You'll Never Walk Alone

Words by Oscar Hammerstein II,
Music by Richard Rogers.
(1963年発表)*1





(原題直訳 「きみはけっしてひとりで歩いていくわけじゃない」)





Performed by The Gerry & the Pacemakers.


You can listen to Gerry & The Pacemakers album, "How Do You Like It?".
名作アルバム度 ☆☆

「ハウ・ドゥ・ユー・ライク・イット」*2 (ジェリー&ザ・ペースメーカーズ)




歌詞は、次のURLから
http://www.walkonlfc.com/lfc_songs.htm
*3



名曲度 ☆☆☆☆☆




邦題 「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」 (ジェリー&ペースメイカーズ)








When you walk through a storm,
きみが嵐の中を歩いていくときは
Hold your head up high,
しっかりと高く顔を上げるんだ
And don't be afraid of the dark.
そして闇を恐れてはならない
At the end of a storm,
嵐の終わりには
There's a golden sky,
そこに黄金色の空がある
And the sweet silver song of a lark.
そして、ひばりの甘く澄んだ歌がある




Walk on through the wind,
歩きつづけていくんだ、風の中を
Walk on through the rain,
歩いていくんだ、雨の中を
Though your dreams be tossed and blown.....
たとえ、おまえの夢が揺さぶられ、吹き飛ばされても・・・・




Walk on, walk on,
歩きつづけろ
歩いていくんだ
With hope in your heart,
希望を胸に
And you'll never walk alone.......
そう、けっして、きみが
ひとりぼっちで歩くことはないだろう・・・・
You'll never walk alone.
おまえはけっしてひとりっきりで歩くことにはなりはしまい




Walk on, walk on,
歩いていくんだ
歩きつづけろ
With hope in your heart,
おまえの胸に希望を持って
And you'll never walk alone.......
そう、けっして、おまえは
ひとりぼっちで歩くことにはなりはしないさ・・・・
You'll never walk alone
けっして、きみはひとりっきりで歩くことはないだろう







Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞







∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮






連日、リヴァプールにちなんだ歌がつづいているが、
地元リヴァプール以外の人間にとって、「リヴァプール」という土地の名を聞いて、まず思うのは、
それは「ビートルズ」であり、また「リヴァプールF.C.」だろう。*4
しかし、ビートルズはすでになく、それはまた遠い日にリヴァプールを離れて、イングランドはおろかイギリス全体(=ブリテン)を代表するものとなっている。だが、リヴァプールF.C.(=リヴァプールフットボール・クラブ)はいまも変わらずアンフィールドのスタジアムをホームとして地元のみならずサッカー・マニアたちの熱い注目を集めつづけている。
きょうのこの歌「ユール・ネヴァー・ウォーク・アロン」は、地元の人気者ジェリー&ペースメイカーズによるイギリス全土での大ヒットの後、いつしか自然発生的にアンフィールド・スタジアムに集まるサッカー・ファンたちによってスタンドで高らかと歌われるようになり、いまもそのままリヴァプールF.C.の応援歌として愛唱されており、リヴァプールF.C.のエムブレム(=球団章)には上部に「YOU'LL NEVER WALK ALONE」の文字がある。*5








∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮







【A Year Ago−Go!】





(1年前のエントリーを Playback♪




(「ジギー・スターダスト」全曲訳(3))
・「月世界の白昼夢」 (デヴィッド・ボウイ

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050711

*1:原曲は、1943年にブロードウェーで初演され、1956年には映画化もされたミュージカル「回転木馬」の中の重要な場面で歌われる挿入歌。「オクラホマ」「南太平洋」「王様と私」「サウンド・オブ・ミュージック」など数々の名作ミュージカルを手がけた)リチャード・ロジャーズとオスカー・ハマースタイン二世の作品。ぺースメイカーズのほかにも、1945年にアメリカでチャートの2位までこの曲をヒットさせたフランク・シナトラをはじめ、バーブラ・ストレイザンド、エルヴィス・プレスリージーン・ヴィンセント(おそらくジェリー&ペースメイカーズが子の曲を取り上げたのは、一時期、バック・バンドのブルーキャップスとともにイギリスに滞在し、イギリスでは絶大な支持を得ているこのジーン・ピットニーの影響によるものでないだろうかと、わたしは推察しているが、これに関してはいまだ未調査、未確認である。)アンディ・ウィリアムズ、ニーナ・シモン、マヘリア・ジャクソン、ライチャス・ブラザーズ、グレン・キャンベルトム・ジョーンズ等々、まだまだ多くのシンガーによって歌われている。というよりもイングランド・プレミア・リーグリヴァプールFCの応援歌として世界のフットボール・ファンに広く知れわたっている。日本のJリーグの(首都・東京の球団)FC東京も、どういうわけか、わざわざこれをパクって(きたのか)(はたまた)密輸入したのか(そこらへんの事情は知らないんですけど)自分たちのサポーターズ・ソングとやらにしています。なんか、そういうのっていかにも二流って感じがして(いつまでたってもニセモノに甘んじているようで)、わたくしのテーストからいたしますと(正直申し上げて)貧相で、はしたなく、また、みっともない恥ずかしい浅ましい愚かなことに思えてなりません。やーですねえ、わたしはシラけてなりません。(ほかにスコットランドセルティック、オランダのフェイエノールト、ドイツのセント・パウリ、その他のクラブでも採用されているが)ピッチで生起している闘いは、サポーターと称する人たちの(ナルシスティックな)お愉しみパーティーのアトラクションじゃあねえんだからよ。どうにかなさったほうがよろしいのではございませんか? そういった見識をお持ちのどなたか高潔な方はファンやクラブの関係者にはいらっしゃらないのでしょうか? サッカーを文化になさるのおつもりだったのではありませんか? そのへんの意識化の有無が風俗、ファッションと文化の違いだと思うのですね。セントラル・リーグ東京ヤクルト・スワローズのあの「東京音頭」とあの透明なブルー・ジェルのビニール傘、あれはすでにして文化の域に達しておりますわと申し添えておきますわ。あの色、ブルー・シェル(B16=Bleu Ciel)は(「傘」でありながら、また、「傘」だからこそ)「晴れた空の色」という名の青なのです。わたしは、かねてから神宮球場の三塁側スタンドであの「傘」と「東京音頭」を考え出したスワローズ・ファンに敬意を覚えるホエールズ(!)ファンだったのです。おっと、それから、この歌、BBCラジオで放送された「銀河のヒッチハイクガイド」でコンピュータのエディが歌う歌として使われました。

*2:デビュー・シングルの「How Do You Do It?」と第2弾の「I Like It」を一緒にしちゃったようなこのアルバム・タイトル。つづく第3弾のシングルが、きょうのこの歌「ユール・ネヴァー・ウォーク・アロン」で、デビューから3曲連続してチャートのトップになるという(ビートルズもできなかった快挙を遂げた)マージー・ビートの超絶人気グループだったのです。

*3:URLはリヴァプールFCのサポーターズ・サイトですよーん!

*4:日本でもJリーグができて以来、海外のフットボールへの関心が高まり、そのせいか日本でも「リヴァ・プール」と正しいアクセントで口にされるようになりました。それまでは平板に「リバァプール」と言われていました、(「マージー・ビート」を意味する)「リバプールサウンド」という場合のやうに。

*5:また、1985年5月の55人の死者を出したヴァリー・パレード・スタジアム(=ベッドフォード・シティのホーム)の火災とスタンド崩落の惨事に際しては、この歌の新しいレコーディングによるシングルが(ジェリー・マーズデン、ポール・マカートニーら多数のミュージシャン有志によってアーティスト名を「群集」crowd という名義のもとでリリースされ、犠牲者の遺族のための支援基金集めの大きな推進力となり、1985年6月、全英チャートのトップとなるヒットとなっている。この歌がオリジナルとして発表されたミュージカルの中でも、やはり主人公の死によって残された恋人(その男の子供を宿している)を励ますかのように劇中でドラマチックに歌われているので(第二次世界大戦中に(!)ブロードウェーで公開されたミュージカルだけに夫や父や息子を戦地に送り出した女たちや子供たちへの励ますことにもなった歌でもあり、ミュージカルのストーリーにはそうした当時の時代状況も投影されていたのだろう)まさにファインプレーといえる素晴らしい連携だった。