Sweet Home Alabama



Words & Music by Ed King, Ronnie Van Zant and Gary Rossington.
(1974年発表)




(原題直訳 「愛しの故郷、アラバマ」)




Performed by Lynyrd Skynyrd.*1

You can listen to Lynyrd Skynyrd album, "Second Helping".
名作アルバム度 ☆☆☆

「セカンド・ヘルピング」 (レナード・スキナード)



歌詞は、次のURLから
http://www.dubba.com/hookah/lyrics/sweethomealabama.htm




名曲度 ☆☆☆☆☆





邦題「スウィート・ホーム・アラバマ」 (レナード・スキナード)








Big wheels keep on turning
大いなる車輪はまわりつづけている
Carry me home to see my kin
ぼくを故郷へと運び、親しき人々に会わせてくれ
Singing songs about the southland
南部を歌った歌を歌って
I miss Alabamy once again
ぼくはまたアラバマを離れていく
And I think it's a sin, yes
そして、ぼくはそのことを罪だと思うのだ、そう罪なんだ




Well I heard Mister Young sing about her
そうそう、ぼくはヤングさんって人がこの土地について歌ってるのを聴いたよ*2
Well, I heard ol' Neil put her down
あゝ、おいぼれニールがこの地をこき下ろすのを聴いたんだ
Well, I hope Neil Young will remember
まあね、ぼくは願ってるよ、ニール・ヤングが覚えていてくれるのをな
A southern man don't need him around anyhow
南部の人間は、いずれにしても
貴様のことなんかは必要としていないんだってことをな*3




Sweet home Alabama
素晴らしき故郷、アラバマ
Where the skies are so blue
そこでは空はすっごく青々としてる
Sweet home Alabama
愛しき故郷、アラバマ
Lord, I'm coming home to you
主よ、おれはあんたの御許に戻っていくぜ




In Birmingham they love the governor
バーミンガム*4じゃ、人々は知事*5を愛している
Now we all did what we could do
そう、おれたちはみんな自分たちにできることをやったのだ
Now Watergate does not bother me
いま、ウォーターゲートなんておれにはまるで問題じゃない
Does your conscience bother you?
あんたの良心があんたには気になるかい?
Tell the truth
本当のことを言ってみろよ




Sweet home Alabama
素晴らしき故郷、アラバマ
Where the skies are so blue
そこでは空はすっごく青々としてる
Sweet home Alabama
愛しき故郷、アラバマ
Lord, I'm coming home to you
主よ、おれはあんたの御許に戻っていくぜ




Here I come Alabama
アラバマにやって来た




Now Muscle Shoals has got the swampers
さてと、マスクル・ショーラス*6にはスワンプ・ミュージック*7の連中が集まってる
And they've been known to pick a song or two
そう、1、2曲やって有名になった連中だ
Lord they get me off so much
主よ、おれはすっかりやつらにやられちまってるぜ
They pick me up when I'm feeling blue
憂鬱なおれの気分を、あいつら、盛り上げてくれるんだ
Now how about you?
さあ、諸君はどうだい?




Sweet home Alabama
素晴らしき故郷、アラバマ
Where the skies are so blue
そこでは空はすっごく青々としてる
Sweet home Alabama
愛しき故郷、アラバマ
Lord, I'm coming home to you
主よ、おれはおまえのところに戻っていくぜ




Sweet home Alabama
愛しき故郷、アラバマ
Oh sweet home baby
あゝ、懐かしの故郷のおまえ
Where the skies are so blue
あそこでは空は青々として
And the governor's true
そして、知事は誠実だ
Sweet home Alabama
素晴らしき故郷、アラバマ
Lordy
主よ
Lord, I'm coming home to you
主よ、おれはおまえのもとに戻っていくぜ
Yea, yea Montgomery's got the answer
そうだ、そうだ、モンゴメリー*8には答があるんだ







Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞







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ニール・ヤングの「サザンマン」「アラバマ」と来れば、次はレナード・スキナードの「スイート・ホーム・アラバマ」となるのは、これはロック史における理の当然(?)と言える展開だろう(笑い)。






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【A Year Ago−Go!】



(1年前のエントリーを Playback♪)



「ブルースの母」と「ソウルを発明した男」が白人社会に生きる黒人のつらい運命を歌っていた去年のきょう。


・「チェイン・ギャング・ブルース」 (マ・レイニー)

・「チェイン・ギャング」 (サム・クック

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050424

*1:ヴォーカルのロニー・ヴァン・ザントを中心にフロリダのジャクソンズヴィルで結成されたバンド。グループ名はメンバーたちが通っていたハイスクールの硬派の名物体育教師、レナード・スキナーからとり、その綴りを換えたもので(「レナード・スキナー化されたもの」といった意味になるだろうか。アトランタのバーで演奏しているところを南部の音楽専門のレーベルを立ち上げたばかりのニューヨーカーのミュージシャンでプロデューサーのアル・クーパーに発見され、彼のサウンド・オヴ・ザ・サウス・レーベル(MCA傘下)から(クーパー自身のプロデュースで)デビュー。フーの全米ツアーに前座で参加、南北戦争時代の南部連盟の国旗をステージの背景に3本のギターを主体にヴァン・ザントの男性的で攻撃的なヴォーカルやツイン・ギターのリードなど、そのR&Bをベースにした硬派なステージぶりでライヴ・バンドとして全米の注目を集めるようになった。1977年、ツアーのチャーター機ミシシッピー州ギルズバーグで墜落炎上してヴァン・ザントら3名が死亡、グループは消滅した。

