Amazing Grace

Words by John Newton.
Music by unknown.
(1970年発表)*1



(原題直訳 「驚くべき恩寵」)




Performed by Judy collins.

You can listen to Judy Collins album, "Whales & Nightingales".
名作アルバム度 ☆☆


(ジュディ・コリンズ)


You can listen to Joan Bez live compilation, "From Every Stage".
推奨アルバム度 ☆☆☆☆

ジョーン・バエズ*2



Also you can listen to Aretha Franklin album, "Amazing Grace".*3
名作アルバム度 ☆☆☆☆

「至上の愛 〜チャーチ・コンサート」(アレサ・フランクリン*4





歌詞は、次のURLから
http://www.answersoflife.com/spirit_ego/amazing_grace_lyrics.htm




名曲度 ☆☆☆☆☆




邦題 「アメージング・グレース」 (ジュディ・コリンズ)







Amazing Grace!
驚くべき恩寵!
How sweet the sound
何と心優しい響きだろう
That saved a wretch like me!
わたしのような
どうしようもない者を救ってくれた!
I once was lost, but now am found;
かつて道に迷っていたわたしだが
しかし、いまは見つけたのだ
Was blind, but now I see.
*5だったが、いま、わたしには見えるのだ*6




'Twas Grace that taught my heart to fear,
わたしの心に恐れることを教えてくれたのは恩寵だった
And grace my fears relieved;
そして恩寵によりわたしの恐れは救われた
How precious did that grace appear
何と貴いことだろう、恩寵の顕れの
The hour I first believed.
その時間、わたしは初めて信じるようなったのだ*7




Through many dangers, toils and snares,
多くの危難や辛苦、そして誘惑をくぐり抜けて
I have already come;
わたしはすでに来ているのだ
'Tis grace hath brought me safe thus far,
かくも遠きところまで
このわたしを連れて来てくれたのは恩寵だった
And grace will lead me home.
そして
恩寵がわたしを
家路へと導いてくれることだろう*8




The Lord has promised good to me,
主は、わたくしによきことを約束してくれた
His Word my hope secures;
主の言葉がわたしの希望を確かなものにしてくれる
He will my Shield and Portion be,
主こそはわたしの御楯となり、また、わたしの定めとなるだろう
As long as life endures.
生命が保たれるその限り*9




Yea, when this flesh and heart shall fail,
そう、この肉と心が弱まり
And mortal life shall cease,
そして、死すべき命が滅してしまうとき
I shall possess, within the veil,
わたしは、覆いの内で有することだろう
A life of joy and peace.
喜びと安らぎという生命を*10




The earth shall soon dissolve like snow,
この大地はやがて雪のように溶けていくだろう
The sun forbear to shine;
太陽は輝くことをやめてしまう
But God, Who called me here below,
だが、わたしをここ下界に呼びつかわされた神は、
Shall be forever mine.
永久*11にわたしのものとなるだろう*12




When we've been there ten thousand years,
わたしたちが一万年の年月をそこにいつづけ
Bright shining as the sun,
太陽のように明るく輝くとき
We've no less days to sing God's praise
わたしたちは神を讃えて歌わぬ日はない
Than when we'd first begun.
わたしたちの初めより変わることなく*13




Amazing grace!
すばらしき恩寵!
How sweet the sound
なんと心優しい響きだろう
That saved a wretch like me!
それがわたしのような人つまらぬ者を救ってくれたのだ!
I once was lost, but now am found;
かつては道に迷っていたこのわたしだが
だが、いまは、見い出しているのだ
Was blind, but now I see.
盲だったが、いま、わたしには見えているのだ






Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞





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日本語圏のインターネットでは、この「アメージング・グレース」は(どういう根拠からか)(あちこちで)「イギリス民謡」として(広く無責任に)紹介されていることが多いが*14、この歌は実のところ賛美歌であり、英語で作られた賛美歌としてはもっとも広く愛唱されてきたもののひとつだろう。英語圏のwebには、この歌の作者のジョン・ニュートンの紹介や歌が生まれたいきさつなどについて詳しく書かれたサイトもいくつかある。

http://www.cyberhymnal.org/htm/a/m/amazgrac.htm

http://en.wikipedia.org/wiki/Amazing_grace




それらによると、
この曲は(1779年に作者のジョン・ニュートンがロンドンで刊行した)讃美歌集「Olney Hymns」に収録されているもので、その後、イギリスでは(やがて)賛美歌として長く忘れ去られてしまうことになるが、アメリカでは広く歌い継がれ、南北戦争の際には南北両地域の人々によって歌われ、また、1839年から40年の「涙の道」Trail of Tears として知られるチェロキー・インディアンの強制移住の悲劇*15の際にはチェロキー族酋長クゥエスクーウィー(=クリスチャン・ネームはジョン・ロス)らによって道中この歌が歌われ、そのことから、この「アメージング・グレース」はチェロキー族の国歌のような扱いも受け、ネイティヴ・アメリカンのアーチストによるレコーディングも多々ある。


作詞者のジョン・ニュートンは、1725年にロンドンで生まれたイギリス人、子供の頃から水夫として働き、信仰とは無縁の暮らしを送り、23歳のとき、ある航海で嵐に遭遇して難破の危機に瀕したが、そのときイエスの名を唱え、一命をとりとめ、神の力に目覚めた。その後、奴隷船の船長をしながら6年にわたて信仰を深め、陸に上がってリヴァプールヘブライ語ギリシャ語を学び、聖書を学んで、39歳のとき、バッキンガムシャーのオルニーで非英国教系の教会の牧師となる。その後、聖職者の暮らしの中から友人のウィリアム・カウパーとともに(この「アメージング・グレース」も収録された)「オルニー讃美歌集」を刊行した。


ニュートンが作詞したこの歌詞は、「新約聖書」の中の「エペソ人への手紙」第2章4節以降が下書きになっているとの見解があるが、まあ、そう言えなくもないという程度にすぎない。ただ、最後のスタンザのみ(ニュートンの意思とは関係なく)これは「わが幸せなる住まい、イェルサレム」Jerusalem, My Happy Homeというべつの賛美歌の最終のスタンザを転用し附加したもので、1829年頃からコネチカット州ウェザーズフィールドのバプチスト教会の歌手のR・ウィンチェルという人によって、そういうかたちで歌われるようになり、それが広まり、今日に至るまでに定着したものとなったようだ。また、有名なストウ夫人の小説「アンクル・トムの小屋」(1852年刊)には、主人公のトムがいくつかの賛美歌をごちゃ混ぜにして歌う場面があるらしく、その中でこのスタンザが「アメージング・グレース」と一緒にされており(<未確認)、(当時のベストセラーの)この小説でそのヴァージョンの歌詞がひろまったとも言われている。

一方、メロディーは(土地ごとに)(また時期によって)一定することなく、ジェームズ・P・カレルとデイヴィッド・S・クレイトンが(アメリカの)ヴァージニアで刊行した「ヴァージニア・ハーモニー」という曲集にある「ニュー・ブリテン」という曲にこのニュートンの歌詞をつけたものが広く流布したというが、現在はそのかたちのものは残っていないという。

そして、生き延びたヴァージョンは(言うまでもなく)(今日、われわれが知る「アメージング・グレース」であるわけだが)その使用される5音階のスケール(ペンタトニック)から判断して、スコットランドアイルランドバグパイプ曲に起源があるのではないかと推測されているようだ。*16



この曲が生まれたイギリスでは(賛美歌としても)長く忘れ去られた歌だったが、アメリカでは上述のとおり長く歌い継がれ、やがて1960年代の(ピート・シーガーボブ・ディランジョーン・バエズ、フィル・オクス、ピーター・ポール&マリー、さらにきょうここで紹介したジュディ・コリンズらがそのシーンの主役となった)アメリカのフォークソングリバイバル・ブームの中でこの歌がよくギターの伴奏で歌われるようになり、イギリスでも再び注目を集めるようになった。とくに1970年に発表されたジュディ・コリンズのヴァージョンは67週という長きにわたってイギリスのヒットチャートにつらなり、翌1972年にはスコットランド近衛竜騎兵軍楽鼓笛隊による見事なバグパイプの演奏によるインストゥルメンタル・ヴァージョンもヒット、その影響で以後、バグパイプによるこの曲の演奏がさかんになった。*17






