Song From The Bottom Of A Well

Words & Music by Kevin Ayers.
(1971年発表)







(原題直訳 「井戸の底からの歌」)







歌詞は、次のURLから、
http://www.mp3lyrics.org/k/kevin-ayers/song-from/






From the Kevin Ayers album, "whatevershebringswesing". *1

名作アルバム度  ☆☆



アルバム「彼女のすべてを歌に」(ケヴィン・エアーズ)より









名曲度 ☆☆









邦題「ソング・フロム・ザ・ボトム・オブ・ア・ウェル」 (ケヴィン・エアーズ)









This is a song from the bottom of a well
これは井戸の底からの歌
There are things down here
ここまで降りてくるといろんなものがあって
I've got to try and tell;
ぼくは 頑張って伝えなくてはならない
It's dark and light at the very same time,
ここは、暗くもあり、また、まさに同時に明るくもあり
The water sometimes seems like wine.
水も また、ときにはワインのように思えてくる




I learned some information way down here
ぼくには、ここに来てわかるようになったことがいくつかある
That might fill your heart and soul with fear;
それは、あなたの心や魂を不安や恐怖でいっぱいにしてしまうことかもしれない
But don't you worry, no, don't be afraid ...
しかし、心配はしなくいい。うん、恐がるらなくてもいいんだ
I'm not in the magical mystery trade.
ぼくは魔法や神秘を商売にしてる人間じゃないからね




My imagination begins to purr
ぼくの想像力がうごめきはじめる。
As things don't happen, they just occur.
物事が起こらずにいると、そいつが動き出すんだ
Softly crackling electrical smell,
静かにパチパチと音をたて、電気的な匂いがしてくるんだ
There's something burning at the bottom of this well. *2
この井戸の底では何かあるものが燃えているのだ




Sitting here alone I just have to laugh
ここで ひとりっきりで座りながら、
ぼくはとにかく笑ってしまうしかない
I see all the universe as a comfortable bath;
ぼくには全宇宙が心地よい浴場(ルビ=おふろば)に見えるんだ
I drown my body so my mind is free
ぼくは自分の体を浸した、そうすると ぼくの心は自由になって
To indulge in pleasurable fantasies.
愉快な夢物語(ルビ=げんそう)に耽るのだ




There's something strange going on down here ..
ここでは何か奇妙(ルビ=へん)なことが起きている
A sickening implosion of mistrust and fear.
うんざりしてくるような疑惑や不安がひとまとまりになって
A vast corruption that's about to boil
いまにも沸点に達っせんとするような途方もない堕落が
A mixture of greed and the smell of oil.
交錯する強欲とあれこれと苦心の跡が




This is a song from the bottom of a well
これは井戸の底からの歌
I didn't move here, I just fell.
ぼくはここを動くことがなかった、
ぼくはただ倒れてしまっただけにすぎない
But I'm not complaining, I don't even care
しかし、ぼくには不平不満なんかない、ぼくには気にすらもなりはしない
'Cause if I'm not here, then it's not there.
だって、もし、ぼくがここにいないんだとすれば
だったら、ここはそこでもないわけだからな










Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞 082710











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きょうのこの歌で、井戸の底、
人間の心の底まで降りて来ることになったのは、
たまたま、一昨日のダイアストレーツの「愛という水に」



Water of love, deep in the ground
愛の水、地中深くにあるという




という歌詞で(いわば)(人の心の)「地下水」(としての「愛」)が歌われ、
さらに、きのうの(オーティス・レディングらで知られる)ウィリアム・ベルの歌「人は自分の水を失くさない」の





You don't miss your water
'Till your well are run dried

人間、自分の水分(ルビ=うるおい)は失くならないものだな
自分の井戸が干上がってしまわない限りは





からの(ひとつの「物語」的な)帰結としてあるのです。



つまり、いつも、現在には明日が(つまり、未来が)埋まっている、見えているということです。



もしも、ひとつの集合論的に「時=空」間を視たとして、
現在を「知覚」の(=アハハ近くの)領域とするならば、
過去が「記憶」の領域となり、
未来は(現在に埋まり、発掘されるのを待つ)「化石」の領域と言えるかもしれません。
未来の化石、それが(ぼくたち/わたしたちの)いまに埋まっているのです。
そして、現在とは、ぼくたちが生き、また暮らす「居=間」(ルビ=リヴィングルーム)でもあるのですね。


Yes, it's my kind of poetry,
And I hope that these words could get there, somewhere in your mind.









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【Years Ago−Go!】








(1年前のエントリーを Playback♪)







・「川辺を旅するブルーズ」 (ロバート・ジョンソン
  (Travelling Riverside Blues)
・「トラヴェリング・リヴァーサイド・ブルース」 (レッド・ツェッペリン
  (Travelling Riverside Blues)
http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20070405







(2年前のエントリーも Playback♪)






・「バック・イン・ザ・USA」 (チャック・ベリー
  (Back In The U.S.A.)
http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20060405







(3年前のエントリーも Playback♪)







・「ガッタ・サーブ・サムバディ」 (ボブ・ディラン
  (Gotta Serve Somebody)
http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050405

*1:このアルバム・タイトル、きちんと "分かち書き"wをすれば、 "Whatever She Brings, We Sing" (「彼女が何を持って来ようが、おれたちは歌う」)というタイトルで日本語で原題感覚wで表記すれば「あのことがなにをもちこんでこようがぼくらはうたう」となるだろう。また、このジャケットの裏面(見開きジャケットの(本で言えば)裏表紙にあたる面には「noeggplanation」とあって、これは(音的に読むと)「No Explanation」つまり、「説明なし」、「説明はしません」ということで、ジャケットの(イラストというよりも、むしろ)絵画にある無数の卵から胎児が生まれている絵の(それこそ)説明としての「No Eggplanation」なわけだが、いま、その綴りを打ち写して(!)いて思ったのは、さらに「卵(=egg)」と「計画(=plan)」と「国民」(=nation)にも掛かっているのかなということ。そう、国家としての少子化対策に「卵」で人口を増やそうという近未来SF的な恐怖の逆ユートピアなイメージをも含んだ(誰も副題(ルビ=サブタイトル)として受け取ることのなかった)そのジャケット裏面の文字列にいま思いを馳せています。駆けめぐれ、銀河の向こうに、幻想譚(ルビ=ファンタジー)。

*2:この「井戸の底」が「夢」や「妄想」の根源となる人間の「無意識=界」、あるいは「潜在意識」や「深層意識」の喩えになっていることが、このラインに来て、明らかになっていますね。そして日本語を母国語とするわたしたちには、この「井戸」という言葉と(心理学や精神分析学で言う)「閾」(ルビ=いき=id=イド)との音的一致にも思い至らせるフレーズにもなっています。