Six O'Clock

Words & Music by John Sebastian.
(1968年発表)



(原題直訳 「6時」)





Performed by The Lovin' Spoonful.

You can listen to The Lovin' Spoonful album, "Everything Playing".
名作アルバム度 ☆

「エヴリシング・プレイング」 (ラヴィン・スプーンフル




歌詞は、次のURLから
http://www.getlyrics.com/lyrics.php/Lovin%92+Spoonful/SHOW+LYRICS/Six+O%92Clock




名曲度 ☆☆





邦題 「シックス・オクロック」 (ラヴィン・スプーンフル








There's something special 'bout six o'clock
6時というのには何か特別のものがある
In the morning when it's still too early to knock
まだノックをするには早過ぎてしまう朝
And the dusky light shines down on the block
薄暗い光がその町角を照らしている
And reflects up and down on the hands of the clock
それが時計の針にチラチラと反射して
Six o'clock, six o'clock
6時かあ、6時だ




A few hours ago she was standing here
ほんの数時間前、彼女はここに立っていた
Just watching the stars in our eyes
ただただ、ぼくらの瞳の中の星を見つめていた
And the lights as the tights disappeared
その確たる光は消え失せて
And I could feel I could say what I want
そして、ぼくは言いたいことが言えるような気がしそう
That I could nudge her and call her my confidante
つまり、彼女のことを軽く肘でつついて
ぼくの親密な人と呼んだりするとか
But now I'm all alone with just my shadow in front
だけど、いま、ぼくはただ自分の影だけをまえにして
まったくのひとりきり
At six o'clock, six o'clock
この朝の6時に、朝6時に




I went home and found that time to sleep was rare
家に帰って、ぼくは気づいた
こんな時間に眠るなんて珍しいことだって
Just watching my eyelids,
ただ瞼の裏を見つめながら
Knowing my brain bids the night not to care
ぼくの頭が夜に口出しするなと命じているのを知った
I got up and got scufflin' around
起きて、ぼくはもぞもぞと動き出す
But somehow it just wasn't the same happy town
でも、どうもこの町はあの幸せな町とは同じじゃい
And the bells didn't ring with the same happy sound
そして鐘の鳴る音も、あの幸せな響きと同じじゃなかった
At six o'clock, six o'clock
夕方6時に鳴る、6時の鐘




If I go back where we parted
もし、ふたりが別れたあの場所に行ってみたら
Could I ever feel like that again?
ぼくは、もう一度、あの気持ちになれるのだろうか?
Guess I'll just have to wait 'til tomorrow
明日まで待ったほうがいいんだと思う
But what can I do 'til then?
だけど、そのときまでどうしてたらいいんだろう?




Guess I'll go back home and just wait until dawn
家に帰ろう、そして夜が明けるのをただ待つとしよう
Yes, I had to learn
そう、少しは学ばないとね
Going back where we were wouldn't help at all
ふたりがいた場所に行ってみたって
何の役にも立ちやしないんだ
And I wish my head had been working right
そして、ぼくは自分の頭がきちんと働いていたと思いたい
We'd have gone for coffee and talked all night
ぼくらはコーヒーを飲みに出て、夜通し話していたかもしれなかった
And now I'm back alone,
そう、いま、ぼくはまたひとりでいる
Bein' twisted up tight
ひどく身もだえしながら
Six o'clock, six o'clock
6時かあ、6時だなあ




Now I'm back alone
さあ、ぼくはまたひとりっきり
Yes, now I'm back alone
そう、またぼくはひとりぼっちに戻ったんだ
I'm back alone
ひとりで家に帰って来た








Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞







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(ポーだったか、ボードレールだったか、・・・それともこのおれさまだったか(笑い))
 「詩人は夜狂い、狂人は朝狂う」

という言葉があったと思うが、人は恋をするとかなり常軌を逸した、無意味な行動をとってしまう。
耐え切れぬ思いをそういう何らかの行動にすり替えて、そこに逃げ込もうとするのだろう(それと意識せぬままに、ときにはまた意識的に)。そこはそこで(それなりにハッピーな)行き止まりだったり、行き詰まりだったりするのだろう。そして、さあ、恋人たちよ、また次なるどん底、目指して血迷いたまえ。
おそらく、ありとあらゆる方向に気持ちや心や頭が先走りして乱反射し、実際の現実(!)の座標軸が見失われてしまうのだろう。
言うまでもなく、それはエゴの発露というべきものだが、それが(シャドーボクシングならぬ)シャドーダンシングになってしまわぬ分には、それもまた大いに結構。
だが、そんな結=構も、(しばしば)ほんのちょっとしたことからその虚ろな構えを解いてしまう。
結構な恋という虚構である。
ふとしたことからリズムが狂い、ダンスという結構が崩れてしまえば、おそらく少なくとも、どちらか一方はやがて踊りをつづけることをやめてしまう。

