The Story Of Them ( Parts 1 & 2)

Words & Music by Van Morrison.
(1967年発表) *1






(原題直訳 「やつら(ルビ=ゼム)の物語(第1部と第2部)」) *2






歌詞は、次のURLから、
http://www.lyricsdepot.com/van-morrison/the-story-of-them.html






From the Them compilation album, "The Story Of Them Featuring Van Morrison".  *3

推奨アルバム度 ☆☆☆☆☆



アルバム「ストーリー・オブ・ゼム・フィーチャリング・バン・モリソン」(ヴァン・モリソン)より




名曲度 ☆☆







邦題「ストーリー・オブ・ゼム」 (ゼム)







What'S friends were friends
友達ってものが友達で
And company was right
そして仲間は申し分ないものだった、
We'd drink and talk and sing
おれたちは飲んで、話して、そして歌った
All through the night
夜を徹してとことんと
Morning came leisurely
朝が暇そうな顔でやって来ると
And bright
明るくなった・・・・
Downtown we'd walk
その下町をおれたちはよく歩いたものだった
In passers by, quite shuddered with daylight
通行人たちの中を陽の光に身を小さくしながら
Mmmmmm! Good times
うーむ、いい時代だった




And there was this man
そう、あの男がいたんだ
All the cats were there
あいつらも全員、そこにいた
Just dirty enough to say,
やたらと薄汚い身なりで言ったもんだ
"We don't care"
「かまうもんかい」
But, the management have had complaints
だが、経営者の方から文句が出たんだ
About some cats with long, long hair
髪の長い、長い、一部の連中のことでな
"Look, look, look"
「見ろよ、おい、見てみろよ」
And the people'd stare
すると、連中が見つめやがるんだ
"Why, you won't be allowed in anywhere!"
「おまえら、よく、
いろんなとこに出入りさせてにもらえるもんだな」と




Barred from pubs, clubs
パブから締め出を食らい、クラブからも
And dancin' halls
それにダンス・ホールからもだ
Made the scene at the Spanish rooms on the Falls *4
フォールズ・ロードにあったスペイン人の店で評判になったんだ
And man, four pints of that scrumpy was
そうなんだ、おい、
林檎酒(ルビ=スクランピー)を4パイントばかし飲ませてくれれば
Enough to have you,
おれたちを雇うには十分だった
Out of your mind
メチャクチャだったなあ
Climbin', climbin' up the walls
よじ登るんだ、塀をよじ登っちゃうんだからな
Out of your mind
まともじゃなかったぜ
But it was a gas, all the same
だけど、それがご機嫌だった、いまとまったく同じだぜ
Ummm! Good time!
うーん、楽しかったぜ!




Now just 'round about this time
さてと、ちょうどその時期あたりのことだったが
With the help of the three J's
3人の「J」の助けで
Started playin' at the Maritime *5
「海事(ルビ=マリタイム)」で演奏をはじめるようになったんだ
That's, Jerry, Jerry and Jimmy
すなわちジェリーとジェリーとジミーのことだ
You know they were always fine
わかるよな、やつらはいつもいいやつだった
And they helped us run the Maritime
それで、おれたちが「海事」でやるのに力になってくれたんだ
Don't forget Kit,
キットのことも忘れちゃいけないな
Hittin' people on the head
ヒトの頭をブン殴っちゃ
An' knockin' 'em out
そいつらをブチのめしてたやつだ
You know he did his best
わかるだろ、そいつも一生懸命やってたんだ
And something else, then  *6
そう、何かひと味違ってたんだよ、あの頃は
Ummm, Lord, good times
うーん、主よ、いい時代だったぜ




And people say
そして人々が口にするのは
Who are?
「誰なんだ?」
Or what are?
とか「何者なんだよ?」
Them?  *7
「あいつら」っていうのか?
*8




That little one sings *9
あのちっこいのが歌い
And that big one plays the guitar *10
そして、あのでっかいのがギターを弾く
With a thimble on his finger *11
指抜きみたいなものを指にして
Runs it up and down the strings
弦(ルビ=いと)の上を上へ下へと駆けめぐる
The bass player don't shave much *12
ベース弾きはあんまり髭を剃らないやつで
I think they're all a little bit, touched
おれが思うには、そいつらは全員、
少しばかり気が触れたみたいなところがあった
But the people came
だが、人々はやって来た
And that's how we made our name
そう、そうやって、おれたちは名を成してきた
Too much it was
あれはたまらないものだった
Umm, yeah, our good times
うーん、
そうなんだ、おれたちのよき時代だったんだ




