Thunderball


Words by Don Black,
Music by John Barry.
(1965年発表)



(原題直訳 「雷のボール」)




Performed by Tom Jones.

You can listen to Tom Jones compilation, "The Singles".
推奨アルバム度 ☆☆☆☆☆

トム・ジョーンズ


And you can listen to film soundtrack album, "Thunderball".
名作アルバム度 ☆

「007/サンダーボール作戦」 (サウンドタラック盤)


歌詞は、次のURLから
http://www.lyricsfirst.com/lyrics/24741/Tom_Jones/Thunderball



名曲度 ☆





邦題 「サンダーボール」 (トム・ジョーンズ







He always runs while others walk
他の者たちが歩いているのに
彼はいつも走っている
He acts while other men just talk
他の者たちがただ言うだけなのに
彼は行動する
He looks at this world,
彼はこの世界を眺め
And wants it all,
そして、そのすべてを欲するのだ
So he strikes,
だから、彼は打って出るのだ
Like Thunderball
雷のボールのように




He knows the meaning of success
彼は成功というものの意味を知っている
His needs are more,
彼が求めているのはそれ以上のものだ
So he gives less
だから、彼は僅かしか与えない
They call him the winner who takes all
人は、彼のことを「勝った者勝ちの総取り屋」という
And he strikes,
そして、彼は勝負に出る
Like Thunderball
雷のボールのように




Any woman he wants, he'll get
欲した女は、ことごとく彼は手に入れる
He will break any heart without regret
咎めることなく彼はどんなハートもいたぶりつくす
His days of asking are all gone
自問のときはすべて終わった
His fight goes on and on and on
闘いは次から次へとつづいていく




But he thinks that the fight is worth it all
だが、彼は考えている
その闘いには意味があるのだと
So he strikes
そうやって、彼は打って出るのだ
Like Thunderball
雷のボールのように







Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞






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勝者がすべて持っていってしまう。
これは(言ってみれば)(自然的な)理の当然であり、「理」(ことわり)である。*1
そこから勝者が勝者という力(勝者であることの力、つまり「権=力」)を行使して(フェアな)「分=配」(ということ)をするかどうかは、その後もまた彼が(別種の闘いを闘いつづけ)勝者でありつづけるかどうかにかかわってくることだ。
(力で勝利したものがさらに力を行使するのだ)
(それをしないと、あるいは十分なかたちでそれ(=「分=配」)をしないと、
いずれは(当人にとって)不当なかたちで(その富や収益は)(敗者や弱者のルサンチマンを結集した力によって)奪い取られることになる。)*2




They call him the winner who takes all

人は、彼のことを「勝った者勝ちの総取り屋」という




「Winner Take All」(ウィナー・テイク・オール、つまり、勝者がすべてを手にする)というのは(市場における企業間シェアなどに関連した)企業間競争についてもよく使われる言葉だが、
世の理ともいうべきこの(自然法則と言うべき)原則をひっくりかえしたのが
「Loser Take All」という諺だ。
敗者が全部もっていく・・・・・。
ご存知だろうか、日本式に言うならば(結果論でw)「負けるが勝ち」という諺だ。
そして、話はさらにつづくのだが、この「Winner Take All」と「Loser Take All」の両者を踏まえて、
「Winner Take Nothing」とっやったのがアーネスト・ヘミングウェイだ。
1933年に刊行された彼の短編集のタイトルがこの「Winner Take Nothing」と名づけられている。
これは(翻訳家の妙技というべきワザによって)「勝者には何もやるな」という(いかにもヘンミングウェイらしい、男性的なハードボイルド・タッチの)邦題となり、しばしば(あまり教養はないが、大いなる情熱と、そして断片的で雑多な知識のかけらだけはそれなりに存分にあるゾ という人たちによって好んでよく)引用される言葉だが、へミングウェイ自身のオリジナル(?)は、あくまでも(命令形ではなく)単に「Winner Take Nothing」(勝者は何もとらない)である。また、「勝者には何もやるな」というそういう題名のヘミングウェイの小説があるわけでもないことをここであらためて留意しておこう。あくまでもそれは短編集の総タイトル(いわば(音楽で言えば)アルバム・タイトルであって、そういう歌や曲があるわけではないということ)なのだ。
しかし、論理的な理屈の必然として、話はこれで終わってしまうわけではない。
そう、もう一度、これを引っくり返して「Loser Take Nothing」と(いわば元通りに世の理に戻すかたちで)言う人だっているはずだ。日本の寺山修司などが言ってたのではないかと推察するのだが、いかにも寺山にはお似合いのフレーズではないだろうか。彼なら、このフレーズを(ヘミングウェイに倣って小粋な命令形で)「敗者には何もやるな」とやるだろう(実際、やっていたのではなかったのか? 少し調べてみたが確認できずにいる。ボクシングや競馬が好きな寺山なら、その勝負の現実にはドライに対処するはずだ)そう、まるで最終12レースにも負けて、すってんてんになったオケラ街道ウォーカーズを尻目にロールスロイスで走りすぎていく優勝馬の馬主のような目で・・・・。いや、寺山のことだから、そんな馬主の視線にさらされた者の自省(=reflection=反射=内省)のようなもの、というように修正しておくのが筋かもしれない。


以上、特定フレーズの4段返しというお話でした。

日本でときどき目にしたり耳にするこの「勝者には何もやるな」をめぐるロマンチックな言動の裏にはこれだけの文化的な背景があるということを頭の片隅に入れておくのも何かの足しになるのではないかと思う。べつに強要するつもりはないが、とくに 今日、用がなくても、いつかどこかで力となるのが教養というものだw、っつーことでプリーズ・テイク・イットなーり。



(※ボンド・シリーズはきょうでおしまい。あと少しスパイものをつづけて、ヨーロッパの某所にお連れしますのでお楽しみに。)







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【A Year Ago−Go!】



(1年前のエントリーを Playback♪)




・ 「ジ・アザー・サイド・オヴ・ジス・ライフ」 (ムーディ・ブルース)

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050514

*1:ただし、ことわっておくがあくまでも「勝者」であって、それは「商社」ではない(笑い)

*2:かつての「革命」というのはそういうものとして構想され、それゆえに また恐れられた。