Nashville Cats

Words & Music by John B. Sebastian.
(1966年発表)*1




(原題直訳 「ナッシュヴィルのいかした野郎ども」)




Performed by The Lovin` Spoonful.


You can listen to The Lovin' Spoonful album,

"Hums Of The Lovin' Spoonful".
名作アルバム度 ☆☆

「ハムズ・オブ・ザ・ラヴィン・スプーンフル」 (ラヴィン・スプーンフル




歌詞は、次のURLから
http://www.lyricsvault.net/songs/8152.html






名曲度 ☆☆




邦題 「ナッシュヴィル・キャッツ」 (ラヴィン・スプーンフル









Nashville Cats,
ナッシュヴィルのやつらときたら
Play clean as country water
田舎の清水みたいな澄みきった演奏をするんだ
Nashville Cats,
ナッシュヴィルのやつらときたら
Play wild as mountain dew
密造ウィスキーみたいにワイルドな演奏をするぜ
Nashville Cats,
ナッシュヴィルの連中ときたら
Been playin' since they's babies
あいつら、赤ん坊のころから弾いてるんだ
Nashville Cats,
ナッシュヴィルの連中ときたら
Get work before they're two
あいつら
2歳にもならないうちからプロでやってるんだ




Well, there's thirteen hundred and fifty two
Guitar pickers in Nashville
そうさ、あそこ、ナッシュヴィルには
1352本ものギターのギター弾きたちがいて
And they can pick more notes than the number of ants
On a Tennessee anthill
あいつら
テネシー州のアリ塚にいるアリの数よりも
もっとたくさんの音を爪弾けるほど




Yeah, there's thirteen hundred and fifty two
Guitar cases in Nashville
そうなんだ
あそこ、ナッシュヴィルには1352個ものギター・ケースがあって
And any one of them Texas guitars
Could play twice as better than I will
あいつらのうちの誰を見ても
このぼくの2倍はテキサス製のギターをうまく弾けるのさ




Yeah, I was just thirteen,
そうさ、ぼくはほんの13歳だったんだぜ
You might say I was a musical proverbial knee-high
音楽的にはかなりの早熟だって言われるかもしれないけれども
When I heard a couple new-sounding tunes on the tubes
そのとき、ぼくはラジオで新しい響きをした曲を2曲ばかり聴いたんだ*2
And they blasted me sky-high
それで、ぼくは空まで飛び上がっちゃうほどにブッ飛んじゃったんだ




And the record man said
そしたらレコード屋の店員が言ったんだ
Everyone is a Yellow Sun Record from Nashville
どいつもみんな、このナッシュヴィルの黄色い太陽のレコード会社のやつなんだ*3
And up North there ain't nobody buys them
だけど、北部に行けば、こんなの買うやつはひとりもいないぜ、って
And I said,
だから、ぼくは言ったんだ
But I will
でも、ぼくは買うぜ
And it was
そう、それが・・・・




Nashville Cats,
ナッシュヴィルの連中だったんだ
Play clean as country water
田舎の清水みたいにくっきりとした演奏
Nashville Cats,
ナッシュヴィルのあいつらさ
Play wild as mountain dew
密造酒なみのワイルドな演奏をするんだ
Nashville Cats,
ナッシュヴィルの連中だぜ
Been playin' since they's babies
あいつら、赤ん坊のころからずっと弾いてるんだもんな
Nashville Cats,
ナッシュヴィルの連中は
Get work before they're two
2歳にならないうちから、あいつら、プロでやってるんだ




Well, there's sixteen thousand eight hundred twenty one
Mothers from Nashville
ところでだ、あそこには
1万6821人ものナッシュヴィル出身のお母さんたちがいてね
All their friends play music,
そのお友達連中がみんな音楽をやってるんだ
And they ain't uptight
If one of the kids will
だから、もし、その子供のひとりが
音楽をやりたいなんて言っても
怒ったりなんかしないんだ




Because it's custom made for any mother's son
To be a guitar picker in Nashville
だって、ナッシュヴィルでギター弾きになるなんてことは
どんな母親を持った子供たちにとっても
そいつはおあつらえ向きのことなんだからね
And I sure am glad
そう、ぼくはとっても嬉しく思うよ
I got a chance to say a word about
The music and the mothers from Nashville
ナッシュヴィル産の音楽とその母親たちについて
こうやってちょっと話してみる機会が持てたことをね




