Saturday Gigs

Words & Music by Ian Hunter,
(1974年発表) *1





(原題直訳 「土曜日のステージ」) *2







歌詞は、次のURLから、
http://www.allthelyrics.com/lyrics/mott_the_hoople/saturday_gigs-lyrics-1257066.html








From the Mott The Hoople compilation album, "Greatest Hits".  *3
推奨アルバム度 ☆☆☆☆☆



アルバム「黄金の軌跡(モット・ザ・フープル物語)」(モット・ザ・フープル)より






名曲度 ☆






邦題「モット・ザ・フープル物語」 (モット・ザ・フープル








Sixty-nine was cheapo wine, *4
69年は安ワインだったな
Have a good time,
楽しんでくれや
What your sign?
きみ、何座の生まれ? とか
Float up to the Roundhouse  *5
ふんわりと浮かぶようにしてランドハウスへ
On a Sunday afternoon.
日曜日の昼下がり




In Seventy we all agreed *6
70年におれたちが全員一致したのは
A King's Road flat was the place to be *7
住むならキングズ・ロードのフラットだってことだった
'Cause Chelsea girls are the best in the world for company. *8
だって、チェルシーの女の子たちは付き合うのには世界で最高だもんな





In Seventy-one all the people come *9
71年には、ありとあらゆる人間たちがやって来た
Bust a few seats but it's just in fun *10
ただのおふざけだったが、座席をいくつかブッ壊したり
Take the Mick out of Top of the Pops  *11
「トップ・オヴ・ザ・ポップス」でミックをおちょくってやった
We play better than they do
おれたちのほうが、やつらよりいい演奏をしてるんだ




In Seventy-two we was born to lose *12
72年には、おれたちは負け犬だった
We slipped down snakes into yesterday's news
前の日の新聞に蛇が見えるほどおれたちは飲んだくれた
I was ready to quit
おれは脱退する気になっていた
But then we went to Croydon *13
しかし、あそこで、おれたちはクロイドンに行ったんだ




Do you remember the Saturday gigs?
きみたちはあの土曜日のステージを覚えているかい?
We do, we do
おれたちは覚えてるぜ、うん、覚えている
Do you remember the Saturday gigs?
きみたちはあの土曜日のステージを覚えているか?
We do, we do
おれたちは覚えてるぜ、うん、おれたちは




The tickets for the fantasy were twelve and six a time
夢の切符は6倍近い12ポンドにもなった
A fairy tale
おとぎ話が
On sale
発売中




Oh, Seventy-three was a jambouree *14
あゝ、73年はお祭り騒ぎ(ルビ=ジャンボリー)だったぜ
We were the dudes and the dudes were we. *15
おれたちは いかした野郎ども(ルビ=デューズ)で、
いかした野郎ども(ルビ=デューズ)とは おれたちのことだった
(Oh oh oh oh oh)
(おゝ、おゝ、おゝ、おゝ、おゝ)
Did you see the suits and the platform boots? *16
みんなもあのスーツや厚底のブーツは見ただろ?




In Seventy-four on the Broadway tour *17
74年は広々とした道(ルビ=ブロードウェー)の旅(ルビ=ツアー)
We didn't much like dressing up no more
おれたちは もはやあまり着飾ったりはしなくなっていた
Don't wanna be hip
カッコよくなんてなりたくない
But thanks for a great trip.
だけど、大いなる旅には感謝してるぜ




Do you remember the Saturday gigs?
きみたちはあの土曜日のステージを覚えているかい?
We do, we do
おれたちは覚えてるぜ、うん、覚えている
Do you remember the Saturday gigs?
きみたちはあの土曜日のステージを覚えているか?
We do, we do
おれたちは覚えてるぜ、うん、おれたちは




But now the kids pay a couple of quid
だけど、いま、若い子たちは2ポンドを払ってる
'Cause they need it just the same
つまり、あの子たちはまるで変わりなくそいつを必要としてるんだ
It's all a game
すべてはゲームさ
A grown-up game
大人のゲームなんだ





