Song For Bob Dylan

Words & Music by David Bowie.
(1971年発表)





(原題直訳 「ボブ・ディランのための歌」)






歌詞は、次のURLから、
http://www.seeklyrics.com/lyrics/David-Bowie/Song-For-Bob-Dylan.html






From the David Bowie album, "Hunky Dolly". *1


名作アルバム度 ☆☆☆☆☆



ハンキー・ドリー」 (デイヴィッド・ボウイ)






名曲度 ☆☆






邦題「ボブ・ディランに捧げる歌」 (デヴィッド・ボウイ







*2
Oh, hear this Robert Zimmerman
あゝ、ひとつ、聞いてくれ、ロバート・ズィンママンよ *3
I wrote a song for you
ぼくは、あなたに歌を作ったんだ
About a strange young man called Dylan
ディランと呼ばれるひとりの変わった若者についてのものさ
With a voice like sand and glue
砂と糊みたいな声をして
His words of truthful vengeance
真実溢れるその報復の彼の言葉たちは
They could pin us to the floor
ぼくらを床の上に釘付けにし
Brought a few more people on
さらにまた何人かの連中を登場させてきた *4
And put the fear in a whole lot more
そして、
さらにもっと多くのすべて人々の中に恐怖を植えつけた




Ah, here she comes
あゝ、彼女がやって来る
Here she comes
ほら、彼女が来たぞ
Here she comes again
彼女がまたしてもやって来た
The same old painted lady
From the brow of a superbrain
とある超頭脳(スーパーブレイン)の端っこから
昔ながらのあドッ派手なご婦人が
She'll scratch this world to pieces
As she comes on like a friend
彼女は
友達のようにして姿を現し、そうするうちに
この世界をとことん抉りまくってしまうだろう *5
But a couple of songs from your old scrapbook
でも、あなたの昔のスクラップブックからのふたつの歌で
Could send her home again
彼女をまた故郷に追い返すことができるだろう *6



You gave your heart to every bedsit room
あなたはあらゆる小さな一間だけの貸部屋にあなたのハートを与えた *7
At least a picture on my wall
少なくともぼくの部屋の壁には写真があった
And you sat behind a million pair of eyes
そして、あなたは百万もの多くの両の瞳の奥に座って、
And told them how they saw
そう、彼らに 彼らがどうものを見ているかを言ってやったのだ
Then we lost your train of thought
その後、ぼくたちはあなたの思考の道筋を見失ってしまった
The paintings are all your own
それらの絵画は、すべてあなた自身なのだ
While troubles are rising
一方でトラブルが持ち上がる中
We'd rather be scared
Together than alone
ぼくらは、むしろ
ひとりでいることよりも
一緒にいることに脅えてしまうのだ




Ah, here she comes
あゝ、彼女がやって来る
Here she comes
ほら、彼女が来たぞ
Here she comes again
彼女がまたしてもやって来る
The same old painted lady
From the brow of a superbrain
とある超頭脳(スーパーブレイン)の端っこから
昔ながらのあの塗りたくったご婦人が
She'll scratch this world to pieces
As she comes on like a friend
彼女は
友達のようにして登場してくる中で
この世界をとことん抉りまくってしまうだろう
But a couple of songs from your old scrapbook
だけど、あなたの古いスクラップブックからの歌をふたつで
Could send her home again
また彼女を故郷に追い返すことができるだろう




Oh
おゝ、



Now hear this Robert Zimmerman
さあ、これを聞いてくれ、ロバート・ズィンママン
Though I don't suppose we'll meet
ぼくたちが顔を合わせることはないだろうと、ぼくは思うけれど
Ask your good friend Dylan
あなたのよき友人のディランに訊いてみてくれ *8
If he'd gaze a while down the old street
彼がたまにはちょっとあの懐かしの街路を見下ろしたりしてるかどうかを *9
Tell him we've lost his poems
彼に伝えてくれ、
ぼくらが彼の詩作品を喪ってしまっていることを
So they're writing on the walls
そうなんだ、それらはあちこちの壁に書かれてしまっているんだ *10
Give us back our unity
ぼくらの まとまり(一体感)を、ぼくらに返してくれ *11
Give us back our family
ぼくらという一家(=ファミリー)を、ぼくらに返してくれ
You're every nation's refugee
あなたは、あらゆる国からの難民だ
Don't leave us with their sanity
ぼくらを世間の正気と一緒にして、おいてけぼりにしないでくれ




