Theme From New York, New York

Words & Music by Fred Ebb and John Kanderby.
(1977年発表)






(原題直訳 「「ニューヨーク州ニューヨーク」の主題歌」) *1







歌詞は、次のURLから、
http://www.stlyrics.com/songs/l/lizaminnelli20267/newyorknewyork538512.html







From the original film soundtrack, "New York, New York".  *2

名作アルバム度 ☆☆☆☆



アルバム「ニューヨーク・ニューヨーク」(オリジナル・サウンドトラック盤)より






Also on the Frank Sinatra album, "Trilogy: Past, Present and Future".  *3

名作アルバム度 ☆☆☆



アルバム「トリロジー:過去・現在・未来」(フランク・シナトラ)より







名曲度 ☆☆☆☆ *4









邦題「ニューヨーク・ニューヨーク」 (ライザ・ミネリ








Start spreading the news
この知らせを広めはじめてちょうだい
I'm leaving today
わたしはきょう出て行くわ
I want to be a part of it
わたし、あの一部になりたいの
New York, New York
ニューヨーク州ニューヨークの




These vagabond shoes
さすらい人向けのこの靴は
Are longing to stray
さまようことを願ってるんだわ
And step around the heart of it
そして、あのど真ん中でステップを踏んでまわりたがってるの
New York, New York
ニューヨーク州ニューヨークの




I wanna wake up in a city
That doesn't sleep
わたしは眠ることのない都会で目を覚まして
To find I'm king of the hill, ha!
その丘の王様になってる自分を見たいのよ、そう!
Top of the heap
お山のてっぺんでね




My little town blues
ちっちゃ町のわたしブルースなんて
Are melting away
どんどん溶けてなくなってくわ
I'll make a brand-new start of it
わたしは真新しいスタートを切るんだわ
In old New York
この古いニューヨークで




If I can make it there
もし、わたしがあそこで立派にやれるなら
I'll make it anywhere
わたしはどこででもちゃんとやっていけるわ
It's up to you *5
それはあなた次第なの
New York, New York
ニューヨーク、ニューヨーク




New York, New York
ニューヨーク州ニューヨーク
I want to wake up
わたしは目を覚ましたいのよ
In a city that doesnt sleeps
眠ることのない都会で
To find I'm a king of hill,
自分が丘の王様になってるのを見てみたいの
Head of the list
一覧表のトップになってるの
Cream of the crop at the top of the heap
そのお山のてっぺんで最高の作物になってるの




My little town blues
ちっぽけな町のわたしのブルースは
Are melting a way
どんどん溶けてなくなってくわ
I make a brand-new start of it
わたしは真新しいスタートを切るのよ
In old New York
この昔からのニューヨークで




If I can make it there,
もしも、わたしがあそこで立派にやれるなら
I'll make it anywhere,
わたしはどこへ行ってもしっかりやれるわ
Come on, come through,
さあ、いらっしゃい、しっかり来るのよ
New York, New York.
ニューヨーク州ニューヨークに









Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞 030810










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きょうのこの歌が主題歌となっているマーティン・スコセッシ監督の映画「ニューヨーク、ニューヨーク」を初めて見たのは、京橋のフィルム・センター(国立近代美術館)だった。
当時のわたしは、よく映画を見てコーフンすると帰って来から、頭の中をプレーバックするように見た映画を一気にノートに吐き出しながら頭の中にシーンを再現して、映像による映画の話法といったものを確かめるような作業に興じていたw。
以下は、その日のノート(B5判9ページ分)からの再録です。

