The Ballad Of John And Yoko


Words & Music by John Lennon and Paul McCartney.
(1969年発表)




(原題直訳 「ジョンとヨーコのバラード」)




Performed by The Beatles.


You can listen to The Beatles compilation,
"Past Masters, Volume Two ".
推奨アルバム度 ☆☆☆☆

「パスト・マスターズ(2)」 (ビートルズ





歌詞は、次のURLから
http://www.oldielyrics.com/lyrics/the_beatles/the_ballad_of_john_and_yoko.html




名曲度 ☆



邦題 「ジョンとヨーコのバラード」 (ビートルズ






Standing in the dock at Southampton
サザンプトンの埠頭に立って
Trying to get to Holland or France
オランダかパリに行こうとしてると
The man in the mac said, "You've got to go back"
防水コートの男に言われた、「あんたたち、戻らなきゃだめだよ」と
You know they didn't even give us a chance
わかるだろ、あいつら、おれたちに機会を与えてくれなかったんだ*1



Christ you know it ain't easy
キリスト様
簡単には行かないのは、あなたもご存知で
You know how hard it can be
知ってのとおり
えらく面倒なことになりそうでっせ
The way things are going
事態はこのまんまいくと
They're going to crucify me
おれは世間に十字架に架けられてしまうだろう




Finally made the plane into Paris
最終的にパリに行くプランを決めた
Honeymooning down by the Seine
セーヌ河沿いのハニムーンだ*2
Peter Brown called to say
ピーター・ブラウン*3から電話があって、言われたよ
"You can make it OK
You can get married in Gibraltar, near Spain"
「うまくいったぜ、きみたち、ジブラルタルで結婚できるぜ
スペインのそばだよ」*4




Christ you know it ain't easy
キリスト様
簡単には行かないのはあなたもご存知で
You know how hard it can be
知ってのとおり、えらく面倒なことになりそうでっせ
The way things are going
事態はこのままいくと
They're going to crucify me
おれは世間に十字架に架けられることになりそうだぜ




Drove from Paris to the Amsterdam Hilton
パリからクルマでアムステルダムヒルトンに向かった
Talking in our beds for a week
一週間にわたっておれたちのベッドで会見すると*5
The newspapers said, "Say what you doing in bed?"
新聞屋たちが言ったんだ
「あんたら、ベッドで何してるのか言ってみな」って
I said, "We're only trying to get us some peace"
おれは言ってやったんだ
「ぼくらは、ちょっと自分たちで平和になってみようとしてるんだ」ってな*6





Christ you know it ain't easy
キリスト様
簡単には行かないのはあなたもご存知で
You know how hard it can be
知ってのとおり、えらく面倒なことになりそうでっせ
The way things are going
事態はこのままいくと
They're going to crucify me
おれは世間から十字架に架けられることになりそうだぜ




Saving up your money for a rainy day
雨降りの日ってことでカネを節約して
Giving all your clothes to charity
手持ちの服も全部、慈善ってことでやっちまった
Last night the wife said
昨夜、ワイフに言われたんだよ
"Oh boy, when you're dead
「ねえ、坊や、あなた、死ぬときって
You don't take nothing with you
何も持ってくことなんてできないのよ
But your soul, think!"
自分の魂だけなのよ、よーく考えなさい!」ってな




Made a lightning trip to Vienna
ウィーンまで電光石火の旅をして*7
Cating chocolate cake in a bag
袋に入ってチョコレートを味わった*8
The newspapers said,
新聞屋どもが言いやがったぜ
"She's gone to his head
「彼女がやつの頭をおかしくしてるんだ
They look just like two gurus in drag"
あいつらのザマときたら、まるで女装したふたりのグルみたいだぜ」




Christ you know it ain't easy
キリスト様
簡単には行かないのはあなたもご存知で
You know how hard it can be
知ってのとおり、えらく面倒なことになりそうでっせ
The way things are going
事態はこのままいくと
They're going to crucify me
おれは世間から十字架に架けられることになりそうだぜ




Caught an early plane back to London
朝早くの飛行機に乗ってロンドンに戻ったぜ
Fifty acorns tied in a sack
ドングリ50個、袋に入れて*9
The men from the press said,
取材に来た連中に言われたぜ
"We wish you success
「われわれもご成功を願ってますよ
It's good to have the both of you back"
あなたがたが戻ってくれて嬉しいですよ」*10




Christ you know it ain't easy
キリスト様
簡単には行かないのはあなたもご存知
You know how hard it can be
知ってのとおり、えらく面倒なことになりそうでっせ
The way things are going
事態はこのままいくと
They're going to crucify me
おれはやつらに十字架に架けられることになりそうだぜ







Translated into Japanese tonight by komasafarina.







