Underneath The Neon Sign


Words & Music by Raymond Douglas Davies.
(1975年発表)



(原題直訳 「ネオンサインの下で」)





From The Kinks album, "Soap Opera".
名作アルバム度 ☆ 

「ソープ・オペラ(石鹸歌劇)〜連続メロドラマ ”虹色の夢”」 (キンクス


歌詞は、次のURLから   
http://hobbes.it.rit.edu/





邦題「ネオンのまぶしさ」 (キンクス







Our hero leaves the pub
われわれの主人公はパブを出る
His head still swimming with alcohol,
彼の頭はまだアルコールの中を泳いでいる
His head buzzing with facts, figures and computers.
頭の中でデータや資料やコンピューターが唸りを上げている
Night is descending as he wearily makes his way home
夜の帳も下りてきて、彼はグッタリとして家路につく
Through the traffic jams
交通渋滞と
And neon lights of the great metropolis.
この大いなるメトロポリスのネオンの輝きの中を




All I see is imitation
ぼくが目にしているのは、すべてがまがいもの
And there's no earth beneath my feet.
そして、ぼくの足下には大地などありゃしない
There are no trees or fields in front of me
ぼくのまえには木々も野原もまるでない
Only slabs of concrete.
ただコンクリートの舗装ばかり
Skyscrapers reaching up to the clouds,
雲にとどかんばかりの摩天楼が
Don't give the moon a chance to shine,
月の輝きを遮っている
And I've got imitation moonlight
そして、ぼくが見るのは作り物の月の光
Standing underneath the neon sign.
ネオンサインの下に立って




Is it real or just illusion?
これは現実なのか、それとも幻影なのか?
Can there be day-time when it's night?
夜なのに昼間なんてありうるのだろうか?
Is it merely my delusion?
これはぼくの単なる錯覚なのか?
Or are my senses telling me lies?
それとも、ぼくの感覚が欺かれているのだろうか?
Is it just hallucination?
これこそまさに幻覚なんだろうか?
Have I been drinking too much wine?
ぼくがあまりにも飲みすぎてしまったせいだろうか?
I don't know if it's day or night,
ぼくには、これが昼なのか夜なのかわからない
When I'm underneath the neon sign.
ネオンサインの下に立っていると
Underneath the neon sign.
ネオンサインの下にいると




Electronic nature made by man with robots in mind.
精神がロボットになった人間が作ったエレクトロニクスの大自然
Big city lights guide my way into the night, darkness shines
大都会の灯が、ぼくの行く手を夜へと導く、闇が輝いている
When I'm standing underneath the neon sign.
ネオンサインの下に立っていると




If there isn't any sunshine
もしも、太陽の光がまったくなかったとしたら
We'll sunbathe by the neon sign
ぼくらはネオンサインで日光浴をするだろう
And if we can't see any stars at night
また、もし、ぼくらが夜中に星がひとつも見えなくなったら
We'll sit and watch the traffic lights.
ぼくらはすわってクルマのライトを眺めよう
If there isn't any day-time
もしも、昼間がなくなってしまったら
I've got an imitation dawn,
ぼくには作り物の夜明けがある
I've got a simulated sunshine
シミュレートされた日光がある
Standing underneath the neon sign.
ネオンサインの下に立ってる




Is it only an illusion?
これは単なる幻でしかないのだろうか?
Have I been drinking too much wine?
ぼくはあまりに飲みすぎてしまったのだろうか?
Can there be day-time when it's night?
夜中なのに昼間なんてありえるのだろうか?
Underneath the neon sign.
ネオンサインの下には
Underneath the neon sign.
ネオンサインの下では
Is it mother nature?
これが母なる自然なのだろうか?
Playing tricks with my eyes
ぼくの瞳に細工をして
For darkness shines
暗闇を輝かせているのだ
When I'm standing underneath the neon sign.
ぼくがネオンサインの下に立っているのは






Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞






∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮




酔っ払いの考えることである。
きみは酔っ払って店を出る、
大都会の街の灯の眩さの中で
(それにきちんと反応する術を見出せぬままに)
(まるで何かに仕向けられたかのように)
(何やらわからぬが)考える。
だが、それが考えなどにはなりようがないのは当然のことだろう。
第一、きみは酔っているのだし、思考のコントロールを欠いている、
せいぜいが街の灯の眩さにそれこそ眩惑され、また幻惑されているといったところだ。

夜の明かりに誑かされる。

そして、もちろん、ネオンサインはサイン(=記号=シーニュ)であるのだから、
当然そこにはさまざまなメッセージが渦巻いており、
頭の中では意識下にいたるまでそれらがかたちを変えて渦巻いてゆくことになるだろう。


思考は、思考以前にすでに眩惑され、幻惑されている。



なぜなら、それらはつねにたえず現実を取り逃がしつづけている。とらえそこねている。
そして、思考もあらゆる言説も、それらはけっして現実を反映したものでなく、現実自体が、(すでにして)ひとつの反映という現実なのだ。
多様なる反映、
種々雑多なる反映。

反映という現実 Reality of Reflection.

そして繁栄、豊かさとはそういうものだ。




All I see is imitation
And there's no earth beneath my feet.
There are no trees or fields in front of me
Only slabs of concrete.


ぼくが目にしているのは、すべてがまがいもの
そして、ぼくの足下には大地などありゃしない
ぼくのまえには木々も野原もまるでない
ただコンクリートの舗装ばかり




現金ではなく、要は数値である。
数値の大小だ。
だが、これは無理もないことだ。そもそも紙幣というものがイミテーションなのだからwink
そして、「コンクリート」concrete という語には英語では「現実の」という意味がある。
(そう、世界は、びっしりと現実で舗装されているのである)



「非現実的な現実」というのは、
1972年に彼らキンクスが発表したアルバム「この世はすべてショービジネス」Everybody'S In Showbiz 所収の「Unreal Reality」(非現実的現実)以来、レイ・デイヴィスの主題のひとつになっている。



そして、われらが主人公は、帰りの地下鉄に揺られながら、つまらない、勝手な、あらぬ空想に耽るのだ。
(そして、そこには彼の日々の現実が如実に反映されているにちがいない)




(きょうの日は、明日へとつづく)