Ah, here she comes
あゝ、彼女がやって来る
Here she comes
ほーら、彼女が来たぞ
Here she comes again
またしても彼女がやって来た
The same old painted lady
From the brow of a superbrain
とある超頭脳(スーパーブレイン)の端っこから
昔ながらのあのドッ派手なご婦人が
She'll scratch this world to pieces
As she comes on like a friend
彼女は
友達のようにして姿を現し、そうするうちに
この世界を徹底して抉りまくってしまうだろう
But a couple of songs from your old scrapbook
だけど、あなたの古いスクラップブックからの歌をふたつで
Could send her home again
また彼女を故郷に追い返すことができるのだ




A couple of songs from your old scrapbook
でも、あなたの古いスクラップブックからの歌をふたつで
Could send her home again
また彼女を故郷に追い返すことができるだろう
Oh, here she comes
あゝ、彼女が来たぞ
Here she comes
ほーら、彼女がやって来る









Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞 081809








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ここでボウイさんに歌われたディランさんには、
そのまたお師匠さんのウディ・ガスリーを歌ったごく初期の有名な歌がありますね。



・「ウディに捧げる歌」 (ボブ・ディラン

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20060207#p2









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【Years Ago−Go!】






(1年前のエントリーを Playback♪)







・「幻のアトランティス」 (ドノヴァン)

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20060614







(2年前のエントリーも Playback♪)







・「ヘルター・スケルター」 (ビートルズ

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050614

*1:このアルバムからは、すでに「Oh! You Pretty Things」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20070318 がここで紹介ずみですので、よろしければどうぞ♪

*2:ボウイはこの歌を全編にわたってディランの独特の声とイントネーションを真似て、ディランの物真似をするようにして歌っている。

*3:ボブ・ディランの本名。(カタカナでは「ロバート・ジンマーマン」と表記されることもあるようだ。))

*4:ディラン以降、ディランのような歌手やアーティストは(有名無名スーパースターを問わず)あらゆる言語のあらゆる国の音楽シーンに登場し、いまもそうした存在は(言わば)ひとつのジャンルのようになっていると言えるだろう。

*5:この「scratch」という動詞は、たぶん、次の「scrapbook」との音韻との関係で音優先で選ばれたコトバだろうから、あまり厳密にこの「ひっかく」「抉る」という動詞にこだわることはないだろうとわたしは思う。似たようなそういう動詞も意味としては代替可能だろう。いつも言うように言葉の「音」を優先する歌というのは、本来、そうやって聴いているものであるだろうから♪

