Washington Square

Words & Music by Bobb Goldsteinn and David Shire.
(1963年発表) *1







(原題直訳 「ワシントン広場」) *2









歌詞は、次のURLから、
http://oldies.tuneforums.com/thread_view.php?threadID=270







Original hit by The Village Stompers, and their album is, "Washington Square". *3

名作アルバム度 ☆☆☆



(ヴィレッジ・ストンパーズ) *4







名曲度 ☆☆☆☆☆





邦題「ワシントン広場の夜は更けて」 (エームズ・ブラザーズ)*5






From Cape Cod Light to the Mississip,
ケープコッドの灯台から、ミシシッピー河や
To San Francisco Bay,
サンフランシスコ湾に至るまで
They're talking about this famous place,
世間の人たちは、名高いその場所について噂している
Down Greenwich Village way.
グリニッチ・ヴィレッジにあるその場所をだ
They hootenanny all the time with folks from everywhere, *6
そこでは、各地から来た人々たちでいつもフーテニナニーをやっているんだ
Come Sunday morning, rain or shine,
Right in Washington Square.
日曜の朝が来れば、そこ、ワシントン広場では、
晴れてようが雨だろうがね




And so I got my banjo out,
そう、そういうことで、
ぼくは自分のバンジョーを取り出した
Just sittin' and catchin' dust,
とにかくすわって、埃をとってやったんだ
And painted right across the cace
そして、デカデカとケースこう書いた
"Greenwich Village or Bust."
「グリニッチ・ヴィレッジへ、さもなくば破滅だ」
My folks were sad to see me go,
周りの連中は、
このぼくが行ってしまうのを見るのを悲しんだのだが
But I got no meanin' there.
だけど、ぼくにはあそこに残る意味なんてなかったのさ
I said
ぼくは言ったぜ
"Goodbye, Kansas, Mo, and hello, Washington Square!" *7
「さよなら、カンザスミズーリ州
そして、ワシントン広場よ、こんにちわ」と




Near Tennessee, I met a guy who played 12-string guitar.
テネシー近辺で、ぼくは12弦ギターを弾くひとりの男と出会った
He also had a mighty voice,
そいつは力強い、いい声もしてたんだ
Not to mention a car.
もちろん、クルマも持ってたんだ
Each time he hit those bluegrass chords,
ヤツが
あのいかにもブルーグラスってコードを弾くたびに
You sure smelled mountain air.
ホント、しっかりと山の空気が匂ってきたんだ
I said,
ぼくは言ってやったよ
"Don't waste it on the wind. Come on to Washington Square."
「風を相手じゃ、もったいないぜワシントン広場に行こうぜ」ってな




In New Orleans, we saw a gal a-walkin' with no shoes,
ニューオーリンズで、
ぼくは、靴を履かずに歩いてるひとりの女のコを見たんだ
And from her throat there comes a growl.
そして、彼女の喉からはダミ声がしてたんだ
She sure was singin' the blues.
彼女、確かにブルースを歌ってたんだ
She sang for all humanity,
彼女は全人類のために歌ってた
This gal with the raven hair.
このカラスのような黒い髪をした女がだ
I said,
ぼくは言ったぜ
"It's for the world to hear. C'mon to Washington Square."
「世の中に聴かせてやるべきだぜ。ワシントン広場に行こうぜ」と




We cannonballed into New York on good old US 1,
おれたちは古き佳き合衆国1号線で砲弾のようにニューヨークに向かった
Till up ahead we saw the arch, a-gleamin' bright in the sun.
ようやく、おれたちのすぐ目のまえにあの記念のアーチが
太陽の下で明るく輝いているのが見えてきた
As far as all the eye could see, ten thousand folks was there,
ざっと見渡す限りでも、1万人もの人間がそこにいた
And singin' in sweet harmony right in Washington Square.
そして歌っていたんだ
ワシントン広場で、ステキなハーモニーで