But you got off on those Saturday gigs
だけど、おまえたちはあの土曜日のステージを降りてしまった
And we did, we did
そう、ぼくらはそうした、ぼくらはそうした
You got off on those Saturday gigs
おまえたちがあの土曜日のステージを降りてしまったからだ
And we did, we did
そして、ぼくらはそうした、ぼくらはそうした
And we got off on those Saturday gigs
そう、ぼくらはあの土曜日のステージをやめてしまった
And you did, you did
そう、おまえたちはそうした、おまえたちは
And we got off on those Saturday gigs
そう、ぼくらはあの土曜日のステージをやめてしまった
You did, you did
おまえたちがそうした、おまえたちが




Ah
あゝ
Good-bye
グッドバイ
Ooh
ウー、ウー
Bye
バーイ
Ooh
ウー、ウー
Bye
あばよ
Ooh
ウー、ウー









Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞 051710










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【Years Ago−Go!】









(1年前のエントリーを Playback♪)






・「アイ・アム・ア・チャイルド」 (バッファロー・スプリングフィールド
  (I Am A Child)
http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20070120






(2年前のエントリーも Playback♪)





・「ストーン」 (ロニー・レーン)
  (Stone)
http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20060120








(3年前のエントリーも Playback♪)





・「マザーズ・リトル・ヘルパー」 (ローリング・ストーンズ
  (Mother's Little Helper)
http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050120

*1:結果的にも「モット・ザ・フープル」という名前での最後のシングルとなった。

*2:ときに「「(Do You Remember) The Saturday Gigs」」(土曜日のステージ(をきみは覚えているかい)というかたちでのタイトル表記となることもあるようだ。

*3:このアルバムからは、すでに「メンフィスからの道」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20071214 と「モット・ザ・フープルのバラード」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20071224 がここで紹介されていますので、よろしければどうぞ♪

*4:1969年、イングランド西部のヘレフォードのグループ、サイレンスはアイランドとのレコーディング契約を結び、ガイ・スティーヴンスをプロデューサーとして、彼の助言でグループ名を(ウィラード・メイナスの小説のタイトルから)「モット・ザ・フープル」として新たにヴォーカルとソングライティングで加入した当時23歳のイアン・ハンターをフロント・フィギュアとしてデビュー・アルバム「モット・ザ・フープル」」を発表。ハンターのディラン風のヴォーカルとハードなロック・サウンドで一部にカルト的な強固な支持を集めるもアルバムもシングルもセールスは芳しくなかった。

*5:ランドハウスは使われなくなったロンドン市内北部の操車場跡で、建物のそのかたちから「ランドハウス」と呼ばれ、1966年からロックのコンサート会場としてさかんに使われた。(中でも1966年の(ピンクフロイドソフト・マシーンが出演した)アンダーグランド・ペイパー「インターナショナル・タイムズ」(通称「It」)の創刊記念コンサートや1968年9月のドアーズとジェファーソンエアプレーンの最初のイギリス公演の2本立ての衝撃のステージは、いまでもイギリスのロック史上に残る語り草となっている。)(そのときのドアーズのこのランドハウスでのステージ(イギリス滞在の模様)は(16mmフィルムによる)モノクロのドキュメンタリー映像で「The Doors are Open」というタイトルでDVDで見ることができる。

*6:1970年、アルバム第2作「マッド・シャドーズ」を発表するが売れず。

*7:1960年代のはじめからファッショナブルなイメージを帯びるようになったロンドン西部のチェルシー地区を通るストリート。マリー・クァントやヴィヴィアン・ウェストウッドもこのキングズ・ロードに店を出すことからスタートした。

*8:(「チェルシー・ガールズ」はアンディ・ウォーホルの商業的な成功を収めたアンダーグランド映画のタイトルだが)ここで歌われているチェルシーは(ニューヨークではなく)ロンドンのキングズ・ズロード沿いにあるお洒落で上品な雰囲気のある地区で有名人や文化人が多く住んでいる。あ、プレミア・リークの「チェルシー」もここですよ。

*9:1971年、これまでのハンター主導のアルバムからミック・ラルフスのイニシアティヴを思わせるソフトなアコースティック・タッチのアルバム第3作「ワイルド・エアイフ」を発表、第4作「ブレイン・ケイパーズ」もするも不発に終わるが、ライブ・バンドとしては支持は強いものがあり、人気はあった。