*6:このサビの部分(というのか、ミドル・エイトと言うべきか)については、いろいろと議論があるようだが、普通に聴けば、ぶっちゃけ、わたしには「ディランのまた新しい曲(=彼女)が発表されたが(=ディランという「スーパーブレイン」の隅っこからやって来たが)、むかしのディランのものに比べたら、その鋭さ(この世界をひっかくさま)は、到底、かつてのものにはかなわないなな」と(突如として意識の最前線からアメリカ音楽という伝統へと回帰するように変貌を遂げてしまったかのように世界中の人々の目に映り、耳に響いた時期のディランへのある種の失望とそれによる喪失感、さらにはかつての凄まじいまでのディランへの切望の思いをボウイらしく歌った歌に)聴こえるぐらいだが、かりに俗に言う「ディラノロジー」(ディラン学)とか「ボウイロジー」(ボウイ学)と言われるような討議に参加するならw、わたしにはアハハこんな学説wの用意があるので、以下、そのテの議論がお好きな方は、どうぞ、しばしのお付き合いを。さて、ゴホン、ゲボゲボ、アルバム「ハンキー・ドリー」では、この歌は「アンディー・ウォーホル」という歌につづけて(レコード盤ではB面の3曲目に)収録されている。ボウイ自身が大きな影響を受けたとされる2人の芸術家を歌った歌を2曲つづけてアルバムにラインナップしているわけだが、このサビの部分のわからなさ、唐突さは、その「アンディ・ウォーホル」を念頭に入れてみることで(人によっては)いくらか、おぼろげながらも、その手がかりが見えてくるかもしれない。まず、このサビの部分のリズムとサウンドとメロディが(ディランを歌ったきょうのこの歌よりも、むしろ)「アンディ・ウォーホル」にふさわしいものと聴くことができること。(実際のところは、もうひとつべつのメロディーが必要になるかもしれないが)このサビの部分は(メロディも歌詞も)そのまま、あの似非フラメンコ風味の「アンディ・ウォーホル」にすんなりとはまるものと言えるだろう。むしろ、こちらの歌のために出来てきたのが、このサビの部分だったのかもしれない。(だから、あくまでもこれはわたしの推理であるわけだが)かりに、このサビの部分のその歌詞が「アンディ・ウォーホル」というタイトルのもとに置かれたとしたら、(人が思い浮かべる)ここに登場する「彼女(!)」のイメージは自ずと限られてくることになるだろう・・・・。ヴィヴァとか、ニコとか・・・・、そう、イーディ・セジウィックといったアンディ・ウォーホルのスタジオ、「ファクトリー」のスーパースターたちだ。いまでこそ「スーパースター」という語はスターの中のスター、スターの横綱というべきスターたちの不滅のグランド・チャンピオンを指すスーパースターという語になっているが、そもそもはアンディー・ウォーホルのアンダーグランド映画に出演する無名の風変わりな美女たちを指すコトバだった。そして、そのスーパースターのひとりでボブ・ディランにもつながる存在といえば・・・・・(!)、そう(知るヒトぞ知る)イーディ・セジウィックをおいてほかにはないだろう。WASPの名門セジウィック家に生まれたご令嬢で、あの「ヴォーグ」誌で1965年の「ガール・オヴ・ザ・イヤー」と賞賛されたファッション・モデルでもあったイーディについては、昨年、日本でもその生涯を描いた映画「ファkトリー・ガール」(シエナ・ミラー主演、ジョージ・ヒッケンルーパー監督)が公開されたほか、ウォーホルやリキテンシュタイン、トルゥーマン・カポーティなど生前の彼女を知る多くの有名無名の人物たちの証言によってのみ構成されたオーラル・バイオグラフィーという手法による伝記「イーディ」(筑摩書房刊)http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0498.html も出ていて、日本でも一部に熱心なファンが多いようだが、1965年、エレクトリック・ギターを手にフォーク・ロックに転身したディランがそれまでのフォークの女王、ジョーン・バエズに替わる恋人(?)として、また、イメージづくりのパートナー=キャラクターとして利用しようとしたのが(というのは、わたくしのたいへん悪意ある見方ですがw)このイーディ・セジウィックだったわけだが、つまり、このサビの部分は、この歌と(アルバム上でこの歌に先行する)「アンディ・ウォーホル」の双方をリンクする輪となっており、(だとしたら)この部分の歌詞に登場する「超頭脳(スーパーブレイン)」とは(言うまでもなく)アンディ・ウォーホルのこととなり、実際、イーディらスーパースターたちはアンディの頭の中の(彼に特有の)ふとした気まぐれや思いつきから生まれた生身の "作品" にほかならなかった。そしてディランのダブル・アルバム「ブロンド・オン・ブロンド」がこのイーディによって触発された作品であり、また、実際にそれを物語るかのように初版のアルバム・ジャケットの見開きの何枚かのスナップ写真のひとつには(発売後、すぐに差し替えられてしまったが)イーディの写真も載っていたし、それ以上にこのアルバムにはイーディに向けて作られた歌も複数 収録されていることは広く伝えられ、また、よく知られていることだ。だとしたら、きょうのこの歌のこのサビの部分(というかミドル・エイトと言うべきか?)に歌われている(「彼女をまた故郷に追い返す」)「ふたつの歌」とは、そう、ディランのあの名曲「ライク・ア・ローリングストーンhttp://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050326 (こわいですね)と、それに劣らぬ不滅の名曲(でアルバム「ブロンド・オン・ブロンド」所収の)「女の如く(ジャスト・ライク・ア・ウーマン)」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050216 (切ないですね、美しいですね)ということになるだろう。(他にも「豹皮のふちなし帽」もまたイーディに実によくお似合いの歌ですね。)という具合に久しぶりにシャーロック・ホームズごっこをしてしまいましたネ、いかがでしょうかな、ワトソンくん?