*8

So how's about a freedom song,
ということで、どうだい、ひとつ自由の歌などは
Or the old "Rock Island Line" ? *9
それとも、懐かしの「ロック・アイランド線」でいってみるかい?
Or how's about the dust-bowl crop, *10
じゃなけりゃ、黄塵地帯の農民たちの歌はどうだ?
Or men who work in a mine?
それとも、鉱山で働く男たちの歌にするか?
The songs and legends of our land is gold we all can share,
ぼくたちのこの国の歌と伝承は、
ぼくたちがみんなで分かち合える黄金なんだぜ
So come and join us folks who stand and sing in Washington Square.
だから、ワシントン広場で力強く歌っている人々よ、
さあ、ぼくたち、みんなで一緒になってやろうじゃないか









Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞 122009









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【Years Ago−Go!】






(1年前のエントリーを Playback♪)




・「ペギー・スー」 (バディ・ホリー
・「ペギー・スー・ゴット・マリッド」 (バディ・ホリー

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20060925








(2年前のエントリーも Playback♪)






・「ラヴ・チャイルド」 (ダイアナ・ロスシュープリームス
・「スラムの小鳩」 (ダイアイナ・ロス&シュープリームス

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050925

*1:1963年のヴィレッジ・ストンパーズの大ヒット曲で、彼らの演奏によるオリジナル・ヴァージョンには歌はなく、バンジョーをフィーチャーしたデキシーランド風のインストゥルメンタルだったが、(当時のポップ・ミュージックの世界では大ヒット曲はすぐに間髪をおかずに競作となるのはひとつのビジネス上の定石のようなもので)この曲のヒットに気をよくした音楽出版社はすぐに歌ヴァージョンを作ることを画策し、急遽、作者たちにそれをもちかけ、ボブ・ゴールドスタインとデイヴィッド・シアのメロディにふたりによって歌詞がつけられ、すでに末期を迎えていたエピック時代のエームズブラザーズによるシングルがリリースされることになったが、そこそこのヒットにとどまった。(日本ではヴィレッジ・ストンパーズのオリジナルが大ヒットしたのと並んで、漣健児の日本語訳詞による(「♪静か〜な街の片隅にィ/冷た〜い風がァ/吹き抜けるゥ/ワシントン広場の/夜は更けてェ/夜霧に浮かぶ/月明かりィ・・・・」とゆーよーに歌う)ダーク・ダックスによるヴォーカル・ヴァージョンも大ヒットしているが、あちらの歌詞とはまるで違う「ワシントン広場」が(あくまでも)(ヴィレッジ・ストンパーズの演奏からの)イメージとして歌われている。そもそも「夜が更けて」いるのは、日本で勝手につけた邦題だけの話なんですよネw、メロディーのイメージによく合ったいい邦題だとは思いますけど。

*2:この歌のタイトルの「ワシントン広場」とは、ニューヨークはマンハッタンのグリニッチ・ヴィレッジにある広場形式の公園で、第二次大戦の末期の頃から、日曜日になるとフォーク・シンガーたちが集まって歌うようになっていて、それがひとつのこの広場の名物のようになっていたのが、きょうのこの歌の歌詞にも反映している。正式名称は「ワシントン広場公園(Washington Square Park)」。パリの凱旋門をモデルとして建てられた初代合衆国大統領ジョージ・ワシントンの就任記念門がこの広場のシンボル的存在となっている(ジャケット画像参照)。広場の周囲の建物は、現在ではすべてニューヨーク大学(NYU)の校舎や施設となっているようで。卒業式もこの公園を借り切って行われているという。

*3:きょうのこの歌を歌っているエームズ・ブラザーズの当該収録アルバムが確認できませんでしたので、しかたなくこの曲のオリジナル・インストゥルメンタル・ヴァージョンで大ヒットを放ったヴィレッジ・ストンパーズのアルバムを掲げさせていただくこととする。

