There But For Fortune

Words & Music by Phil Ochs.
(with additional verse by Noel Paul Stooky)
(and French verse by William Curtis)
(1966年発表)



(原題直訳 「なにはなくとも宿命だけが」)



From Phil Ochs live album, "Phil Ochs in Concert".
名作アルバム度 ☆☆☆

(フィル・オクス)

And you can listen to "There and Now: Live in Vancouver".
(フィル・オクス)

Also on his comilation album, "There But for Fortune".
推奨アルバム度 ☆☆☆☆

(フィル・オクス)


Also You can listen to Joan Baez album, "Joan Baez / 5".
名作アルバム度 ☆☆☆☆☆

ジョーン・バエズ



歌詞は、次のURLから
http://www.cs.pdx.edu/~trent/ochs/lyrics/there_but_for_fortune.html




名曲度 ☆☆☆☆





邦題 「フォーチュン」 (フィル・オクス)








Show me a prison, show me a jail,
わたしに監獄を見せなさい、
わたしに牢獄を見せなさい
Show me a prisoner whose face has gone pale
青白い顔した囚人を見せなさい
And I'll show you a young man with so many reasons why
ならば、
わたしは、ひとりの若者を見せてあげよう
彼には実にたくさんのそうなる理由があったのだ
And there but for fortune, may go you or I
そして、そこには宿命というものがあるだけだ
従っていくがいい、わたしもまた




Show me the alley, show me the train,
わたしに路地裏を見せなさい、
わたしに列車を見せなさい*1
Show me a hobo who sleeps out in the rain,
雨に打たれて外で眠る浮浪者を見せなさい
And I'll show you a young man with so many reasons why
ならば、わたしは、
実にたくさんのそのわけを持った若者をひとり
あなたがたにお見せしよう
There but for fortune, may go you or go I
そこには宿命があるだけなのだ
従うがいい、わたしもまた
You and I.
あなたがたも、わたくしも




Show me the whiskey stains on the floor,
フロアーのウィスキーの染みを見せなさい
Show me the dunken man as he stumbles out the door,
よろめくように店から出て来る酔漢を見せなさい
And I'll show you a young man with so many reasons why
ならば、わたしは実にたくさんのそのわけを持った若者をひとり
あなたがたにお見せしよう
There but for fortune, may go you or go I
そこには、運命があるだけだ
従うがいい、わたくしもまた
You and I.
あなたがたも、わたくしも




Show me the famine, show me the frail
わたしに飢饉を見せなさい
わたしに人の弱さを見せなさい
Eyes with no future that show how we failed
わたしたちがどのようにして道を誤るかを示す
未来のない瞳を見せなさい
And I'll show you the children with so many reasons why
ならば、
わたしは実にたくさんのそのわけを持った子供たちを
あなたがたにお見せしよう
There but for fortune, go you or I.
そこには運命があるだけなのだ
従うがいい、わたしもまた




Show me the country where bombs had to fall,
わたしに爆弾を投下される国を見せなさい
Show me the ruins of buildings once so tall,
かつては高くそびえていたビルの残骸を見せなさい
And I'll show you a young land with so many reasons why
ならば、
わたしは実にたくさんのそうする理由を持った新興の国*2をひとつ
あなたがたに見せようではないか
There but for fortune, go you or go I
そこにはただ宿命があるだけなのだ
従うがいい、わたしもまた
You and I,
あなたとわたしが
There but for fortune, go you or go I
そこにはただ運命があるだけだ
従うがいい、わたしもまた
You and I.
あなたも、わたしも



Here it is in French
ここからはフランス語でやります



Je vois le prison
わたしは監獄を見る
Je vois la nuit
わたしは夜を見る
Je vois le prisonnier qui pleure sa vie
わたしは人生を嘆き悲しむ囚人を見る




Et je me dis souvent
Quand je m'endors dans tes bras
そして、
わたしはきみの胸に眠りながら
よく自分に言い聞かせることがある
Ou va la chance, a toi ? a moi ?
この運はどうなっていくのだろう
きみやわたしが手にしているこの運は




Je vois des blessures
Jamais gueries
わたしは
けっして癒えることのない
傷を見る
Je vois le vagabond
Quit dort sous la pluie
わたしは
雨の中で眠る浮浪者を見る




Je vois cet homme
Au coeur perdu
わたしは失意の男を見る
Qui boit pour ne plus voir
Ce qu'il est devenu
これ以上、
この先を見たくないばかりに
酒をあおる男