*7:この「bedsit」というのは、また「bedsitter」ともいうが(イギリス特有の表現ではないかと思うのだが)ひとり住まいをする若者たちの小さな狭い貸間のことで(日本で言えば、ちょうどむかしの「四畳半」というコトバが文化的にもよく似た響きを持つコトバではないかと思うのですが)部屋が狭いため、起きているときにリビングとして使うにときはベッドに腰かけて暮らさねばならないところから、こんなふうに「ベッドシット」「ベッドシッター」と呼ばれるようになりましたとさ。

*8:あくまでもディランでなく、ズィンママンさんに呼びかけた歌であるので、こういう言い回しになるわけですネ

*9:ディラン・ファンなら(ディランがいちばん凄かった時期の名作)「廃墟の街」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050108 (すばらしいです!)や「寂しき4番街」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050930 (おそろしいです!)を思い浮かべるだろう♪

*10:と(複数形だったりもするのでw)シンプルにこれを受け取ることもできるが、また、その一方で、これは「旧約聖書」の「ダニエル書」(第5章5節ー24節)の「壁に書かれた文字」の予言との関連で考えることのほうが英語圏ではむしろ自然なことかもしれないので、そこはひとつご用心。少なくとも一塁ランナーを牽制する動作ぐらいは頭の片隅でしながら聴くといいだろう。ダニエル書」のベルシャザール王の挿話では、壁に書かれた判読不能の文字は、預言者ダニエルによって「Your days are numbered」(おまえの日々は限られてある)と読み解かれるのだった・・・・・。しかし、ぶっちゃけ、今日のこの時代のコトバで「壁に書かれた文字」とは広告のキャッチコピーや商品名などになる。ディランの詩的な言葉も、かなりそういう表現に転用されていることを思うと、わたしは、そのあたりでボウイと目が合ったりもするイメージの訪れを受けるのだが、どうよ?

*11:1966年のモーターバイクの事故でシーンを離れるまで、(アルバムで言うと「時代は変わる」から「ブロンド・オン・ブロンド」までの間、音楽シーンに限らず、あらゆるカウンター・カルチュラルなシーンは、すべてディランを中心に(ディランを基軸として)観測(!)することができる、それが時代だった。ディランの歌や言葉、何よりもその「声」が現実に生きる人間たちの意識に(旧約聖書預言者たちの言葉もかくあったのだろうと思わせるような現実的な強いインパクトを持っていた。ロックの歴史にはそういう時代があり、それが(逆に言えば)(いわゆる)「ロックの時代」だったのだろうw。ボウイがここで「ユニティ」とか「ファミリー」という言葉で「返してくれ」と歌っているのは、そういうひとつの時代のある確かなひとつの熱気のようなものを指してのことだろ。みんながディランを聴いて、その歌や言葉に強い影響を受けて何かをし、また何かを作り出していた、有名無名のべつなく、多くの人々が。(たとえば、「やせっぽちのバラード」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050316 のような歌では、たいへん奇妙なかたちで誰もが(そこで起こっていることと)無関係ではいられなくなってしまったりもするのだwink。)だから、ディランがシーン全体の中心となり、また、軸としてシーンを作り出し、形成し、その焦点のようにも機能し、また現象しえたのだろう。シーンとは状況のこと、より具体的に言うならば(何かが起こっている)その「現=場」という「場」のことだ。1967年にアルバム「ジョン・ウェズリー・ハーディング」でディランがカムバックしてからは、ディラン本人に限らず、二度とそうしたシーンの中心となる存在は出現することはなかった。