そして、実際の現実(!)が思い通りの展開にならなくなると自然な威力、夢見心地な心の勢い、加速度は失せてきて、故意にそれを捏造しはじめる。それはもはや故意なのだから恋ではなく(請いや乞いや来い!や濃いであっても)そうした振る舞いは、いずれにせよ何の結実も見ることはなく、はた目にはただの(構えをなさない)バラバラな分裂した行動としか映らない。




ジョン・セバスチャンの書いたこの「シックス・オクロック」という歌には、とにかく一生懸命正気を保とう、必死で理性的であろうとする空虚な若い魂の焦燥した様相が歌い出されている。
例えば、それは



In the morning when it's still too early to knock
まだノックをするには早過ぎてしまう朝



という躊躇のかたちで表れたり、
あるいは、




I went home and found that time to sleep was rare

家に帰って、ぼくは気づいた
こんな時間に眠りに就くなんて珍しいことだと



という自省のかたちをとり、
また、


Guess I'll just have to wait 'til tomorrow

明日まで待ったほうがいいんだと思う



と思慮分別として表れる。
そして、きわめつけはこのくだりだ、



Guess I'll go back home and just wait until dawn
Yes, I had to learn
Going back where we were wouldn't help at all
And I wish my head had been working right

家に帰ろう、そして夜が明けるのをただ待つとしよう
そう、少しは学ばないとね
ふたりがいた場所に行ってみたって何の役にも立ちやしない
そして、ぼくは自分の頭がきちんと動いてきたと思いたい





本当にこの歌の男の子はよくやってますね。よく頑張ってる、いい子だねえ。
しかし、狂ってはならないというその理性というのも、(わたしの目には)理性の側のみにとどまろうとするかなり強迫的な狂気のように映るのだが・・・・・、どうっすか?



どうして分けるのよ、狂気と理性を、
どうやって分けてるのよ、狂気と理性を
狂気も理性も獣性も聖性も何かもが渾然一体、いや(体などなさずに)渾然一態、
それが本来のかたちではないのですか?
(あるいは)そっちのほうが生き甲斐ややりがいありそうな生涯。*1


そして、(そういう渾然一態の)そこから(個々に)立ち返って見てこそ、
本当にものが見えたり、感じられたり、考えたりすることができるはずでしょ・・・?
そうすれば、実際の現実(!)(なんてもの)が(種々の入り組んだ)ひとつの虚構でしかないのは一目瞭然。
ひとつの虚構が無数にある。さまざまな度合いや等級に応じて、それがひとりの人間の内においてもそのときどきで取捨選択や組み合せがさまざまとなる。
わたしには世界はけっこう無秩序で不規則的変則的で未熟でいい加減なものだという直観がある。
宇宙やこの地球という自然界のさまざまな大いなる法則を差し置いてもだ。

あらゆるものがあらゆるかたちであらゆるところで一斉に起こっているというのはすごくすばらしいことですね。
(たまたま、この歌が入ったラヴィンスプーンフルのアルバム・タイトルが「Everything Playing」であり、ジャケットのそのイラストも輪をかけて嬉しくもあるが)


で、あらためて思うのだが、ここに在る「わたくし」とはひとえに「わたくし(=私)」では(まず)ありえず、どうしても「非=私(=公的)」たらざるをえず、人称として(つねに同時に)非人称であり、生命として無名、すなわち名づけえぬものとして、匿名性の領域につねに影響し影響されるunknownたらざるをえない面が(既知も未知も含めて)多々ある存在であると・・・・

したがって、「自分」について語るとするなら、


I am who I am,*2 and I is someone else*3


となってしまわざるをえないのですね(わたくしの場合は)。
しかし、ここまでわかる(というか)気づいてしまうと、これはもう何にもわかっていないのとほぼ同然、同じことになってしまうわけですね、実際の現実(!)として。
i mean a sort of actual reality, you see.

子供っていうのは、実はやたらと観察ばっかりしてて、いちいちちょっかい出したりするかたちでいろいろと実験してたりするんですね、ちょうどそれと同じような、そんな自由が獲得できるんですね。権利でも義務でもない魂の自由がね。



ということで、大股で take a giant step すると



ロックンロールとは「大愚」である、
「大愚」を礼賛し、「大愚」を煽り立てる「大愚」、
その風狂の響き。*4


まあ、音楽ってもんが(ディオニソス的というか)そういうものなのでしょうね、歌舞音曲、Muse−ic which sounds like Magic♪ yes, it does actually Magic!♪
Right, Mage-ic....and if you'd follow him, it's going to be like Maze-ic, heh,heh!

*1:でも、軽率な輩が無免許でやると、おうおうにして犯罪となってしまうのでご用心。

*2:ジャック・プレヴェール「わたしはわたし」(「パロール」所収)より

*3:アルチュール・ランボー、17歳当時の書簡より。I am と言わないのがさすが!

*4:(そして、ときには)そこに何とも風雅な味わい覚えてしまうわたしがいる。