*4:アメリカやイギリスでは、かつてはよくあったことで何ら珍しいケースではないのだが、スタジオ・ミュージシャンを集めてある楽曲をレコーディングをした上で、企画に沿った適当なグループ名をつけてシングルとしてリリースし、それがラジオなどを通じてヒットすると、その時点でTV出演やライブ巡演に向けて、あらためてメンバーをチョイスして、名前だけだったそのグループをあたかも実在のグループであったかのように編成する。きょうのこの曲をヒットさせたヴィレッジ・ストンパーズもそんなグループのひとつで(当初は「ザ・セインツ・オヴ・ブリーカー・ストリート」(ブリーカー通りの聖者たち)というグループ名が作曲者のゴールドスタインによって提案されていたという)、リリース後のこの曲のヒットで急遽、地方公演用にレコーディング・プロデューサーだったデューク・ナイルズによって編成された「ザ・ヴィレッジ・ストンパーズ」は、トランペッターのフランク・ハベルをリーダーとしたフランク・ハベル&ザ・ハブキャップスというグループを主体とした8人編成のグループだった。彼らヴィレッジ・ストンパーズは、その後も、こうしたインストゥルメンタル・ナンバーのオリジナルやカヴァーを集めたアルバムをエピックから実に8作も残しているようだ。

*5:1940年代末から1950年代が終わるまでの時期に全米で絶大な人気のあったマサチューセッツ州出身の兄弟4人組のコーラス・グループ。1948年にボストンのレーベル、シグネチュアからモニカ・ルイスのバック・コーラスでレコード・デビュー、1949年には4人組のコーラス・グループとしてコラールから「」でデビュー・ヒットを飛ばし、1950年には「ラグモップ」がミリオンセラーとなる大ヒットとなって人気を不動のものとし、以後、1953年までに16曲のヒットを残して、メジャーのRCAに移籍、いきなり「ユー・ユー・ユー」が8集連続して全米トップとなたのをはじめ、幅広いスタイルをこなし、多くのヒット曲を残しているが、きょうのこの歌を発表した時期には、リード・ヴォーカルだったエド・エームズが(ブロードウェーでのキャリアを目指して(?)すでにソロとして)脱退した後の3人組になったエピック時代のエームズ・ブラザーズで、結果的には、これが彼らの最後のチャート・インしたシングル(Epic 9630)となった。なお、この曲の入った彼らのアルバムが、いまのところ(各種のベスト盤やボックス・セットを含めて)わたししにはまったく確認できていない状態なので、これについては今後の判明をお待ちいただきたいと思います。

*6:「フーテナニー」って何? ってことだが、それは一言で言えば「フォークソング集会」とでも言えばよいだろうか? もともとは、歌や踊りを呼び物とする形式ばらない「楽しい集い」といった意味合いを持つ語がこの「フーテナニー」というコトバだったようだが、フォークソングのブームとともに。これがひとつのブームになった1950年代末期から1960年代初め頃にかけては、TV番組などでもこのフーテナニーの形式をとった歌番組も放映されるなど、ブームの中から、タリアーズ(実際にワシントン広場で歌っていたメンバーもいたグループ)をはじめ、キングストン・トリオやブラザーズ・フォア、チャド・ミッチェル・トリオらがスターとなり、やがて1960年代のケネディの時代に入ると(本格化する公民権運動の高揚の中で)ジョーン・バエズやピーター・ポール&マリー、ボブ・ディランらのモダン・フォークのムーヴメントへと展開していくことになる。きょうのこの歌もそんな時期を映したエスタブリッシュメントの側からのヒット曲といっていいだろう。