*2:(昨日と一昨日に紹介した)南部の頑迷で反動的な土地柄と人種差別など意識におけるその後進性を痛烈に槍玉に挙げたニール・ヤングの「サザーン・マン」と(そのものズバリと州名を名指した)「アラバマ」の2曲を指している。

*3:アメリカで人気とキャリアを積み上げたが、ニール・ヤングはカナダ人であること、そして南部人はそんな外国の進歩派かぶれのニール・ヤングなどは求めてはいないのだという強烈なしっぺ返しであるのだろう。

*4:アラバマ州工業都市公民権運動の時代に黒人の少女4人が命を失う爆破テロがあったことで有名。先日21日に紹介した「バーミンガムの日曜日」参照 http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20060421 

*5:人種隔離政策を推進してきた州知事のジョージ・ウォーレスのこと。州民に人気のある名物知事で(バーミンガムの黒人教会爆破テロがあった公民権運動の時代の)1963年から66年に州知事を務め、(レナード・スキナードのこの曲がヒットした)1971年から79年にも再度、知事となり、さらに1983年にも知事に当選。民主党員。レナード・スキナードのメンバーは、この曲「スイート・ホーム・アラバマ」のヒットによって、全員がウォーレス知事によりアラバマ州軍の中佐に任ぜられている。

*6:1967年ごろにアラバマ州フローレンスのインディペンデント・プロデューサーとして有名な(ミシシッピー出身の)リック・ホールが主宰するフェーム・スタジオのセッション・バンドとして顔ぶれが固定するようになった「ザ・マスクル・ショーラス・サウンド・リズム・セクション」の通称。ギターのジミー・ジョンソン、ベースのデイヴィッド・フッド、キーボードのバリー・ベケットの3人のアラバマ人にインディアナ出身のドラマー、ロジャー・ホーキンズの4人で、R&B、ロックンロール、カントリー、ディスコなど多くのバック演奏で知られ、おもにアトランティック・レコードのジェリー・ウェクスラーがプロデュースしたアレサ・フランクリンウィルソン・ピケットパーシー・スレッジ、アーサー・コンレイ、クラレンス・カーターらの作品でその演奏が注目を集め、デュアン・オールマンなども、よくセッション・ギタリストとしてこのマスクル・ショールズのレコーディングに参加していた。1969年に彼らはフェーム・スタジオを辞めて、アラバマ州シェフィールドの郊外に自分たちのスタジオ「マスクル・ショーラス・サウンド」を設立。ポール・サイモンダスティ・スプリングフィールド、サム&デイヴ、ステイプル・シンガーズ、レオン・ラッセル、シェール、キング・カーティスボビー・ウーマック、ボズ・スキャッグズなどがこのスタジオで彼らのバッキングによるヒット作を出している。レナバード・スキナードも(のちに)ジミー・ジョンソンのプロデュースでアルバムを制作している。一時期、ギターのジョンソンを除く3人がトラフィックのアルバム「シュート・アウト・アット・ザ・ファンタシー・ファクトリー」のジャマイカでのレコーディングに参加、そのまま全米ならびにヨーロッパ・ツアー(「トラフィックオン・ザ・ロード」)にメンバーとして参加するなど、他にもロッド・スチュワートローリングストーンのツアーにもバック・ミュージシャンとして参加、70年代〜90年代は単なるスタジオ・ミュージシャン以上の仕事でも(プロデューサーとしてもまた4人それぞれ、また4人揃って)引く手あまただった。

*7:スワンプとは湿地、沼地を意味する言葉で、ルイジアナの入り江の河の入り混じった沼沢地帯の(もしくは、その雰囲気を帯びた)サウンドを指したニックネーム。1970年代の初めの南部サウンドの台頭に対して「スワンプ・ミュージック」「スワンプ・ロック」といったニックネームがつけられたが、それ以前にも1950年代の後半にクッキー&ヒズ・カップケークスやフィル・フィリプスなどファッツ・ドミノの影響を受けたルイジアナ南部のバイヨー地帯のロックンロール(それはニューオ−リンズ風R&Bをベースにケイジャン・ミュージックやヒルビリーの要素の混じったハイブリッドな音楽)が「スワンプ・ポップ」と呼ばれていたこともあり、1970年代の「スワンプ」の語はそのへんからも来ているのではないかと思われる。

*8:アラバマ州の州都、いにしえの南北戦争の時代には南部連合諸州の首都だった。