Talkin' New York

Words & Music by Bob Dylan.
(1962年発表)*1







(原題直訳 「ニューヨークを語る」) *2







歌詞は、次のURLから、
http://www.sing365.com/music/lyric.nsf/Talking-New-York-lyrics-Bob-Dylan/B5C6DE7445B29B414825696900272606






From Bob Dylan album, "Bob Dylan".  *3

名作アルバム度 ☆☆☆☆



ボブ・ディラン」 (ボブ・ディラン







名曲度 ☆






邦題「ニューヨークを語る」 (ボブ・ディラン








Rambling out of the wild west
大いなる西部から、さまよい歩いて
Leaving the towns I love best
自分がもっとも愛する町々をあとにしながら
Thought I'd seen some ups and down
ぼくは、
いい目や悪い目をいくつか見てきたのだと思う
'Till I come into New York town
やがてニューヨークの街へとやって来た
People going down to the ground
人々は地下へと降りて行き
Building going up to the sky.
ビルディングは空へと伸びている




Wintertime in New York town
ニューヨークという街の冬の季節
The wind blowing snow around
風があたりに雪を吹雪かせる
Walk around with nowhere to go
行くあてもなく歩きまわり
Somebody could freeze right to the bone
骨まで凍りついてしまう人間もいるはずだ
I froze right to the bone
このぼくが骨まで凍てついてしまっている
New York Times said
ニューヨーク・タイムズによると
It was the coldest winter in seventeen years
これは17年ぶりのもっとも寒い冬だったという
I didn't feel so cold then.
ぼくは、
それほどの寒さを そのときは感じはしなかった




I swung on to my old guitar
自分の古ぼけたギターを ぼくはかき鳴らした
Grabbed hold of a subway car
地下鉄の車両で しっかりとつかまって
And after a rocking, reeling, rolling ride
そう、揺られ、揺られて、揺れまわり、乗ってた果てに
I landed up on the downtown side:
ぼくはダウンタウンの区域に上陸した
Greenwich Village.
グリニッチ・ビレッジだ




I walked down there and ended up
ぼくはあたりを歩いていき、そして、たどり着いた
In one of them coffee-houses on the block
その一角にあるコーヒーハウスの一軒に
Got on the stage to sing and play
ステージに上がって、歌って弾いた
Man there said,
店の男が言った、
"Come back some other day
「また、いつか来るんだな
You sound like a hillbilly
おまえのはヒルビリーみたいにしか聞こえんぜ
We want folksingers here."
うちが、ここで欲しいのはフォークシンガーなんだ」




Well, I got a harmonica job begun to play
さてさて、
ぼくはハーモニカの仕事にありついて、吹きはじめた *4
Blowing my lungs out for a dollar a day
1日1ドルで両の肺で吹きまくった
I blowed inside out and upside down
肺が裏返しになるほどに、
上下がひっくり返るほどに、ぼくは吹いた
The man there said he loved my sound
その場にいた男が言ってくれたぜ
やつはぼくの音が気に入ったと
He was raving about he loved my sound
はえらくまくしたてるようにして
自分がぼくの音を気に入ったと言ってくれた
Dollar a day's worth.
日当1ドル分、相当にはか




After weeks and weeks of hanging around
何週間も何週間もブラブラした挙句
I finally got a job in New York town
ぼくは、ようやくニューヨークの町で出番を手に入れた
In a bigger place, bigger money too
ずっと大きなところで、カネも もっとでかかった
Even joined the Union and paid my dues.
組合にも加入した、そう、自分の料金を払ったのだ




Now, a very great man once said *5
さてさて、
とある立派な人物が かつてこんなことを言っている
That some people rob you with a fountain pen
万年筆を使って おまえから盗み取る連中というものがいるのだと
it doesn't take that long to find out
Just what he was talking about
彼がつまり何を言っているのか
それがわかるのに、それほど長くはかからなかった
A lot of people don't have much food on their table
多くの人間が、自分たちの食卓に
しこたま食い物を持っているわけではないのだということ
But they got a lot of forks and knives
それなのに、フォークとナイフだけは、連中はたっぷりと手にしてる
And they gotta cut something.
だから、あいつらは
何かを切り刻まずにはいられないのだってことなのだ




So one morning when the sun was warm
ということで、ある朝、日差しの暖かい中を
I rambled out of New York town
ぼくはニューヨークの町を出て、さまよい歩いた
Pulled my cap down over my eyes
帽子を目深にかぶり
And headed out for the western skies
そして、西部の空を目指したのだ
So long New York
あばよ、ニューヨーク
Howdy, East Orange. *6
おっす、イースト・オレンジ










Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞 112909











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【Years Ago−Go!】







(1年前のエントリーを Playback♪)






・「20世紀の狐」 (ドアーズ)
http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20060911







(2年前のエントリーも Playback♪)






・「霧の8マイル」 (バーズ)

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050911

*1:この年、発表された全13曲からなる彼ののデビュー・アルバムには、まだ自作のオリジナル曲は、きょうのこの歌と「ウディに捧げる歌」の2曲が収録されているだけだった。

*2:この「・・・・を語る」というタイトルのスタイルは、若き日のディランのアイドルでもあり、また師と仰いだウディ・ガスリーを真似たものだろう。ディランには、ほかにも「ジョン・バーチ協会を語る」や「第三次世界大戦を語るブルース」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20060304 などのトーキング・ブルースがある。

*3:このアルバムからは、すでに「朝日のあたる家」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050423#p2 と「ウディに捧げる歌」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20060207#p2 の2曲がここで紹介されていますので、よろしければアルバムのお伴にどうぞ♪

*4:このスタンザをディラン自身の伝記的な事実に照らし合わせるならば、これは1961年2月のキャロリン・へスターのアルバム第3作「Carolyn Hester」のレコーディングにハモニカで参加したときのことだろう。その場にいた男とは、へスターのそのアルバムのプロデューサーであるジョン・ハモンドで、ディランはこのハモンドの手でその年の10月にコロンビアと契約、翌月にはレコーディングに入り、2日間のレコーディング・セッションを経て、きょうのこの歌を含む彼のデビュー・アルバム「ボブ・ディラン」が翌1962年3月に発表された。ボブ・ディラン20歳の春のことだった。

*5:この立派な人物とは当時のディランが師と仰いでいたウディ・ガスリーのことだろう。というのもウディ・ガスリーの名曲「Pretty Boy Floyd」の一節には(歌の主人公である若きお尋ね者の犯罪者の言葉として)(ディランのこの歌とよく似た)「おれはいろいろと世間を渡り歩いてきたが、随分とおかしな野郎どもを見てきたぜ、6連発の銃でヒトから物を奪うやつらもいれば、万年筆1本で盗むやつらもいる」という歌詞がある。

*6:イースト・オレンジはニューヨーク州に隣接するニュージャージー州北東部の都市なので、西部を目指す旅がはじまったばかりのところでこの歌は終わっている。