Wild, sweaty, crude, ugly
荒々しくて、汗臭く、
無作法で、汚らしくて、
And, mad
そして狂ってる
And sometimes just, a little bit sad
それにときどき、ちょっと、少しだけ悲しげなところがあった
Yeah, they sneered an' all
あゝ、そうだ、
あいつらは鼻でせせら笑うようなところがあったり、
そんなこんなだったが
But up there, we just havin' a ball
しかし、あそこでは
おれたちはみんなを沸かせたね
It was a gas, you know
あれはすごかったぜ、わかるかい
Lord, some good times
主よ、ひとつのいい時代だったんだ




It gotta kinda bad for, them
それは「やつら」にとっては言わば悪いものだった
We are Them,
おれたちというその「ゼム」(ルビ=やつら)はな
Take it or leave it
本気にするにせよ、ほっとくにせよな
Do you know they took it,
わかるかな、
やつらはそれを本気にしたんだ
And it kept comin'
そして、どんどん盛んになっていったんだ
And we worked for the people
そして、おれたちはそのみんなのために働いた
Sweet, sweat
汗して、汗して、
And the misty, misty atmosphere
そして、どんよりした霞んだような雰囲気
Gimme another drink of beer, bear, bear
もう1杯、ビールを持って来てくれ、ビールだ、ビール
Gotta get goin' here
この場を盛り上げていかないとな
Because, it was a gas
だってよ、凄かったじゃないか、あれは
We all had good times
おれたちはみんないい時代を過ごしてたんだ




Blues come rollin'
ブルースが流れ込んで来る
Down to all your avenue
このへんのおれたちみんなのすべての道に
Won't stop at the city hall
市役所なんかにゃ止まりもしねえ
Just a few steps away
ほんの数歩ばかり離れたところに
You can look up at, Maritime Hotel
あんたらにも見えてくるはずさ、「海事ホテル」(ルビ=マリタイム・ホテル)がよ
Just a little bit sad,
ちょっとばかし悲しくなってきやがったぜ
Gotta walk away
歩こう、離れたいんだ
Wish it well
いいことがあるようにな、願ってるぜ








Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞 041110








∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮







【Years Ago−Go!】






(1年前のエントリーを Playback♪)





・「ビッフェでお茶を」 (ファミリー)
(Buffet Tea For Two)

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20061223






(2年前のエントリーも Playback♪)





☆THE WHO ロック・オペラ「トミー」全曲訳(3)☆






・「すてきな旅行」 (ザ・フー
(Amazing Journey)

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20051223







(3年前のエントリーも Playback♪)




・「陽の当たる側をごらん」 (キンクス
(Look A Little On The Sunny Side)
・「ホット・ポテト」 (キンクス
(Hot Potetoes)

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20041223

*1:ヴァン・モリスンがゼムを最終的に離脱したのは1966年10月のこととされ(通常、それをもって彼らゼムの解散としているが。実際はその後もゼムはベースのアラン・ヘンダーソンによって引き継がれていくが)日付の上からは、そのヴァン・モリソンの離脱後に発表されたきょうのこの歌というかたちになるが、歌自体はヴァン・モリソンが歌っている(当時の)未発表録音をオランダやドイツなどヨーロッパの一部の国々でシングルとして発表したものであるようだ。