DVDで見てみたくなるところまでw、どうぞお読みください。





映画は対日戦勝利を祝うタイムズ・スクェアから始まる。アロハ・シャツを着たロバート・デ=ニーロ扮するジミー・ドイルはしきりに女を口説いてまわっている。そんな中に軍服姿のライザ・ミネリ扮するフランシーンがいる。ジミーはあの手この手で執拗にフランシーンを口説きまわる。ホテル代を次々に踏み倒して生活しているジミーは、ある日、フランシーンを連れてオーディションに出かける。アルト・サックスをハードに吹きまくるジミーに店の主人はOKといわない。もう少しソフトな曲をやれという。ジミーはこれには不満、それを見ていたフランシーンがソフトな曲をやるように薦める。そうすれば主人も満足して仕事にありつけるはずだというのだ。この場面の二人のやりとりが、ホテルでのいざこざの場面につづいて実にいい。それまでハードだったライザ・ミネリがジミーの側に立って仲介役を買って出たわけだ。二人で店の隅でゴソゴソと話すあたりがよかった。そして、主人を交えて三人での交渉中にライザ・ミネリが歌いはじめ、ジミーのサックスがそれにからむ。「あなたは私に新しい愛を教えてくれた」というような歌だった。これで彼女もオーディションに合格となり、ジミーは彼女のホテルまで雨の中をタクシーで送り、タクシーのおりぎわに激しいという以上に執拗なくちづけを繰り返し、タクシーをおろさせない。この場面、ライザ・ミネリがタクシーを降りようとして雨の中で上半身が出たり入ったりを繰り返す演出も秀逸だった。ジミーにはジャズマンらしいインパクト溢れる動物的な暴力的衝動があり、それがニューヨークという都市のひとりのジャズマンというイメージをいっそう際立たせている。すぐ怒鳴る、すぐ物を壊す、強引である、そんな男がジミー・ドイルだ。女のフランシーンは冒頭でも示されているように理智的な女だ。歌っているときだけ、心の壁が開かれて自由になるが、それ以外はクールでまともな神経の常識的な女だ。彼女も歌手でジミーとの仕事にありついたものの、それまでのエージェントからの電話で彼女はフルバンドのジャズ・グループとツアーに出てしまう。彼女なしで出演を終えたジミーのところにフランシーンのエージェントが彼女の手紙を届けにやってくる。エージェントから無理やり彼女の公演先を聞き出したジミーは、荷物とサックスを持って北カロライナだかのクラブにやってくる。ステージの上で「You Are My Lucy Star」を歌っている彼女のまえに現れたジミーは、曲の合間にテーブルに来た彼女を腕づくでステージに戻そうとしない。彼女は一緒にいるバンドはあたりさわりのないジャズをやるバンドだ。ピアニストがフランシーンをステージに戻そうと一瞬、険悪になるが、結局、フランシーンはジミーに外に連れ出されてしまう。「さよならを言わないで行ったから怒ってるのか?」というフランシーンにジミーは「さようならをいうのは俺の方だ」と答える。「なら言ってみなさいよ」とやり返されたジミーは雪が淡く積もった雑木林の中で「ここまで来い、とにかく、ここに来い」とフランシーンを自分のすぐ近くまで呼んでこう言う。「いいか、俺がさよならを言うためにわざわざこんな遠くまで来たと思うか?」 ジミーは自分が一緒にバンドに入ってツアーができないものかとフランシーンに訊ねる。「オーディションを受ければいいわ」と答えるフランシーンに、ジミーは「駄目だ。オーディションは御免だ、共演ならしてやってもよい」と言う。このあたり常にイニシアティブをとるというか、自分を上に位置づけていなくては気がすまないジミーのキャラクターと本物のジャズ、即ち自分のやり方だけでサックスを吹きこなして暮らしている男というものが提示されている。バンドマスターは、ひとりいきなりアルトでブルーノートフレーズを吹きはじめたジミーにスウィンギンなピアノ伴奏をつけて、ジミーは楽団のメンバーととなってツアーをつづける。ステージでは、ひとりジミーだけが異質な音でハードに吹きまくり、まさにひとり舞台といった感がある。他のメンバーはそれに対していやな顔をするがジミーの腕は認めざるをえない。辞めたいというメンバーにバンマスはこう言って諭す。「やめて他で仕事があるか?」「俺だってミュージシャンだ」そう答えるメンバーに「みんながそう認めてくれるかはわからんよ」とバンドマスターは答える。ツアーは続き、バンド・ワゴンの中でジミーはサックス片手に曲を書き、フランシーンがそれを採譜する。「あたしの歌は書いてくれないの?」と訊ねるフランシーンにジミーは「これがそれだ」と答える。「おまえの詩を見せろよ。おまえの詩を見るなんて照れくさくてゾッとするぜ」と言うジミー。ホテルで無理やりフランシーンのノートをとって彼女の詩を読んだジミーは彼女にこう訊ねる。「これは全部俺のことか?」「そうよ」と答える彼女に「俺のことなんだな。他の男のことじゃないな、俺のことなんだな」と念を押す。「そうだ」と彼女が答えると「靴をはけ、靴をはいて外へ出るんだ」と怒鳴る。車に乗って、深夜、ジミーが彼女を連れだしたところは法定判事のオフィス兼自宅。そこで結婚式を挙げるのだという。彼女はビックリしてしまう。「あれがプロポーズの言葉だったの? 「さっさと靴をはけ、外に出るんだ」そんなプロポーズの言葉ってある? 結婚ってもっと甘い香りがするものだと思ってた」という。