The Kids

Words & Music by Lou Reed.
(1973年発表)



(原題直訳 「おチビさんたち」)



From Lou Reed album, "Berlin".
名作アルバム度 ☆☆☆☆☆
「ベルリン」 (ルー・リード





歌詞は、次のURLから
http://www.lyricsondemand.com/l/loureedlyrics/thekidslyrics.html



名曲度 ☆☆☆





邦題 「子供たち」 (ルー・リード))








They're taking her children away
当局が彼女の子供たちを連れ去っていく
Because they said she was not a good mother
連中によると
彼女がよい母親ではなかったというのが
その理由なんだそうだ
They're taking her children away
当局が彼女の子供たちを連れてってしまう
Because she was making it with sisters and brothers
なにしろ、彼女は
そこいらじゅうの女たちや男たちとやってたんだからな
And everyone else, all of the others
そう、ほかにもまだまだいろんな連中と、
とにかく誰もかれもだ
Like cheap officers who would stand there
たまたまそこにいたケチな警官とか
And flirt in front of me
そう、ぼくの目のまえでいちゃついたんだ




They're taking her children away
当局が彼女の子供たちを連れていってしまう
Because they said she was not a good mother
連中に言わせると
彼女がよき母ではなかったからというのがその理由
They're taking her children away
あいつらが彼女の子供たちを連れ去っていく
Because of the things that they heard she had done
彼女の素行について、当局が聞きつけたのがその理由だ
The black Air Force sergeant was not the first one
例の黒人の空軍の軍曹が最初だったってわけじゃない
And all of the drugs she took,
それに彼女がやってたいろんなドラッグがあった
Every one, every one
あれもこれも、あれもこれもだ




And I am the Water Boy,
で、ぼくはと言えば噛ませの雑役係
The real game's not over here
本当の試合がこれで終わってしまったわけじゃない
But my heart is overflowin' anyway
なのに、ぼくの心は
とにかくもう限界を超えてしまっている
I'm just a tired man,
ぼくは、ただのくたびれた男
No words to say
言いたいことは何もない
But since she lost her daughter
ところが、彼女が子供たちを奪われてしまってから
It's her eyes that fill with water
潤んでいるのは彼女の瞳
And I am much happier this way
そして、こんなことになって
ぼくとしてはずっと幸せになったんだ



They're taking her children away
当局が彼女の子供たちを連れていく
Because they said she was not a good mother
連中によると
彼女がよい母親ではなかったというのが
その理由だ
They're taking her children away
当局が彼女の子供たちを連れて行ってしまう
Because number one was the girl friend from Paris
一番の問題はパリから来たあの女友達だ
The things that they did -
あのふたりがやってたことといったら
Ah - they didn't have to ask us
あゝ、当局もぼくらに訊くまでもなかったよ
And then the Welshman from India,
それからインドから来たあのウェールズ人だ
Who came here to stay
こっちに来て、いついてしまったあの男だ




They're taking her children away
当局が彼女の子供たちを連れ去っていく
Because they said she was not a good mother
連中によると
彼女がよい母親ではなかったというのが
その理由だそうだ
They're taking her children away
当局が彼女の子供たちを連れていく
Because of the things she did in the streets
彼女が街頭でやってたことがその理由だ
In the alleys and bars,
路地裏で、そして酒場でも
No she couldn't be beat
そうさ、あの女は懲りたりなんかしなかった
That miserable rotten slut couldn't turn anyone away
あの哀れな腐れ売女には
相手が誰だろうと背を向けたりはできなかったんだ




I am the Water Boy,
ぼくは噛ませの雑役係
The real game's not over here
現実の試合がこれで終わってしまったわけじゃない
But my heart is overflowin' anyway
だけど、ぼくのハートはどのみち限界を超えてしまっている
I'm just a tired man,
ぼくはただのくたびれた男
No words to say
言いたいことなんか何もない
But since she lost her daughter
だけど、彼女が娘をなくしてしまって以来
It's her eyes that fill with water
潤んでいるのは彼女の瞳
And I am much happier this way
そして、ぼくはこんなことになって
はるかに幸せな気分になってるんだ







Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞








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歌の終盤には大声で泣いている子供たちの声がかぶさって*1
何ともやりきれない気分にさせられるこの歌「子供たち」にも、
やはりキャロラインとジムのふたりの関係(というか力関係)を物語る鍵となるフレーズがある。




