Tea For One

Words & Music by Jimmy Page and Robert Plant.
(1976年発表)






(原題直訳 「ひとりでお茶を)




From Led Zeppelin album, "Presence".
名作アルバム度 ☆☆☆☆☆

「プレゼンス」 (レッド・ゼプリン)






歌詞は、次のURLから
http://www.led-zeppelin.com/EMl7.html






名曲度 ☆☆





邦題 「一人でお茶を」 (レッド・ツェッペンリン)










How come twenty four hours,
どうして24時間が
Baby sometimes seem to slip into days?
ベイビー、ときどき、いつのまにか
何日にも思えてしまうのだろう?
Oh twenty-four hours,
あゝ、24時間が
Baby sometimes seem to slip into days
ベイビー、ときどき、何日もに思えるんだ
A minute seems like a lifetime,
1分がまるで一生涯のような気がしてくる
Baby when I feel this way
ベイビー、ぼくがこんな気持ちになっているとね。




Sittin, lookin at the clock,
すわって、時計を見ていると
Time moves so slow
時間の動きがひどくのろい
I've been watchin for the hands to move
ぼくは時計の針の動きを見つめてたんだ
Until I just can't look no more
これ以上、もう見ていられなくなるぐらいまでずっと。
How come twenty four hours,
どうして24時間が
Baby sometimes seems to slip into days?
ベイビー、ときには何日分にも思えてしまうのだろう?
A minute seems like a lifetime,
一分がまるで一生のように思えてしまう
Baby when I feel this way.
ベイビー、こんな気持ちになったときには




To sing a song for you,
きみのための歌を歌おうとして
I recall you used to say
ぼくは
よくきみが言っていたことを思い起こす
"Oh baby this one's for we two",
「あら、これってあたしたちふたりに向いてるわね」
Which in the end is you anyway
結局、それはどういうわけか
きみってことになるのだが




How come twenty four hours,
何でまた24時間が
Baby sometimes slip into days?
ベイビー
ときには知らず知らず何日にも思えてくる
A minute seems like a lifetime,
一分がまるで一生涯のように思えてしまうんだ
Baby when I feel this way.
ベイビー
ぼくがこんな気持ちになってるときにはね




There was a time that I stood tall,
ぼくが堂々と立っていた時期があった
In the eyes of other men
ほかの男どもの視線の中でだ
But by my own choice I left you woman,
だが、ぼく個人の選択で
ぼくはきみのもとを離れたんだ、女よ
And now I can't get back again
そして、いま、ぼくは
戻れなくなってしまっている




How come twenty-four hours,
どういわけで24時間が
Sometimes slip into days?
ときどき何日もにもなってしまうんだろう?
A minute seems like a lifetime,
一分がまるで一生のように思えてくる
Baby when I feel this way
ベイビー、ぼくがこんな気持ちになると
A minute seems like a lifetime
一分がまるで一生涯みたいな気がしてくるんだ
When I feel this way...
ぼくがこんな感じになってるときには・・・・・
I feel this way
そういう気持ちがしてるんだ
ぼくは








Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞








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レッド・ゼプリンがブルースで繰り広げるこの歌のタイトルですが、
まあ、ひとりでお茶を飲むというのは、馴れていない人には(とてつもなく)わびしいものかもしれませんね。
というか、独りでお茶を飲むその何でもないことにある種の何らかの裂け目のような不意の衝撃を覚えて、そのことにとらわれ、飲み込まれてしまう。それは、また、何でもない「時」(の流れ)というものにぽっかりと開いた空虚さに照応するものでもあるのだろう。その空虚さとは「時」を剥がす露呈してくる「からっぽ」(つまり「空=虚」)であり、おそらく、もっとわかりやすい言葉で言えば、それは「死」というものだろう。
さらにまた(いま、わたしがこうしている「書く」ということ、その行為における)「言葉」にもつねに/すでに同様の亀裂は生じているのである。


いや、「死」というのは、あまりに「生」に引き付けた(狭く、また限定的な)言葉だろう。
生なくして死はありえず、生なくしてもなおあるのは、ただ「空=虚=無」のみということになるだろう。

そして、べつのアングルからそれを視るならば、
「生」とは「死」という空虚を「時」で封じ込めたひとつの暫定的な状=態でしかない。


「わたし」や「あなた」がいなくても誰かがいれば「時」は絶えることはない。
そのようにして「いま」があり、「むかし」があり、また、(いまだ来たらぬ)未来もあるのだろう。たとえ、どんなに空虚が時の狭間から滲み出てこようとも。

死ッ、静かに!
何だ、この臭いは・・・・?
家具は死の臭いを嗅ぐ、そのかぐわしの臭いを嗅ぐ。


「時」はすべてに「かたち」をあたえている。
空虚を形式化するものが時であり、そこに働く力が生ということになるだろうか



西暦のはじまりの日(でいいの?)にちょっとこんな話をしてみました(´゜д゜`)




メリー・クリスマスにメメント・モリですか


Memennto mori









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【Years Ago−Go!】






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THE WHO ロック・オペラ「トミー」全曲訳(5)


・「クリスマス」 (ザ・フー

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20051225






(2年前のエントリーも Playback♪)



・「僕の歌は君の歌」 (エルトン・ジョン

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20041225