ジミーは結婚してくれなければ死ぬと喚き、彼女にすがりつき猛烈に求愛する。その場で、つまり老判事夫婦が見ているまえで、オフィスの正面でジミーはフランシーンを押し倒して結婚する。ツアーはなおも続き、ジミーはバンマスの信頼を得て、いまやサブリーダー格になっている。旅先でメンバーのひとりが13才の少女に手を出して刑事事件になるなどバンドにはトラブルが絶えず、バンマスは仕事に疲れ、引退を決意し、バンドの解散を決める。その話を打ち明けられたフラシーンは後任にジミーを推薦するが、バンドマスターはジミーのミュージシャンとしての才能は認めるがリーダーとしての資質には疑問をとなえる。しかし、結局、バンドはジミーが引き継ぎ、ピアニストのポールと二人できりもりしながら「ザ・ジミー・ドイル・オーケストラ」になる。バンドが各地で好評を博し、新聞の記事にまでなり、フランシーンがバンドの看板だという批評が出る。このあたりからフランシーンに対するジミーの複雑な気持ちが描かれ出してくるが、ジミーは独特の乱暴なやり方で楽団員の気持ちをつかみ、バンドをひっぱていく。そしてバンドのリーダーシップはあくまでも自分にあり、彼女にではないことをあらゆるところで証明し、念を押そうとする。そんなある日、ステージの最中、彼女のできがあまりよくない。ステージを終えたあと、彼女はジミーに子供が出来たことを告白する。ジミーもよろこぶが、彼女は、ツアーをつづけるわけにはいかない、子供を生むためにニューヨークに戻ってゆっくりと落ち着いた暮らしをしたいという。ワゴンではなく、セダンを買って、それでツアーをつづけようと説得するジミーに、フランシーンはどうしてもニューヨークに帰ると言い張る。「子供が欲しくないの? この子を本当に欲しいと思ってるの?」と問いただされてジミーは渋々彼女をニューヨークに帰すことにする。地方での好評を耳にしていた彼女のエージェントは、ニューヨーク空港にまで彼女を出迎え、早速、デモ・テープづくりを彼女にさせるのだった。これは絶対に大物になるという評判が業界で高くなる。その一方、彼女が抜けたジミー・ドイル・オーケストラの新しい歌手はどうしようもなくひどい歌手で、メンバーの演奏も冴えを失い、各地でキャンセルがつづき、ジミーはバンドをポールに譲り渡してニューヨークに戻ってくる。フランシーンがデモ・テープをつくり、それを売り込む仕事はジミーには面白くない。ジミーは昔の仲間でセシル・ウイリアムズとかいう黒人たちと小人数編成のグループを組んでニューヨークのハーレムのクラブで本物のジャズを思いっ切りプレイする。ビバップだ。ある晩、そんな彼のいるクラブに身重のフランシーンが訪ねてくる。彼女のエージェントとデッカのプロデューサーを名乗る男も一緒だ。彼女と契約したいのだという。妊娠中なのでプロモーション・ツアーなどには充分な配慮をするので彼女がサインをするのを承諾してくれというのだ。ジミーは彼女がOKならOKだと答え、ステージに戻っていく。ステージではジェラシーについての歌が歌われている。ジミーはまっすぐステージには戻らず、誰か友人だか女にだか電話している。素直になれず心を調整しているかのようだ。ステージに戻った彼、演奏する彼のところに客を押し分けながらフランシーンが近づいてくる。彼は突然、怒り狂ったかのようにテンポもキーも外れた演奏をはじめ、バンドもそれに応えてワイルドにスイングする。あたかも彼女に「出て行け!」と言わんばかりの怒鳴りつけるような強烈なフレーズとサウンドだ。彼女はクラブを出る。車の中で二人は激しい口論を繰り返す。「子供を生めと言った覚えはない。生むのはきみの自由だ。好きなようにするがよい」というジミーと、「生めと言った」というフランシーン。その直後、急に産気づいた彼女は病院に運ばれ、男の子を産む。病院に訪ねてきたジミーは彼女に別れを告げる。取り乱しそうなので子供の顔は見ないで行くという。そして二人は抱き合い、別れる。フランシーンはどんどんスターになり、ブロードウェー、ハリウッドとスター街道をまっしぐら。ある日、ジミーは映画館で彼女が主演したミュージカル映画「ハッピー・エンディング」を見ている。併映のニュース映画で、5才ぐらいになっている男の子を連れたフランシーンの姿を見る。元気な息子の姿に見入るジミー。ジミーはニューヨークのジャズ・クラブのオーナーとなり、一応、社会的には成功し、昔のジャズ仲間を出演させるなど安定した生活を送っている。ジミーは彼女が出演する大劇場の席を予約し、ステージを見に行く。パーティで彼女に再会したジミーは自分の息子とも初めて会う。「お父さんにキスしてくれよ。おまえは自分がお父さんとお母さんのどっちに似てると思うかい?」と訊く。息子は「お父さんだよ。だって、僕は男だからね」と答える。パーティを抜け出したジミーはフランシーンに電話を入れ、会ってゆっくり話がしたいと申し出る。彼女はOKし、ジミーは翌日、楽屋口で彼女を待つことになった。翌日、雨の降るニューヨーク。公演を終えた彼女は楽屋口のところまでやって来るが、「出口」EXITの文字に足を止め、しばし躊躇ったのち、その「出口」を出ずにエレベーターで自分の部屋に上がっていくのだった。外で彼女が出て来るのを待っていたジミーも彼女が来ないことに納得したように楽屋口を立ち去るのだった。ニューヨークの雨に打たれる街角にテーマ曲とともにクレジット・タイトルが流れる中、映画は終わっていく。