I am the Water Boy,

ぼくは噛ませの雑役係



「Water Boy」というのは、プロボクシング業界のスラングで、(まず)同じジムに所属している下手クソな弱いボクサーのことをいう語で、選手としては(日本では「噛ませ犬」と呼ばれたりする)負け役専門に試合を組まれるような存在で、主に選手以外の雑役係として(同門の強い選手のために)(水を運んだりして)働くような(そういう価値しかない)存在の選手を言うのだそうだ。
キャロラインとの関係において、ジムが自分のことをそういう言葉で表現していることは、すでに「キャロラインの話(1)」で言われていたふたりの力関係
http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050223#p1 



Caroline says that I'm just a toy
She wants a man, not just a boy


キャロラインに言わせると、
おれなんか、ただのオモチャなんだという。
彼女が欲しいのは男であって
ただの坊やなんかじゃダメだという。



これを(あらためて)ジムの側からの独自の言葉で追認したということになるだろうか、(物語の進行というのは、時間や出来事の積み重ねを経るなかで、こうした変化や進展として表されるのがつねである。)*2




The real game's not over here
But my heart is overflowin' anyway
I'm just a tired man, no words to say

本当の試合はこれで終わってしまったわけじゃない
だけど、どのみち、ぼくのハートは限界を超えてしまっている
ぼくはただの疲れた男、言いたいことも何もない




そして、あらためておのれの無力感を深めていく彼は、
しかし、失意の彼女のそばにいられる幸せをそっと告白する




And I am much happier this way

そう、ぼくはこんなことになって、はるかに幸せな気分だ



なぜかというと、それはもちろん、この歌の主題となっているこのシーンだ




They're taking her children away
Because they said she was not a good mother


当局が彼女の子供たちを連れ去っていく
連中によると彼女がよい母親ではなかったというのがその理由だ



あえて「当局」と訳したが、歌われているのは(あくまでも)不特定な複数の三人称(they)である。
警察かもしれない、何らかの社会福祉関係の市の機関かもしれない、あるいはその依頼を受けた民間の児童擁護施設かもしれない・・・・・・。
だが、それらはいずれにしても「they」であり、それはキャロラインにとっても(また、ジムにとっても)けっして「わたしたち」とは意識されない(また、できない)*3、そしてジムの「幸せ」は、この「やつら」によってもたらされたものなのだ。

しかし、ジムのこの「幸せ」とは、むしろ、「ずっと楽な気持ちになった」という(たぶん)そういうことなのだろう。


そして、あらためて注意を喚起しておきたいのは、




They're taking her children away

当局が彼女の子供たちを連れ去っていく



このシーンをようく耳を凝らして見て(!)みよう。
当局が連れ去っていくのは、あくまでも「彼女の」子供たちであって、
それは、けっして「ぼくら」(ふたり)の子供たちではないということだ。
(しかし、明日、ここで紹介する歌「ベッド」では、やがてふたりの間に子供が生まれたことが歌われることになる)
つまり、「こんなことになって、ずっと楽になった」彼と「目を潤ませている」失意のキャロラインのふたりの暮らしは、
(この酷く、みじめで、悲しい出来事の後)また何年の間か、いましばらく何らかの新たな時間を過ごすことになったことが
自ずと聴く者の脳裡に伝えられることになる・・・・・・





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【A Year Ago−Go!】



(1年前のエントリーを Playback♪)



1年まえのこれも時間の中を繰り返しながら歩んでいく人生の歌



・「サークル・ゲーム」 (バフィー・セイント=メリー)(ジョニ・ミッチェル

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050522

*1:アルバム冒頭の「ベルリン」の引用もそうだが、効果音による劇的な盛り上げは、プロデューサーのボブ・エズリンの得意とするところだ。

*2:ドラマは重層的にあるゆるレベルで生起、進展していくものだ。それに注目することで(ジャンルを問わず、あらゆる)「名作」とされる作品は(一生かかっても読みきれないほどの)豊饒さを(読むたびに)醸し出してくる。まさに美酒の味わいだ。

*3:本来、民主的な社会においては、この「彼ら」もまた間接的に「わたしたち」であるのが筋ではあるのは、言うまでもないだろう。