*7:(一応、言っておくと)ミズーリ州カンザスカンザスカンザスのふたつのカンザス・シティミズーリ河とカンザス河をめぐって位置している。

*8:ここから先のいかにも大恐慌時代やそれに引き続くニューディールの時代の(ウディ・ガスリーらによる)アメリカのフォークソングの興隆の歴史を偲ばせる歌詞に対して、当時、エピックの母体だったコロンビアの上層部からクレームがつき(おそらくヨーロッパのサンディカリズムの唯一の(?)アメリカ的展開であった1920年代からの「ウブリーズ」Wobblies(=Indusroal Workers Union of the World=IWW=世界産業労働者組合)的なイデオロギーを感じたのだろう)、エームズ・ブラザーズのシングルは、この部分を丸ごとカットするかたちで(すなわち、まったく歌われることなく)レコーディングされることとなった。言うまでもなく、きょうのこの歌には、そうした思想性(!)などはまるでなく、単に、当時、ワシントン広場の公園に集まって歌っていた人間たち(彼らはマスコミから揶揄的に「ビートニック」などと呼ばれたりもしただろうw(「ビートニック」とはもちろん「ビート」に対する(体制の側からの)揶揄的また嘲笑的な語であることは説明するまでもないだろう。)をごくごく風俗的に(あるいはタブロイド紙的な(あるいはTV的なw)ジャーナリスティックな観点から)素描したまでのいかにも職人的な歌詞にすぎない。だいたいこの歌を歌っているのがエームズ・ブラザーズなのだから安全この上ないだろうになあw。こうした歌の変奏は、また、その10年後のヒッピーたちのフラワー・パワー・ムーヴメントに際して、今度はサンフランシスコを舞台に歌われることになるだろう。それがスコット・マッケンジーの「花のサンフランシスコ」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050208 であり、また、ビージーズの「マアチューセッツ」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050208 、さらにはカウシルズの「雨に消えた初恋」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050619 などとなるだろう。

*9:禁酒法時代に)密造酒を州内に密輸するシカゴのローカル線の機関士を歌ったレッドベリーによって広められたフォークソングの名作で、イギリスではロニー・ドネガンによって1955年に紹介され、大ヒットとなり、スキッフル・ブームを呼んで、当時のイギリスの男の子たちがこぞってギターを手にするようになり、近所や学校の友達同士で(男の子の遊びのひとつとして)バンドを組むことがイギリス全土に大流行し(ちょっとベンチャーズ寺内タケシらによる日本の1960年代中期の男の子たちの「エレキ・ブーム」に似てますネwink)、ドネガンらによって次々に紹介されるアメリカのフォーク・ソングを 男の子たちはギターと(茶箱に打ち付けた棒に紐を張ってベースとした1弦の)茶箱のベースや(洗濯板をバンジョー用の金属のフィンガー・ピックで両手10本の指で弾いてパーカッション替わりとした)洗濯板(=ウォッシュボード)などのジャグ・バンド風の演奏で「自分たちの手でやる」(つまり「Do it yourself」な)音楽に目覚めていき、やがてビートルズらによるイギリス産のポップ・ミュージックが全世界を席巻するようになるだろう。そのスキッフル・ブームを通じてアメリカのフォークソングやブルースのレパートリーが(いわば一種の教養のようにして)いくらかその時期にイギリスの若いハートに流入していたことは見過ごすべきではないことだろう。そして(さらに歴史的観点に立ってみるなら)、もともとアメリカのフォーク。ソングにはイングランドスコットランドアイルランドウェールズを起源としたものも少なくなく、それが(カウント・ベイシー楽団をモデルとしたクリス・バーバー楽団のバンジョー奏者だったロニー・ドネガンらによるルーツ・ミュージックのショータイムを通じて「スキッフル」というブームとなり、アメリカの民衆の歌として再びイギリスに回帰してきたということもまた一部ではあったわけだ(♪)。そして、きょうのこの歌に歌われた「フーテナニーブーム」からビートルズらの「ブリティッシュ・インヴェージョン」、アメリカの「フォーク・ロック」、「サイケデリック」、「カントリー・ロック」とポップ・ミュージックにおけるモードの変遷がしっかりと(場所=土地と人=人々をめぐり)(あるときは事件=出来事となって)ひとつの流れ行く動き(=運動=movement=(歴史の)楽章)として明らかに追跡可能なかたちで可視化し可聴化しているのがよくわかりますネ(!)マンボ・ジャンボ、Yeah,it's like a mumbo jumbo.

*10:テキサスの内陸部やニューメキシコオクラホマコロラドカンザスなどの乾燥平原地帯に吹き荒れる砂嵐で、とくに1930年代につづいた大旱魃においては、激しい土砂嵐となってこの地域の農民を苦しめ、移住をよぎなくさせるほどで、ウディ・ガスリーの名作「ダスト・ボウル」やジョッシュホワイトをはじめとする多くのブルースやフォークシンガーたちによって歌われ、ジョン・スタインベックらの小説にも描かれた。