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【Years Ago−Go!】







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・「レット・ザ・ウインド・キャリー・ミー」 (ジョニ・ミッチェル

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20061122







(2年前のエントリーも Playback♪)






THE KINKS アルバム「ソープ・オペラ」全曲訳 (8)





・「ホリデイ・ロマンス」 (キンクス

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20051122

*1:マーチン・スコセッシ監督の1977年公開のミュージカル映画「ニューヨーク、ニューヨーク」(ライザ・ミネリ、ロバート・デ=ニーロ主演)、このタイトルは、もちろん(感動を表す反復語法としての)「ニューヨーク、ニューヨーク(!)」ととらえてもかまわないとも思います。映画は、(通常の多くのミュージカル映画と違って、ブロードウェーなどの舞台でのヒット作品の映画化ではなく)オリジナルのミュージカル・ドラマ。詳しくは、歌のあとで。

*2:このアルバムからは、すでに「ブルー・ムーン」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20070822 がここで紹介されていますので、よろしければどうぞ♪

*3:このアルバムからは、すでに「ソング・サング・ブルー」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20070427 がここで紹介されていますので、よろしければどうぞ♪

*4:スコセッシの映画があまりヒットしなかったこともあって、きょうのこの歌は当初はさして注目されることもなかったそうだが、それが一変したのは、フランク・シナトラがステージでレパートリーとして採り上げ、併せて1980年発表の彼のアルバム「トリロジー」でシナトラの新曲として発表して以来のことで、それ以降、この歌はシナトラの代表作のひとつとなったばかりか、多くのシンガーたちによって歌われるスタンダード・ナンバーの仲間入りを果たすようになった。なお、このシナトラのヴァージョン(したがってスタンダードとされるヴァージョン)には、ライザ・ミネリが映画の中で歌ったこの歌のオリジナル・ヴァージョンとは若干の歌詞の相違があるのだが、歌の流れを逸脱したり変えるほどのものではなく(例えば、「my little town blues」が「these little town blues」だったり、「in a city that does't sleeps」が「in a city that never sleeps」となっていたり、また、「And step around the heart of it」が「(直前の「longing to stray」をそのまま引っ張るかたちで)right through the very heart of it」といった程度の用語の相違にすぎないものだが)(まあ、大御所らしいインパクトのあるところでは、オリジナルの「to find I'm a king of hill」が(二回目の繰り返しのところでは)「And find I'm A-number-one」と歌い、さらに「Cream of the crop at the top of the heap」をスキップして「A-number-one!」と歌っていることだろうか)、(エンディングでミネリが歌う「Come on, come through,」というラインもシナトラは歌っていないなど)、あえて別の歌詞を掲載するほどのものではない。)

*5:もちろん、「それは自分次第だわ」と聴くこともできますね。(ここでは次のラインのニューヨークへの呼びかけを活かして「you」をニューヨークと聴いた訳として記してみた。