Nashville Cats,
ナッシュヴィルのやつらときたら
Play clean as country water
田舎の清水みたいな澄みきった演奏をするんだ
Nashville Cats,
ナッシュヴィルのやつらときたら
Play wild as mountain dew
密造ウィスキーみたいにワイルドな演奏をするぜ
Nashville Cats,
ナッシュヴィルの連中ときたら
Been playin' since they's babies
あいつら、赤ん坊のころから弾いてるんだ
Nashville Cats,
ナッシュヴィルの連中ときたら
Get work before they're two
あいつら
2歳にもならないうちからプロでやってるんだ



Pick it!
弾けぇ!





Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞







∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮







【A Year Ago−Go!】



(1年前のエントリーを Playback♪)


・「ザ・プリズナー」 (ロジャー・ダルトリー

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050505

*1:シングルとしては1967年1月に発表された。

*2:エルヴィス・プレスリーのデビュー・シングルの「That's All Right, Mama」と(B面の)「Blue Moon Of Kentucky」の2曲のことだろう。

*3:黄色い太陽をレーベルのトレード・マークにしていた有名な「サン・レコード」The Sun Records のこと。エルヴィス・プレスリー、カール・パーキンズ、ジェリー・リー・ルイス、チャーリー・リッチ、ロイ・オービンソン、ジョニー・キャッシュなどを輩出し(その後の世界のポピュラー・ミュージックの歴史を大きく変えてしまっ)たこのサンレコードは、アラバマ生まれのメンフィスの興行師で地元のラジオのDJもしていたサム・フィリップスなる(当時30歳になる)白人が、黒人のレコードを作ろうと粗末な機材ではじめた自分の小さな録音スタジオだが、それがほどなくしてサン・レーベルとなり、ルーファス・トマスやジュニア・ウォーカー、ジェームズ・コットン、リトル・ミルトン・キャンベルのレコードなどのR&Bやブルースのレコードを出していた、と同時にこのフィリプスのスタジオでは(4ドルの)金を払えば、誰でも(10インチのアセテート盤で)自分のレコードを作れる、そんな素人向けのサービスもやっていた。そして、1954年のある日(いや、それは厳密に1954年の1月4日)、そのフィリプスのスタジオにひとりの若者がやって来た、伝説のはじまり、いや、歴史のはじまりである。(もちろん、それは(あくまでも)(伝えられ、流布しているところの)「伝説」であり、また「神話」であって、実際にはそれまでにも彼はそのサービスを利用したことがあったというのが事実であるようだ)。トラックの雇われ運転手をしているというその19歳の白人の若者は、母親の誕生日に自分の歌をレコードにしてプレゼントしたいのだと言った。そしてスタジオに入って彼が自分のギターで歌ったのが「That's All Right, Mama」と「Blue Moon Of Kentucky」の2曲だった(というこれも(やはり)「伝説」で、(べつにどうでもいいのだが)実際は彼のデビュー・シングルとなるその2曲とはべつの曲で、「Casual Love Affair」と「I'll Never Stand In Your Way」の2曲)。フィリプスは、かねがね黒人のように歌える白人の若者がいたら、そいつは絶対にすごいスターになれるはずだと考えていた。いま、そんな若者が目のまえで歌っていた。そして、エルヴィス・アーロン・プレスリーという名前のその彼にギターのスコティ・ムーアとウッド・ベースのビル・ブラックのふたりの白人ミュージシャンをつけてやり、3人は数ヶ月にわたってリハーサルを重ね、そうして(日付については異説もあるが)1954年7月5日、彼のデビュー曲となる(アーサー・ビッグ・ボーイ・クラダップの)「That's All Right, Mama」のほか、そのB面となるカントリー&ウェスタンのヒット曲「Blue Moon Of Kentucky」とB面候補用としての「I Love You Because」の3曲が録音され、さらに多くの神話、伝説となる多くの出来事が現実を舞台に繰り広げられていくことになる。