Butterfly



Words & Music by Aln Clarke, Tony Hicks and Graham Nash.*1
(1967年発表)




(原題直訳 「蝶々」)





From The Hollies album, "Butterfly".*2
名作アルバム度 ☆☆☆

「バタフライ」 (ホリーズ





歌詞は、次のURLから
http://www.hollies.co.uk/albums/buterfly.htm#Butterfly%20Track




名曲度 ☆☆





邦題 「バタフライ」*3 (ホリーズ







We met on the shore of a lemonade lake.
ぼくらが会ったのはレモネードの湖の岸辺だった
Weeping willows looked down where we lay.
よこたわるぼくらをしだれ柳が覗き込んでいた
Orange blossoms I smell in your hair.
きみの髪にはオレンジの花の香りがして
Butterfly, flutter by, butterfly by.
蝶々が、ひらひら飛んでいく、蝶々が飛んでいく



Waterfalls send your ripples to us
瀑布よ、おまえの波紋をぼくらのもとに送っておくれ
Here on the shore of the lemonade lake.
レモネードの湖のこの岸辺の上に。
Pond lilies play hide and seek with the fish.
睡蓮の花がお魚とかくれんぼをしているよ
Rabbit run, run rabbit, rabbit run by.
ウサギが走る、走れ、ウサギ、ウサギが駆けていく



Roaring mountain is standing close by,
唸りを立てる山がすぐそばにそびえている
Covered with snowdrops and glistening with dew.
松雪草と露の輝きを身にまとっている
I hear the sound of a small hummingbird.
ぼくは小さなハミングバードのさえずりを聞く
I took your hand and I waltzed off with you.
ぼくはきみの手をとり、ふたりでくたびれるほどワルツを踊った




Come to the top of the mountain with me.
来いよ、一緒にあの山の頂上に行こう
Jump on a cloud and we'll float to and fro.
雲に跳び乗って、あちこちふたりで浮かんでいこう
Seeing the countryside covered with grass
草に覆われた田園地方を見てみよう
And the top of the mountain with candy-floss and snow.
綿菓子と雪をのせた山のてっぺんも見てみよう




Butterfly lazily drinking the sun,
蝶々は気怠るげに太陽の光を飲み込んでは
Lavishly sprinkled and painted with gold.
やたらとまき散らして、金色に塗りたくる
Here in the land of the mist and the lake,
ここ、この薄霧と湖の国で
Me and my true love will never grow old.
ぼくとぼくの真心の恋人は
けっして齢とることはないだろう






Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞








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きのう「花」につづいて、きょうは「蝶」である・・・。


この歌が発表された(1967年前後の)時期、
多くのグループが解散したり、大物ミュージシャンによるニューグループが結成されるなど、ポピュラー・ミュージックのシーンでは大きな変動があった時代だが、その時期について思えることは、まず、何よりも、ミュージシャン自身の創造性が(あるいは)創造上の意欲が大いに増進した(ように見受けられる/つまり(当時の作品に共通して)それが聴きとれる)ことだが、それを実際に「音」として聴いてみるとき、(こと当時のポピュラー・ミュージックに関する限り)それは(ほとんど)創作上では(まったく)次元を新たにした(するもの)と言っても過言ではないほどにミュージシャンの意識が変わっていった。拡大していった。拡張したのだ。その理由は(詰まるところ)アシッドしかないだろう。一度、気がついてしまえば、これまでと同じことはできなくなってしまう、これまで以上のことに挑み、試み、さらに新たな気づき(= awareness )とともに音楽を再発見し再創造していく・・・・・(だから、解散や大物どおしの新グループの結成もごくあたりまえの動きだった)・・・・そして、この時代、音楽はつねに(世の中の他のシーンよりも1歩も2歩も)早かった、先を進んでいた。現在、世間が「1968年」としてクローズアップ(しようと)する転換点は、こと音楽の世界では(それは)「1967年」であり、(実のところ、それは)1965年、1966年からはじまっていたのだった。*4




(ちょうど1年まえのきょうのエントリーになっているドノヴァンの「霧のマウンテン」も、また、禅の公案を思わせるその内容(「現実」を忠実にとらえようとしたのだろう)ひじょうに自由な歌唱とフレージング、リラックスしたリズムなど(ちょうど同日のエントリーとなっている(「それ以前」の)曲である彼のヒット曲「カラーズ」の様式美と好対照をなしている。







※きのうの1年まえのエントリーの「青い影」、少しまたいじってみました。

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【A Year Ago−Go!】

(1年前のエントリーを Playback♪)




・「カラーズ」  (ドノヴァン)

・「霧のマウンテン」 (ドノヴァン)


http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050123

*1:当時24〜25歳の3人だった。

*2:たとえば、ビートルズがアルバム「ラバーソウル」(1965)や「リヴォルヴァー」(1966)や「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(1967)を発表してポピュラーミュージックというものの概念を大きく転回(=revolt)させていいたのと同じ時期、ホリーズという人気バンドも「For Certain Because」(1966)や「Eovolution」(1967)や「Butterfly」(1968) といった意欲作を発表して(単なるシングル・ヒットを狙うだけでない)真摯なアルバム・グループへの脱皮を試みていたことが、これらの力作から立証されるだろう。しかし、商業的にも批評的にも彼らの努力は当時は容れられることなく、アルバムを大きな注目を集めずに終わった。おそらくそれに失望したのだろう。あるいは限界を感じたのだろう。グレアム・ナッシュはホリーズを脱退して、アメリカに渡り、戻ることはなかった。彼が(ほどなくして)(バーズを辞めた)デイヴィッド・クロスビーと(バッファーロー・スプリングフィールドを辞めた)スティーブン・スティルスと(そして後にニール・ヤングも加わり)クロズビー・スティルス&ナッシュ(やがてクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングに発展)を結成したことは言うまでもないだろう。

*3:きょうのこの歌「バタフライ」も単なるポピュラー・ミュージック以上のものを創ろうという彼らの意欲と気概が曲の全篇から感じられる(すばらしい波動に満ちた)曲だ。しかし、彼らのそういう気持ちはイギリスでもアメリカでも当時は広くは理解されず、受け容れられなかった。おそらく、彼らのファンが(そして批評家やジャーナリズムも)彼らにそんなことを求めていなかったというのがいちばんの理由だろう。ホリーズがいちばん聴いてほしかった部分をファンは聴き逃してしまったのだ(というよりも聴こえなかったのだろう。ただの訳の分らない(難解でプリテンシャスな)耳障りなサウンドだったにちがいない。また、グループに傑出した演奏家(たとえば非凡なるギタリストが)いなかったことも「アルバム・アーチスト」として脱皮していくには(この時期には)大きなハンディとなっていたのかもしれない。

*4:そして、きのうの「キングストン・トリオ」がシーンの第一線から姿を消してしまうのも1967年のことだった。