*2:副題のようにして「第1部と第2部」となっているのは、全編が7分20秒という長尺なきょうのこの歌が(解散後の)1967年に初めてシングル盤として発表された際に必然的にA面とB面とに(それぞれフェードアウトとフェードインというかたちで、ふたつに)分割されるかたちになってしまったことによるものだが、今回の訳出に使用した2009年秋にディジタル・リマスターされたCDセットではそのフェードアウト/フェードインの痕跡は跡形もなくスムースに処理されている。また、「やつらの物語」というタイトルの「やつら(=彼ら=them)」とは、それはヴァン・モリソンが、イギリスは北アイルランドの故郷ベルファストで17歳のときに結成したグループの名前だが、その「ゼム(=them)」とは(すでに皆さんもご承知のとおり、英語の文法的には三人称の目的格というのだろか)(そういう意識で見たり呼んだり話題にしたりする場合の)「彼ら=やつら=あいつら」という意味であるわけだが、しかし、これはただ単に日本の中1クラスの英語の授業ほど簡単なお話ではなく、イギリスの(というよりも「英国」(ルビ=ブリテン)の)この言葉には長く重たい「階級」(ルビ=クラース)という歴史性を帯びた言葉であることを見逃してしまってはならない。「英国という国には「ふたつの国民」がいる」ということを言ったのは、(クリームの名作アルバムのタイトル(「Disraeli Gears」(実はこれは自転車の変速ギア(=derailleur gear=ディレイラー・ギア)の(きわめてイギリス人らしい)言いまつがいwをタイトルにしたものだが))にもその名が使われている)19世紀のイギリスの総理大臣にして名宰相の誉れ高い(小説家としての経歴の持ち主(「シビル、あるいはふたつの国民(=「Sybil or, The Two Nations」)」という作品がそれ)でもある)ベンジャミン・ディズレーリだったが、国家や社会や制度の要衝を占める支配階級、指導的階級としてのアッパークラスやミドルクラスと、そうした国家や社会や制度の動力として生きるワーキングクラス(=労働階級)の両者だが、そのふたつの国民が(いまここで問題としている)「Us and Them」(わたしたちと彼ら)だ。当然、そこには(論理的にも)ふたつの「わたしたち」と「彼ら」があることになる。すなわち、それぞれの側から日本語にして言えばw、一方は「わたくしたちとあの者ども、やつら、あの連中」であり、また、もう一方の側からは「おれたちとやつら、あいつら」となる。(だが、それは必ずしも収入の格差を意味しはしない。貧しいミドルクラスもいれば、ミドルクラスよりも遥かにいい暮らしをしている労働階級もいる。まあ、早い話が、育った家庭の文化や教養のレベルや受けた教育の程度といった要素が大きな問題であるのだが、当然のことながらそれほど簡単に説明できるものではないのだが・・・)ピンク・フロイドの名作アルバム「狂気」にもイギリスにおけるこの階級区分(=クラース・ディスティンクション)という問題をテーマとした「アス・アンド・ゼム」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20060310 という歌があったが(それについてはのちほど参照されるとよろしいだろう)他にも往年のイギリスのロックやポップスには(ヒット曲でさえ)、この「おれたちとやつら」(ルビ=アス・アンド・ゼム)が見え隠れする歌が少なくないが、これまでここで採り上げた中でもハーマンズ・ハーミッツの「恋はハートで」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050415 やマンフレッド・マンの「ミスター・ジェームズの花嫁さん」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050414キンクスの「ロージー、家に来ないか」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050415#p2 、さらにローリングストーンズの名曲「レディ・ジェーン」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050416や「プレイ・ウィズ・ファイア」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050416#p2 など、ここでもその註や解説じみたトークの欄で、この問題について折に触れ手短に(その古典的な図式を)述べてきた(つもり)なので、あとで見ていただけるとよろしいかもしれない。イギリスには、そこにまた入り組んだ民族の問題もあるのだが(それはまた置くとして)、さらにもうひとつ、若き日のヴァン・モリソンのこのグループ「ゼム」やロックンロールやブルース、リズム&ブルースとの関連でここで触れておくべきは、彼ら「ゼム」がかつての大英帝国の指導階層である「やつら」にとっての「やつら」とされた人々(すなわち労働階級の人々)からもまた「やつら、あいつら、あの連中」として「やつら」視されていたということだ。そのことはきょうのこの歌の中でも「髪の長い連中」として歌われているくだりがあるが、いつの時代も「若さ」というのはそうした視線にさらされる(白眼視されうる)宿命にあるともいえるが、ことにその国の社会の下層に生きる若者たちは、往々にして人一倍そうした視線に敏感な皮膚感覚を鍛えられることもあるだろう。そして、そうした社会の下層に生きることになった若者たちが、ブルースやリズム&ブルースを生んだ当時のアメリカの黒人たち(ルビ=アフロ・アメリカン、すなわちアメリカの下層白人社会からもさらに差蔑(!)され、市民としての当然の社会的な諸権利もなく、それによって(二級市民として)幾重にも疎外されて生きることを強いられていたアメリカの黒人たち)に自分たちをアイデンティファイ(=自己同一化)するかのように、彼らの音楽に親和性を持つことになったのは歴史における芸術の威力を物語ものとして特筆しておくべきことだろう。それだけ白人の若者という無知で性急で愚かな未熟な大人たち、あるいは多感でナイーブな育ちすぎた子供たちにとってアメリカの黒人たちの音楽が心地よかったのだ。「やつら」と呼ばれるバンドで世に出ることになったヴァン・モリソンもまたベルファストのそうした子供のひとりだったのだ。