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【A Year Ago−Go!】


(1年前のエントリーを Playback♪)



・「うつろな愛」 (カーリー・サイモン

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050217

*1:アメリカのモダン・フォーク・シンガー、ジュディ・コリンズの歌う「アメージング・グレイス」はイギリスでシングルカットされて1970年から71年にかけて67週間にわたってヒットチャートに入るビッグ・ヒット(最高で5位)となった。オリジナルは(クレジットにあるジョン・ニュートンによって)英語で作られた賛美歌で1779年に公刊されていることから、それ以前の発表のものと考えてよいだろう。

*2:1985年に大西洋の両岸で同時に開催されたアフリカの飢餓救済の慈善コンサート「ライヴ・エイド」のアメリカ側のステージのオープニングがジョーン・バエズが歌う「アメージング・グレース」だった。

*3:1972年にロサンジェルスの教会で2日間にわたって繰り広げられた教会オルガンと合唱団とのアレサ・フランクリンの感動の福音ライヴ・ステージ。

*4:アレサのこのアルバムでは、邦題は「至上の愛(アメイジング・グレイス)」となっている。

*5:「めしい」と読んでいただきたい。

*6:ヨハネによる福音書」第9章25節に「あのかたが罪びとであるかどうかわたしは知りません。ただ、ひとつのことだけ知っています。わたしは盲であったが、いまは見えるということです」というのがあるが、おそらく作者のジョン・ニュートンがこの歌を作ったその最大のモチベーションはこの言葉の意味するところにある(彼自身の改宗という大きな出来事にある)ように聞こえてくる。

*7:信仰への気づきが、このスタンザ(段落、連)では歌われている。

*8:信仰とともにある現世における魂の道程といったところだろうか。

*9:このスタンザでは、現世における信仰の恩恵を歌っている。

*10:このスタンザでは、死に際したそのときと、その後における信仰の恩恵を歌っている。

*11:「とこしえ」と読んでいただきたい。

*12:死後のことか、あるいはこの世の終わりのときのことか、いずれにせよ神の永劫性を歌っている。

*13:天国における信仰の不滅だろうか。このスタンザはもともとは「わが幸せなる住みか、イェルサレム」というべつの賛美歌の歌詞だったそうだ。そして、この後に再び冒頭のスタンザが繰り返されて終わるのが、今日ではこの歌の定番のようになっているようだ。

*14:「公共性」というものが極端に欠如/欠落しているのが、日本語圏のwebにおける最大の特徴といえるだろう。blogの普及がその特性にさらに拍車をかけるかたちになっているのは心に留めておいてよいだろう。ネットに限らず、TVやラジオにもその傾向は強い。したがって無知でお気楽な(つまり(一言で言えば)バカな)TV番組の制作スタッフや放送作家などが安易な「ぐぐり」に基づいて裏づけのないかたちで(垂れ)流す知識や情報はTVを見ているとイヤになるほど溢れかえっているですよー。とくにロック関連のものは電波に限らず活字でも電子でも媒体によらず(絶望的なまでに)はなはだしいものがあるですねー。公共性の欠如(というか公共性の再建=樹立は)、これ、今後の日本語の社会の課題であるかもしれませんねー。というか(すでに(いわゆる)「上流」においてこの公共性の再建樹立は(「せめて、自分たちだけでもちゃんとしよう」というかたちで進められているようなところが見えなくもない。つまり、公共性(というスタンダードが)が「上流」のヘゲモニーのもとに確立されていく気配が感じられなくもないきょうこのごろ。というか「上流」と「下流」を隔てるのは(何も資産や預金通帳ばかりでなく)「公共性」についての感覚の有無や強弱となるのかもしれない。これは2006年2月の時点における(おそらくは)重要な指摘となるだろう。どうですかー?>後世の人々。

*15:ジョージアから新規居留地のあるオクラホマへのチェロキー族の強制移動。その途中、部族の約1/4が命を落としたという。

*16:けっしてイングランド民謡ではないということなのであしからず。

*17:おそらく、そのへんから、日本でこの曲が「イギリス民謡」とされるようになったのかもしれないが、だったら、せめて「スコットランド民謡」ぐらいには表記してもよかろうと思うのですけどなー。