Bangla Desh


Words & Music by George Harrison.
(1971年発表)


(原題直訳 「バングラデッシュ」)



Performed by George Harrison

From his box set album, "The Concert For Bangla Desh"
名作アルバム度 ☆☆☆

バングラデシュ・コンサート」 (ジョージ・ハリソン


歌詞は、次のURLから
http://lyrics.rare-lyrics.com/G/George-Harrison/Bangla-Desh.html

名曲度 ☆


邦題 「バングラデッシュ」 (ジョージ・ハリスン




My friend came to me with sadness in his eyes
瞳に悲しみを湛えてぼくの友達がやって来て
Told me that he wanted help before his country dies.
祖国が死んでしまわないうちに助けてほしいのだとぼくに言った
Although I couldn't feel the pain
その痛みはぼくには感じることはできなかったけれど
I knew I had to try.
ぼくがやってみなきゃいけないというのは
ぼくにもわかった
Now I'm asking all of you to help us save some lives.
さあ、ぼくはあなたたちみんなに
何人かの命を救う手助けをするようお願いします




Bangla Desh
バングラデッシュ
Bangla Desh
バングラデッシュ
Where so many people are dying fast
そこでは
実にたくさんの人々が飢餓で死につつある
And it sure looks like a mess.
そして、それはまさしくひどいものだ
I've never seen such distress.
ぼくははそんな窮状を一度も見たことがなかった
Now, won't you lend your hand
さあ、あなたも手を貸してくれませんか?
Try to understand.
理解しようとしてみてください
Relieve the people of Bangla Desh.
バングラデッシュの人々を救うのです




Bangla Desh
バングラデッシュ
Bangla Desh
バングラデッシュ
Such a great disaster
こんな大変な惨状は
I don't understand
ぼくには理解できないが
But it sure looks like a mess.
でも
これはたしかにひどいことではあるようだ
I've never known such distress.
こんな痛ましいことはぼくはまるで知らなかった
Now, please don't turn away
さあ、どうか目を背けないようにしてください
I wanna hear you say
ぼくはみんさんがこう言うのを聞きたいのです
Relieve the people of Bangla Desh.
バングラデッシュの人々を救おう
Relieve the people of Bangla Desh.
バングラデッシュの人々を救おう




Bangla Desh
バングラデッシュ
Bangla Desh
バングラデッシュ
Now it may seem so far from where we all are.
さあ、これはぼくらみんながいるところからすれば、
遠くのことに思えるかもしれない
It's something we can't reject
これは
ぼくらががつっぱねてしてしまうこわけにはいかないことだ
That suff'ring I can't neglect.
この災厄はぼくが見過ごすことのできないものだ
Now, won't you give some bread
さあ、みんな、いくらかお金を出してくれないか
Get the starving fed.
飢えた人たちに食べさせよう
We've got to relieve Bangla Desh.
ぼくらはバングラデッシュを救わなくてはならないのだ





Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞





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1971年3月に「ベンガル人の国」という国名でパキスタンから独立を果たしたばかりの「バングラデッシ人民共和国」はその後もパキスタンの軍事介入や政治的な強攻策に苦しみ、多くの難民を出し、さらに集中豪雨による洪水の被害から飢饉に苦しみ壊滅的な打撃を受けていた。



My friend came to me with sadness in his eyes
Told me that he wanted help before his country dies.

瞳に悲しみを湛えて友達がぼくのところにやって来て
祖国が死んでしまわないうちに助けてほしいのだと言ってきた



と歌う、このジョージ・ハリソンのところにやって来たのは、ジョージのインド音楽シタールの師で、当時からすでに世界的な演奏家として有名だったラヴィ・シャンカールだった。*1



この「バングラデッシュ」をシングル盤として発表し、世界に新しい国の窮状を訴えた彼は、その半年後、エリック・クラプトンリンゴ・スターボブ・ディランレオン・ラッセルら親しいミュージシャン仲間に呼びかけて募金集めのコンサートを主催する。*2
それが1971年8月1日にニューヨークのマディソン・スクェア・ガーデンで昼夜2回にわたって行われた「ザ・コンサート・フォー・ザ・バングラデッシュ」というロック史上初の(スーパースターを一堂に会した)大規模なチャリティ・コンサートとなった。
コンサートは昼夜2回のステージで2万人の観客を動員、数日後、24万3418ドル50セントの小切手がUNICEF(ユニセフ=国連児童基金)に送られた。
そのステージの模様は、フィル・スペクターのレコード・プラントによってライブ録音され、3枚組みのボックス・セットとしてアルバムとして発売され*3、またコンサートのステージを収録した映画も世界各国で公開されて、映画とレコードと合わせて1500万ドルの収益を上げたが、アメリカ合衆国の税制やいくつかのレコード会社との契約上の問題などもあり、そのうちの200万ドルが1972年にUNICEFに送られたのみだった。*4しかしながら、UNICEFはこの功績を讃えて、同年、ジョージ・ハリスンラヴィ・シャンカールに「UNCEF子供は人類の父である」賞を授与している。



この歌の中で(あたりまえだけども)(ぼくが)ジョージの誠実さを感じたのは、このフレーズ



Although I couldn't feel the pain
I knew I had to try.

その痛みはぼくには感じることはできなかったけれど
ぼくがやってみなきゃいけないというのは
ぼくにもわかった




この姿勢は(その数年前に発表された)フランスの映画監督たちによるヴェトナム戦争についてのオムニバス映画「ヴェトナムを遠く離れて」における「ジョン・リュック・ゴダール篇」*5に通じる誠実さがうかがえる。

*1:遠方から朋が来て、彼の祖国の窮状を救って欲しいと訴えるこのエピソードは、ビートルズのアニメーション・フィルム「イエロー・サブマリン」の冒頭を現実の世界で反復したものとなっているのもまた事実である。

*2:ジョージは、このプランを(解散後、まだそれほどたっていない)他の元ビートルズの3人にも呼びかけてみるが、それにすぐに応じたのはリンゴ・スターただひとりだけだった。ポール・マッカートニーは「いまは、まだビートルズが再結集するような時期ではない」と(あいかわらずザ・ビートルズ(!)の人間として)のたまわり、これを拒絶。ジョン・レノンは快く応じたもののジョージの呼びかけが妻のヨーコ・オノを含むものではなかったことを理由に参加を拒否したと伝えられている。

*3:1971年のグラミー賞の年間最優秀アルバム賞を受賞作品

*4:最終的に1981年までに880万ドルがこのレコードの収益から寄贈されているそうです。

*5:ゴダールはその僅か数分程度のフーテージで(他の監督たちとは違って)実際のヴィエトナム戦争の映像など1コマも映し出すことなく、ただ35mmのムーヴィー・カメラを覗きつづける自分の姿を正面から撮影し、その動きのない映像に自分がヴィエトナム戦争について映画を撮るとはどういうことなのかをひたすら語るその音声を流して、これを自分の作品とした。http://www.kojinkaratani.com/criticalspace/old/special/asada/vietnam.html