*3:このアルバムからは、すでに「グローリア」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20061012 、「ルート66http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20060410 、「ブライト・ライツ、ビッグ・シティ」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050922 、「アイ・ガット・ア・ウーマン」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20070510 、「イッツ・アール・オーヴァー・ナウ・ベイビー・ブルー」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20061127 、「ヘイ・ガール」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20070304 、「タイム・イズ・ゲッティング・タファー・ザン・タフ」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20051025#p2 、「フライデイズ・チャイルド」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050114、「リチャード・コーリー」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050309 がここで紹介されていますので、よろしければアルバムのお伴にどうぞ♪

*4:ベルファストのフォールズ・ロードにあった(まだ海事ホテルに移るまえの)「クラブ・レド」という店。

*5:ゼムが本拠地としたベルファストのコレッジ広場北にあった「海事ホテル(ルビ=マリタイム・ホテル)」のダンスホールを使ったクラブで、アイルランドのリズム&ブルースの拠点となったところ。

*6:「something else」というのは、どうも当時のちょっとしたヒップな(というよりもクールなw、カッコイイ)キーワードめいた流行語だったのではないかという印象がわたしにはある。エディ・コクランの1958年のヒット・シングルに「サムシン・エルス」というのがあるし、同じ1958年にジャズでもキャノボール・アダレーがマイルヅ・デヴィスやハンク・モブレーアート・ブレイキーらとつくったブルーノートからのアルバムに「サムシング・エルス」という名盤とされるものがあり、また日本の倉橋由美子の小説「聖少女」にもこの「サムシング・エルス」ということにこだわりを見せる講釈(?)があるしなあw。すくなくとも「違う」ということが(若い人間にとって)何か重要な意味を持っていたのだろう。

*7:このフレーズ「Who are? What are? Them」というのは彼らのキャッチコピーだったようだ。実際、そうした新聞広告が(今回、訳出に使用したコンピレーションCD「The Story of THEM featuring Van morrison」のインナースリーブの図版としても掲載されている。)

*8:おそらく時間的にも、初出時のシングルでは、このあたりの演奏をフェードアウトしてA面(すなわち「Part 1」の終わりとしていたのではないかと思われる。)

*9:もちろん、この歌の作者でもあるあるヴァン・モリソンのこと。ゼムではヴォーカルのほかにもハモニカ、サックス、そしてソングライティングを担当していた。

*10:ギターのビリー・ハリソンのこと。ヴァン・モリソンとともにグループを結成したオリジナル・メンバーのひとりで、メンバー・チェンジの激しかったゼムにあって1966年10月の解散までヴァン・モリスンとともにグループに在籍した。65年の短期の最初の解散後には当時のキーボードのジョン・マコーリーとともに(ポスト・ヴァンモリスンの)ゼムの先鞭となるアルバム「ゼム、ベルファスト・ジプシーズ」を発表している。

*11:ブルースマンブルーグラスなどのバンジョー奏者たちが使うサムピックをはじめとするフィンガーピックを裁縫の「指抜き」に喩えて、同時にギターの弦(=ストリング)を「糸」と見立てているわけですね。

*12:ベースのアラン・ヘンダーソンのこと。ごく初期からグループに参加し、1966年の解散後もゼムを引き継いで活動したメンバー。(なおデッカからのファースト・アルバム「ゼム」のジャケットに映っている5人のメンバーのラインナップとしては(この歌に登場する上記の3人のほかに)キーボードのピーター・バーデン、ドラムスのパット・マコーリーの姿があるが、(そのアルバムのレコーディングに参加していたメンバーは(セッション・ミュージシャンを含めて)これとはまた違うドラムスとキーボードだったりもするあたりからも、彼らゼムのメンバーの不安定さが察せられるだろう)結成から1年余りの間でさえ、すでに5、6回のメンバー・チェンジを経てきており、さらにその後もまたそれは繰り返されていくが、1966年10月のヴァン・モリソンの最終的な離脱後もゼムはこのアラン・ヘンダーソンのリーダシップによって1971年あたりまでグループとしての活動をつづけ、(その都度、違うシンガーをフロントにして)ゼム名義で3作のアルバムも残している。(何か文章がヘンかもw )