*10:この年のロイヤル・アルバート・ホールのステージで聴衆が荒れ、以後、同会場はロック・グループの使用を拒否する時代がつづくことになる。

*11:「トップ・オヴ・ザ・ポップス」は(1964年にその第1回が放送された)BBC−TVの毎週木曜日の夜の早い時間に放送されていた音楽番組。モット・ザ・フープルが何の曲でこの1971年にこの番組に出演したかは未確認。また、英語の慣用表現であるこの「take the micky out of 〜」(〜をおちょくる)にかけたラこの「ミック」がグループのギタリストのミック・ラルフスか、あるいはボウイのところのミック・ロンソンか、はたまた(まさか!)ミック・ジャガー(ではあるまいな)であるのか、そのあたりもまた未確認(まあ、とくに調べをかける気もないのですがナノデアッシーカラズヤ)。

*12:1972年、グループの低迷は深刻な事態を迎え、四流以下の小さな会場ばかりのヨーロッパ・ツアーに幻滅したグループは、つづく国内ツアーの中止もあって解散寸前の状態に追い込まれる・・・・。それを救ったのが、かねてからモットのファンだったというデイヴィッド・ボウイだった。ボウイのプロデュースで彼の「すべての若き野郎」All The Young Dudes をシングルとして発表。さながら「グラム・ロック宣言」とでもいうようなその歌詞もさることながら、サウンドもファッションもグループ・イメージも(おそらくはボウイの助言を容れてのことだろうが)これまでとはまったく違ったグラムでグリッターなモット・ザ・フープルの登場となり、当時、流行していたグラム・ロックの波に乗ってシングルは全英チャートの3位まで上昇し、彼らにとって初めてのヒット曲となる。すでに彼らはスターだった。イギリスの大衆紙のお馴染みの表現で言えば、彼らはポップ・スターだった。

*13:クロイドンはロンドンから汽車で少しのところだが、そのクロイドンで何があったのかは不明。(ロンドンに住む外国人にとってはクロイドンはヴィザの更新をお代官さまにお願いにうかがうお役所(=内務省(ルビ=ホームオフィス))があるところだが、まさか海外ドサ回りのためにパスポートでも取りに行ったとかそういうことでもなかろうなw。)

*14:1973年はおそらくモット・ザ・フープルの最盛期と呼んでいい年だろう。前年の「すべての若き野郎ども」でのボウイの援助を得てのブレークを機に、ハンターのリーダーシップの下に「ホナルチィ・ブギィ」、「メンフィスからの道」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20071214 、「モット・ザ・フープルのバラード」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20071224 、「土曜の夜の誘惑」と発表するシングルが次々とチャートの上位に到達する大ヒットなり、それは翌年の「ロックンロール黄金時代」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20080119 までつづく。しかし、この間にピアノ、キーボードのヴァーデン・アレン、そしてグループを起ち上げた本来のリーダーであるギターのミック・ラルフスが脱退していく・・・・。そしてグループの人気はアメリカでも高まりつつあった・・・・。

*15:「dude」は上述のデイヴィッド・ボウイのプロデュースによる彼の作品「すべての若き野郎ども(All The Young Dudes)」の「dude」で当時のモットの代名詞のようなイニシャル・ソングとなった。

*16:グラム・ロック・ファッションの重要なアイテムだったサテンやラメのスーツやシャツ、そして(駅のホーム=プラットフォームを思わせるw)厚底のブーツは、日本でも「ロンドン・ブーツ」と呼ばれて流行したと聞く。

*17:1974年、彼らは初のアメリカ・ツアーを行う(前座は、いまから考えるととんでもなく凄いことだが、当時、新進のあのクイーンが務めていた)。前年のミック・ラルフス脱退の後を受けたギタリストのエアリエル・ベンダー(こと元スプーキー・トゥースのルーサー・グローヴズナー)もすでにグループを退き、ツアーには(ボウイのスパイダーズ・フロム・マーズの)ミック・ロンソンが参加し、きょうのこの歌もギターはミック・ロンソンによるもののようだ。このアメリカ・ツアーの後、ハンターもついに脱退。グループはハンターなしグループ名を「モット」として活動をつづけていくことになる・・・・・・。