もよく知られており、こちらではロニー・レーン自身のアルバム「エニイモア・フォー・エニイモア」や「ワン・フォー・ザ・ロード」をはじめ、フーのアルバム「四重人格」やエリック・クラプトンのライヴ・アルバム「レインボー・コンサート」やバッドカンパニーの同名のファースト・アルバムや「ストレート・シューター」などが生まれている。

*6:同市の古くからのカジノで1967年からは「モントルー・ジャズ・フェスティヴァル」の会場にもなっていた「モントルー・カシノ」のこと。(きょうのこの歌の火災の後、1975年に再建され、営業を再開、今日に至っている。)

*7:この「ファンキー・クロード」とは、世界的に名高いジャズ・フェスティヴァルのひとつ「モントルー・ジャズ・フェスティヴァル」の主宰者として知られるスイス人の音楽プロモーター(で、この歌の出来事の当時35歳だった)クロード・ナブスのニックネーム。

*8:前述の註5のローリングストーンズ所有のレコーディング装備一式を搭載したレコーディング用トラック車両のこと。こう言い並び替えることで音韻的にいいノリの響きにして歌っていますね♪

*9:9・11のあの衝撃的なTV映像にも重なってくるものがあるかもしれません。