Je vois des villes
わたしは街を見る
Dont les maisons
そこにある家々を
Un jour sous la guerre
戦火の日々に
Ont croule sans raison
不当にも崩れ落ちていく家々を







Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞





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ジョーン・バエズの歌で有名になった曲だが、オリジナルはフィル・オクスの作品。
フィル・オクスは、この歌を「There but for the grace of God」(そこにはただ神のご慈悲があるのみです)というよく人々が口にする言葉をヒントに作ったという。
なお、歌詞の4番を書いたのは(クレジットにもあるように)ピーター・ポール&マリーのポール・ストゥーキー。

歌の仕組みは明らかだろう。
「何が彼女をそうさせたのか」というあのパターンである。
そして、かつての若者、かつての子供の姿が示される
そうなってしまった数々の理由があるのだという言葉とともに。
そして、それは「運命」によるものとする。

もちろん、この歌を歌う者も、聴く者も、大人しく運命に従ったりはしない。


それにしても、運命とか宿命というのは(どこか)日常を超えた大きなものというイメージがあって日頃はめったにつきあいのないものだ。


例えば、物事がうまくいかないときに

1)人のせいにする
2)社会のせいにする
3)自分のせいにする


そのどれにもできないときに「運命」とか「宿命」がしゃしゃり出てくる(いや、引っ張り出される)ことになるのかもしれない。


いまの日本の社会では(知能や身体にこれといった障害さえなければ)基本的な初期条件は(これ以上は贅沢というほどに)完備しているのだから、まず「社会のせい」にするようなケースはあまりないのではないだろうか。自分の初期条件をよく把握して、その改善に努めたり、その力に見合ったことをしていけばいい、ひたすらできることをやっていくことで、できそうにないこともできるようになっている自分に気づいたり驚いたりすることもあるだろう。

「人のせいにする」のも結局は(その人間にそうさせてしまったということで)(やはり)「自分のせい」なのだろうし、「金のせい」「時間のせい」もそれと同じ。あと(若い子にときにありがちな)「親のせい」というのは何だろうな・・・・、それは(もしかしたら)「社会のセリフ」かもしれないな、そういう「親のせい」とかいう子の成れの果てを見て「世の中」が言うセリフ。だから、つまり「自分のせい」ということだ、そのことをキチンと叩き込まれなかった・・・とか。「病気のせい」っていうのもあるな・・・・。「クスリのせい」「酒のせい」「女のせい」とか、、、、そんなことまでかまってられっかヨってなもんだが、あんまりイイ思いしといて後になって勝手なことホザくんでねえべえ。

まあ、いろんなもののせいにしたい人たちがたくさんいるわけだけども、そうやって(いったい)何を救おうとしているんだろうか? 自分以外のもののせいにすることで(自分を救うのだろうか)、それによって何がどうなるのか?
ひとつ言えることは、自分のせいにすれば、自分でそれを改められるし、何とかできるわけで、それこそリベンジだってできるわけですからね。

つねに先が見える道を選択するのが賢さだろう。
ときには袋小路のバーで飲むとしてもネ。



なもんだから、「運命」とか「宿命」とかを呪うとか嘆くという(そこまでの)絶望や絶望的な状況は(いまだ幸いにして)知らずにいるが、基本的に「運命」や「宿命」といったものは、それは(自分に)いいことをしてくれるもんだという何か信仰みたいな思い込みのような認識がわたしにはあるようだなぁ。

・・・・(と(べつにクリスチャンではないが)「ヨブ記」のことなど頭の中で高速スキャンしながら)たったいま発明した名言・・・、


「信仰のないところに試練なし」


「信なきところに試練なし」

(としたほうがより広く受け容れられやすいかもしれない。)



つまり、(説明するならば、)
「信」(=仰)がなければ、それはけっして試練にはならず、
ただの災厄や不幸で終わってしまうだろう。


未来への視界を妨げられたからといって、
視線を未来へ向けることを放棄してはならない。
よき未=来を現=在させる判=断や決=定を!

*1:大恐慌時代に職を求めて貨物列車に跳び乗り、各地を転々とした失業者たちの群れを指すと思われる。ここでも紹介した「フレイト・トレイン」http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050210 下段を参照。

*2:1776年に独立宣言をしたアメリカ合衆国という国。