You're My Woman

Words & Music by Van Morrison.
(1971年発表)






(原題直訳 「あなたは、わたしの女だ」)





歌詞は、次のURLから、
http://www.lyricsfreak.com/v/van+morrison/youre+my+woman_20143309.html






From the Van Morrison album, "Tupero Honey". *1


名作アルバム度 ☆☆



「テュペロ・ハニー」 (ヴァン・モリスン)





名曲度 ☆☆






邦題「ユア・マイ・ウーマン」 (ヴァン・モリソン







You're my woman
きみは、ぼくの女だ
And you're my woman
そう、きみは、ぼくの女なのだ
You bore my child, lord
きみは、ぼくの子供を産んでくれた、主よ
You bore my child, lord
きみが、ぼくの子供を産んでくれたのだ、おゝ
I want to thank you
ぼくは、きみに感謝したい
I want to thank you
ぼくは、きみに感謝したい
And no one else will do
そう、他の誰もしやしないことだ
And no one else will do
そう、ほかの誰もしやしない
And no one else will do
そう、ほかの誰もしないことだ
Baby, you, you are my sunshine
かわいい人よ、きみは、きみは ぼくの陽の光
I am your guiding light
ぼくは、きみの導きの光
Just like a ship out in the night
まるで夜中に出ている船のように
Returning for a light
光を目指して戻って行く




I love you
ぼくは、きみを愛している
I really love you
ぼくは、本当にきみを愛している
My heart is for you
ぼくの心は、きみのためのもの
My heart is for you
ぼくの心は、きみゆえのもの
I long to feel you
ぼくは切に願っている、きみを感じることを
I long to feel you
ぼくはきみを感じることを切望している
And every time I do
そして、ぼくがいつもそうなると
And every time I do
そう、ぼくがいつもそうなるたびに
And every time I do
そう、ぼくがいつもそうなると
Baby, it's you,
かわいい人よ、それはきみなのだ
You are my sunshine
きみこそが、ぼくの太陽の光なのだ
I am your guiding light
ぼくは、きみの導きの光
Just like a ship out in the night
ちょうど夜中に出ている船のように
Returning for a light,
光の下へと帰っていく
Oh yeah
あゝ、そうさ




And it's really real
そして、これは本当に本当なんだ
The way I feel
ぼくが感じている これ、
It's really real
これは本当に本当のことだ
Lord have mercy
主よ、ご慈悲を
Look into my eyes
ぼくの瞳の中を覗き込んでごらん
Look into my eyes
ぼくの両の瞳を覗き込んでごらん
And you realize
すると、きみはわかるのさ
And you realize
そう、きみは理解する
Is really, really, really real
本当に、本当に、本当に、本当なのを




In Kingston town now
いま、キングストンの町で
In Kingston town now
いま、キングストンの町で
Walked up and down now
歩きに歩いた、いま
Looked at the ground now
地面を見ていたんだ、いま
You went in labor
きみは働きに行った
You went in labor
きみは働きに出て行った
And all our friends came through
そして、ぼくらの友達は みんなして頑張った
And all our friends came through
そう、ぼくらの友人たちは みんなして頑張った
And all out friends came through
そう、ぼくらの友人たちは みんなして切り抜けた
Baby, it's you,
かわいい人よ、きみじゃなければ
You are my sunshine
きみこそが、ぼくの太陽の輝きなんだ
I am your guiding light
ぼくは、きみの導きの光
Just like a ship out in the night
ちょうど夜に出ている船のように
Returning for a light,
光のもとへと戻りつつある
Oo-we
おゝ、おゝ




And it's really real
そして、それは本当に本当なんだ
The way I feel
ぼくが感じている これ、
It's really real
これは本当に現実のことなんだ
Look into my eyes
ぼくの瞳を覗き込んでごらん
Look into my eyes
ぼくの両の瞳を覗き込んでごらん
And you realize
そうすれば、きみはわかるよ
And you realize
そう、きみはわかるのさ
It's really, really, really real,
これが本当に、本当に、本当に、現実のことなのだと
Oh yeah
あゝ、そうなのさ
And you're my woman
そう、きみはぼくの女なんだ
And you're my woman
そう、きみはぼくの女
And you're my woman
そう、きみがぼくの女なんだ
And you're my woman.....
そう、きみこそがぼくの女なんだ・・・・・









Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞 080209










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ヴァン・モリソンの歌唱は、
見事にこの歌のすべて(!)を聴かせ、伝えてくれます。
歌詞には、(けっして)歌われてはいない この歌のすべて、
その全体像を 歌ってしまっているのです。
それが、聴く者の耳の その奥で喚起されて、見えて来てしまうのです。
歌の中の、その登場人物たちの 生=活というものが。
「力」ですね。血からです。


まさに「歌」という 芸=術!♪ *2




音楽(=ミュージック)という 魔法(=マジック)♪



それができないと、それが起こせないと・・・・ネ。*3
「芸」というかたちの「術」、
パフォーミング・アート(=実演芸術)。*4 *5








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きょうは、すごい3人のなかなか面白い取り合わせになっていますね。






【Years Ago−Go!】







(1年前のエントリーを Playback♪)






・「パリの自由人」 (ジョニ・ミッチェル

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20060530







(2年前のエントリーも Playback♪)







・「ブルーにこんがらがって」 (ボブ・ディラン

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050530

*1:すでに このアルバムからは(タイトル・ソングとなっている)「テュペロ・ハニー」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20060608 と(アメリカでシングル・ヒットとなった)「ワイルド・ナイト」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20051029 の2曲が紹介ずみになっています。(あ、これって きょうからスタートの新サービス(!)ってことで、これからもやっていきましょう。どうぞ、ご利用くださいなー。

*2:「芸」は 見せるもの、聞かせるもの、「術」は 起こすもの、動かすもの、実現するもの・・・・etc。 (より力強く言うならば、それは「能」と言い換えられるだろう。すなわち「芸=能」)

*3:それは(いわゆる)「十分条件」であさえあるだろう。(パンク・ロックなんて、それだけでもっていた(?w)。

*4:「実=演」ということの、その "一回性" と "身体性" 、そこにおいて、この実演芸術(=パフォーミング・アート)はスポーツ競技とも通底する。ただし(言うまでもなく)スポーツ競技の多く種目が「対戦型」という形式に支配され、必然的に そこには「敵」というものがいやでも存在し、その敵の存在と動きが、刻一刻と、こちらのすること、やろうとすることにあらゆるレベルで影響を及ぼしてくる。そんな敵との対峙の「場」(一瞬、一瞬、その局面を変えていく、そうした流動的な不定形の「場」)においてこそ「技」の実現が問われるのだ。(「技」とは技=術であり、またときに技=芸でもある) そして、それは、そんな対峙の「場」(という瞬間ごとにかたちをかえていく、流=動のさなかで(必ずしも当事者たちにおいてすら正確には把握しうるものではない)各局面という主観的な「読み」とか「判断」というより抽象的な「場」を形成していく中)において、(長期、短期における)敵の意図の実現を阻止するということと表裏のかたちで同時に実現されるものなのだ)、おそらく、そのあたりこそが「芸=術」と「競=技」の根本における分かれ目なのだろう。すなわち、勝負ということ。(芸術には「成功/不成功」はあっても、勝敗は(基本的に)ない。)そして、その両者に共通して不可欠なのが(さまざまなレベル、さまざまなかたちでの)「力」というものなのだ。そして、その力とは(血の通った「血から」という意味での)人の「身体」性というものと不可分のものであるだろう(当社比w)。

*5:日本では、この「実演芸術」(=パフォーミング・アーツ)のことを古くから「芸能」という言葉で言ってきたのだと思う。そして、その実演芸術にどうしてもつきまとう "一回性" と "身体性" を極力、排するためなのか、過度の形式化が(ジャンルのべつを問わず)この芸能には伝統的に求められてきたようにわたしには思われるのだが、この仮説は今後またどこかで言及なり活用することになるだろう。