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(「バラード」というのは、(そもそもはフランスやイタリアで生まれた定型の短い叙情的な詩のことだったらしく)(そういえば、日本ではどうもそちらの叙情的な面ばかりが強調されて伝わっているような印象があるが)(やがて、それはイギリスやドイツに広まると、自由な形式の短い叙事的な物語詩(譚詩)となり、実在や架空の人物や英雄を主人公に、戦争や飢饉や恋物語や冒険など、さまざまな出来事や事件、伝承などを歌うものとなり、今日でも「バラード」というとそうした小さな叙事詩といったかたちで理解されている)

ということで、この「ジョンとヨーコのバラード」をめぐる関連する史実(?)との対照は以下に「註」というかたちで附しておいたので、どうぞ。



なお、この「ベッド・イン」から生まれた名曲「平和を我等に」Give Peace A Chance は、すでにここでも(次のURLで)紹介しています。


・「平和を我等に」 (ジョン・レノン・プラスチック・オノ・バンド)
http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20041231#p2





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【A Year Ago−Go!】




(1年前のエントリーを Playback♪)



ちょうど、うまい具合に当時の盟友ジョージ・ハリスンさまのご意見です(?)



・「オール・シングズ・マスト・パス」 (ジョージ・ハリスン

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050527

*1:1969年3月19日に結婚したポール・マッカートニーとリンダ・イーストマンを見ていて思い立ったのだろうか、ジョンとヨーコは3月の下旬、結婚することを決める。しかし、ポールのような大騒ぎは御免だと、ふたりは人のいない公海上での結婚を考えるが、それは認められなかった。

*2:3月16日、ふたりはパリに到着する。しかし、フランスでいきなり外国人が結婚するのはいろいろと無理があると判明、ふたりはさらにロンドンのアップルと連絡をとりながら婚姻登録の可能性を打診する。

*3:ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインの古くからのスタッフで、ブライアン亡き後は、あらゆる面でスタッフの中心的な存在となって解散へとひた走るビートルズをサポートした。

*4:そして、ようやくふたりは3月20日、スペイン南端のイギリス領ジブラルタルに飛び、アップルのデイヴィッド・ナタールとピーター・ブラウンの両名を立会人にファンも報道陣もなしに素早く静かにイギリス式の結婚をすまして、その日のうちに再びパリに戻る。そして、この結婚とは対照的にその新婚旅行は公然とおこなわれ、世界に一大センセーションを引き起こすことになる・・・・

*5:3月21日にアムステルダムヒルトンのプレジデンシャル・スイートに入ったふたりは、新婚夫婦のベッド・ルームに約50人からの報道陣を招きいれ、いわゆる「平和のためのベッドイン」という(ひとつの芸術行為としての)ハプニング・イベントとして開催する。部屋の窓ガラスには(平和のために一週間、ベッドの中で髪を伸ばすという趣旨の)「HAIR PEACE」と(世界中から来た記者たちと平和について話し合い、メディアに(戦争ばかりでなく)平和にも目を向けてもらおうということなのか)「BED PEACE」と書かれた紙が貼られ、期間中の30日にはこのイベントから生まれた彼らのヒット曲で60年代末から70年代初めに広く歌われたプロテスト・ソング「平和を我等に〜ギヴ・ピース・ア・チャンス」の最初のレコーディングもおこなわれた。のちの「イマジン」にもつながるジョンとヨーコのこのハプニングは、当然、当時の世界にはそのまま真意は伝わらず、その「世界の道化」ぶりには報道も揶揄的かつ興味本位で各界から疑問や非難や嘲笑が浴びせられたという。

*6:「ベッド・イン」ということから、マスコミの面前で性行為をするのではないかと期待された(?)が、それはキッパリと否定された。

*7:ジョンとヨーコが共同で制作・監督したふたりの最初の実験映画「レイプ」がオーストリアのTVでオンエアされるこの3月28日、そのプロモーションのためにふたりはウィーンに到着・・・・、

*8:記者会見がおこなわれたウィーンの名門ホテル、ザッヒャーのホールでふたりは布製の白いズタ袋に入ったままのかたちで登場し、会見は、その袋に入ったまま進められた。いわゆる「バッグ・イン」とか、「バギズム」、「トータル・コミュニケーション」と彼らが呼んでいたハプニングで、すでに前年末のロイヤル・アルバート・ホールで行われた前衛芸術祭でもふたりはこのパフォーマンスを披露していた。ウィーンだからか、袋の中からはヨハン・シュトラウスの「青きドナウ」のハミングが何度か聞かれたという。ヨハンもまたジョンである。

*9:4月1日、ロンドン空港に到着したジョンの手にはドングリが50個入った袋が握りしめられていた。ふたりが会見で語ったのは、そのドングリを各国の首脳に2個づつ送り、「平和の樫の木を育ててもらう」計画だということだった。(これはすでに前年6月15日にコベントリー大聖堂で開催された「ナショナル彫刻展」で発表された「ドングリ・イベント」と題するふたりの作品=行為のヴァリエーションというかたちなる。

*10:この時期のジョンとヨーコは連日、何かとゴシップをふりまき、タブロイド紙の記者たちにとってはカネになる嬉しい存在だったのだろう。