Mainline Florida

Words & Muic by George Terry.*1
(1974年発表)




(原題直訳 「本流のフロリダ」)




From Eric Clapton album, "461 Ocean Boulevard".
名作アルバム度 ☆☆☆☆☆ 

「461オーシャン・ブールヴァード」*2 (エリック・クラプトン




歌詞は、次のURLから
http://www.lyricsbox.com/eric-clapton-lyrics-mainline-florida-73dw3hw.html




名曲度 ☆



邦題 「メインライン・フロリダ」 (エリック・クラプトン







My heart was leaping in the sun;
ぼくの心は日差しの中で躍っている
My friends all say that you're the one.
ぼくの友達みんなが
おまえこそがその人間だと言っている
Let me get this one thing very clear:
ひとつ、大いにはっきりさせておきたいことがあるんだ
There ain't enough going on down here.
ここいらじゃ、そんなにたいしたことは起こっちゃいないぜ




Mainline Florida, oh say.
フロリダの本流階層、おゝ、たいしたもんだ。
Mainline Florida, O.K.
フロリダの裕福な人々、すばらしいじゃないか




Her arms were open, open wide;
それが腕を開いて迎え入れてくれた
大きく広げてだ
Her invitation's a changing tide.
その誘いは、変化の満ち干き
I could remember not long ago
おれは覚えてるぜ、そんなに昔のことじゃない
We took a cruise down on Hotel Row.
おれたち、ホテル街*3のほうまで流したりしたもんだ




Mainline Florida, oh say.
フロリダの本流階層、おゝ、たいしたもんだ。
Mainline Florida, O.K.
フロリダの裕福な人々、すばらしいじゃないか





Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞





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この歌のタイトルにある「mainline」という語を「本流」と訳したのはわたしの創意であるwink、その綴りを眺めていてそうなった。「main」という語によりこだわれば「主流」とすべきだったかもしれない。*4
辞書にはこの「mainline」という語を(「本線」「幹線」のほかに)「金持ち連中」「(その共同体の)上流階級の人たち」という説明をしたあとに(さらに)(一部の困った人たちの間の慣用的な用法として)麻薬を注射しやすい(腕や脚の)「血管」(としての「mainline」)という意味があるのを紹介している。

言葉というのは、しかし、(必ずしも)語幹だの音節だの何やらの純粋に(ひとつの単位に還元できるような)(そこに見えている)構成要素のみから成り立つものであるばかりではなく、(ときには)歴史的な事実もまた、語の成り立ちや意味の形成に大きな役割を果たしているのであって、この「mainline」という語も、これは(アメリカ合衆国ができた町とされる)フィラデルフィア郊外のエスタブリッシュな人々の住むエリアを走る市内電車の路線から来たものだという。つまり「本線」ということ(での「main line」)なのだろう。


さて、ここからはジョークである。
昨今、この国の多くの人々の渇いたハートをかき乱す隣国の美男美女の映画俳優らの人気から「韓流」なる言葉が耳目にされる機会が新たに作られたが、かりにもし、それが中国の美男美女であれば、これは(やはり「中流」とはならずにw)「華流」となるだろう。(何やらお花のお家元みたいになりますが)、ほかにも(この国の周囲には琉球系の美貌や台湾系の美貌や南方系(と総称させてもらう)美貌や(主として西欧系あるいはアフロ・アメリカン系との)ハーフ&ハーフなどの「混流」とか、さまざまな美貌の流れがあるが、さてさて、本来的に(やはり)「本流」(すなわち「日本流」)となるべきこの国の(そういった)美男美女というと誰を連想するだろうか? おそらく、いろんな顔や名前が浮かぶと思うが、こと「本流」の美男美女に関しては、その美は単に視覚的なものである以上に(ある種の)時代という函数からなる総合的な存在感、現実感(アクチュアリティ)ということで判断しているのに気づくだろう。つまり、(ヘンな表現になるが)稀薄さを欠いているのだ。言い換えれば、「本流」の美男美女には何らかのかたちで「濃度」が必要なのだ。
(枝葉末節を)端折って言えば、理由は簡単、「本流」とされる人々が、わたしたちに理解できる言葉を、つまり日本語を喋っているからなのだ。わたしたちの日本語(つまり、わたしたちが日常の暮らしで毎日、口にしたり、目にしたり、耳にしている日本語)という喋り言葉、書き言葉の(さまざまな面に映る)「現在」と見合ったかたちの美をたまたま彼ら(「本流」の美男美女)がそれぞれに体現し、実現しているということにすぎない。だから、それは「韓流」の美男美女の映画俳優たちと違って(重点的に視覚に依拠することからくる)「稀薄さ」のもたらす美とはわけがちがう種類のものなのだ。*5 *6それが「本流」であり、あくまでも本流とはそういうものなのだ(たとえ奔流といった勢いはないにせよwダジャッ)。





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【A Year Ago−Go!】



(1年前のエントリーを Playback♪)



・「はかない監獄」 (キンクス

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050506

*1:作者のジョージ・テリーは、この時期のエリック・クラプトンのバンドでサイド・ギターを弾いていた人。

*2:しかし、このジャケット写真は、(どこかロンドンの場末で撮ったような)ジョン・メイオールのブルースブレイカーズにいた頃のアルバム・ジャケットとは雲と泥ほどの開きのある暮らしぶりを思わせますなー。参照 http://starling.rinet.ru/music/sleeves/zap_clapton1.jpg

*3:マイアミ・ビーチにの建ち並ぶ豪勢な高級ホテルのあるエリアのことだろう。例えば、こんな感じか http://i18.ebayimg.com/01/i/06/de/89/a7_1.JPG

*4:しかし、「主流」というのはあくまでも勢力の問題で勢い次第で変わってしまうものなのですね。だから、「本流」のほうをとったわけです。あゝ、自由っていいなあ。自由ほどの贅沢はねえですよー。頭の自由、これが究極。てゆーか、頭ってのは本来、自由なものなんじゃないでしょーか、そういう自由な頭があれば、自然と心も自由になります。てか、それなしに自由な心なんてありえねーんじゃないの? 多分、ぼくは(クラプトンの弾くギターとかを聴くうちに)ブルースという音楽のその音楽的なイディオムを介して、(ひとつの実体験として)(演奏するというかたちで)その大いなる自由と心地よい不自由を知った(というか学んだ)と思う。

*5:「韓流」は、その意味で(すでに多くの人が(それと知らずに)婉曲に指摘しているように)(現在の「本流」という現実からの)ひとつの逃避と言えるかもしれない。しかし、芸能というものは(そもそもが)ひとつのファンタジー(幻想)であることを思えば、オバサンたちのこの稀薄さへの集団亡命もひじょうにわかりやすいことかもしれない。

*6:韓国でああいう絵に描いたような美男美女がいまだに映画俳優として成り立っているのは韓国には理念としての国家があるからだろう逆に言えば日本には現実としての国家しかないわたしに言わせれば国家においてもそれは「本流」のほうがはるかに好ましく思えるのだが、これはただのステロな思いつき、そう、これは捨てろ、だな。