Attics of My Life

Words by Robert Hunter,
Music by Jerry Garcia.
(1970年発表)



(原題直訳 「ぼくの人生の屋根裏部屋」)




From The Grateful Dead album, "American Beauty".
名作アルバム度 ☆☆☆

アメリカン・ビューティ」 (グレイトフル・デッド





歌詞は、次のURLから
http://grateful-dead-lyrics.wonderlyrics.com/Attics-of-My-Life.html



名曲度 ☆




邦題 「人生の裏側」 (グレートフルデッド)








In the attics of my life
ぼくの人生の屋根裏部屋には
Full of cloudy dreams unreal
朦朧とした非現実的な夢がいっぱいだ
Full of tastes no tongue can know
どんなセンスの人間にも
とてもわかりはしないだろう趣味や
And lights no eye can see
目では見えない輝きでいっぱいだ
When there was no ear to hear
誰も聞いてないところで
You sang to me
きみがぼくに歌ってくれた




I have spent my life
ぼくはこれまでの人生を
Seeking all that's still unsung
いまだ歌われたことのない
あらゆることを探しながら過ごしてきた
Bent my ear to hear the tune
耳をふさいでその曲を聴き
And closed my eyes to see
見るために目をつむった
When there were no strings to play
弦が全然張ってないときに
You played to me
きみはぼくに弾いてくれたね




In the book of love's own dreams
愛そのものが見る夢が書かれた書物では
Where all the print is blood
印刷はすべて血によるもの
Where all the pages are my days
ページは全部ぼくの日々
And all my lights grow old
そしてぼくのものの見方が年を重ねる




When I had no wings to fly
ぼくに翼がなくて飛べないときに
You flew to me
きみが飛んできてくれた
You flew to me
ぼくのもとに飛んできたのだ




In the secret space of dreams
秘密の夢の部屋で
Where I dreaming lay amazed
夢見るぼくがポカンとして寝っころがっている
When the secrets all are told
あらゆる秘密がそこで語られ
And the petals all unfold
蕾も花開く
When there was no dream of mine
ぼくに自分の夢がなかったときに
You dreamed of me
きみはぼくを夢見たのだ







Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞






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「人生の屋根裏部屋」、可愛らしいイイ歌ですね。
1990年代の日本に「脳内リゾート」というコトバがあったのを思い出してしまいますが、
「屋根裏部屋」には(リゾートよりも、はるかに)秘密の香り、プライヴェートな感じが強く、ある種、胎内回帰的な願望さえ満たすような幼児性の唯我空間(・・・というと先がつづかなくなってしまいますが)オモチャ箱みたいな感じがします。
ただ、この歌には(べつに律儀につき合うことはないでしょうが)実はいろんな空間が交錯しています。「時代の方言」というか流行語というほどのものでもないでしょうが「pot head」というコトバがありますが、歌ってるのが(日本語で言う「安楽死」という名前の)(いわずと知れた)グレートフルデッドですからね。そうムキになって聴くこともないでしょう。ただ、なんとなく自分の頭の中にも何だか今夜は屋根裏部屋があるような気がしてきている夜なのです。

おやすみなさい。


と、ここからさらにまた雑談になるけれども、しかし、グレートフル・デッドというのは、ガルシア個人のものも含めて評伝やら研究書やら評論やらインタビュー集やら語録やら何やらかんやらと実に関連図書が多く刊行されている(そういう)ロック・バンドで(べつにきちんと調べたわけではないが)その数は(ぼくの感触では)たぶんビートルズをゆうに凌いでいるのではないかと思う。というのも(この2月だったか)ある会社の偉い人に頼まれてグレートフル・デッドとジェリー・ガルシア関係の本を何か1冊選んで買ってきてくれと頼まれたんで、U.S.Amazonでざっとあたりをつけてから実際に渋谷のタワーレコードの書籍売場にいって目を通した上でお遣いをしてさしあげたのだけど、そのとき店頭でざっと数えてみたら26点あって(それだけで店頭レベルではゆうにビートルズを凌いでいたが)やはりその際にネットのどこかで拾った話だと実に162点もの書籍がこれまでに彼らに関して出ているという説もあるという。
で、そのときにわたしが選んでさしあげたのが、
● GRATEFUL DEAD  ILLUSTRATED TRIP 
by Robert Hunter, Stephen Peters, Chuck Wills, Dennis McNally (タワー店頭価格 ¥7140)*1

ぼくはデッドとは出会い損ねているというか、ほとんど聴かずにすんでしまっているが、もちろんキライであるわけでもなく、ただ特別にエキサイトすることもない(のは、そのときにお駄賃がわりにぼくが買わせてもらった本が、
● The Sharper World 〜 A Mod Antholgy edited by Paolo Hewitt という(イギリスの)モッズに関して書かれた大昔の記事や社会評論など(小説家のコリン・マックィネスやカルチュラル・スタディーで有名なディック・ヘブリッジや(なんと)マリー・クァントとかあとロックの研究者のニック・コーンなどの文章)を集めたアンソロジーだったといえば、なるほどと頷いてくれる人も多いだろう)。

では、おやすみんしゃい。


グレートフル・デッドのファンのことをアメリカでは「デッド・ヘッズ」というが、これが一種の秘密結社みたいなもんで広大なアメリカのいたるところにその「デッド・ヘッズ」と呼ばれる人たちがいる。普段の生活の場では誰がそうなのかはまったくわからないのだが、デッドのコンサートの会場で「え!? あれは町役場のミスター○○じゃないか、へえー、あんな顔してそうだったんだァ」みたいにして日常生活のシフトとは違うかたちで知った顔や名前を再発見することになったりするんだそうだ。もちろん大人数が集まる大きな会場でのコンサートだから年を重ねながらいつまでたっても顔を合わせることもなくそれぞれがアメリカの各地方社会のそれぞれの持ち場でそれぞれの生活をしているという日常はそのままつづいていくことになる。そして、そのそれぞれにデッドの音楽がリンクする。家族ぐるみでもある。そういうことがアメリカ全土にわたって繰り広げられてきた。デッドはもともとそういう草の根レベルで自分たちの音楽をひとつのムーヴメントとして演奏していたところがあったようだが、いわゆるメディアや大資本を介したコマーシャルなロックの世界から徐々に撤退して(すべてを)自主的な運営へと移行していったのは1970年代からのことだったようだ。そして全米各地のコアなデッド・ヘッズの尽力でネットワークが築かれ、グレートフル・デッドは「ピープルズ・ロック・バンド」(人民のバンド)になっていった。世界広しといえども、そういう人民的なバンドはグレートフル・デッドをおいて他にはありえなかったと思われる*2。/*3
こういう話をすると一昨日のムーディ・ブルースの「The Other Side Of Life」にもう一度よく耳を傾けてみたくなる。・・・秘かな祝祭としてのバンド。もしかしたら、ぼくは自分のバンドの戦略プランを考えはじめているのかもしれないwink ぼくの屋根裏部屋で(笑い)。



そして、今夜の歌に立ち返るならば、
要するに「グレートフルデッド」というグループそのものが、この歌のような(アメリカ人民の)「屋根裏部屋」だったのかもしれないということになるだろう。


ということで、おやすみなさい。

*1:そのときにその偉い人にメモとしてつけてあげたもの以下に貼り付けます(主にAmazonからの拾い訳による>デッドに近い人々によるグループ・プロジェクトから完成された本で編著者はいずれもデッド・ヘッズの間では有名な人物。Dennis McNallyは、デッドの元広報担当でこれまでにも 「A Long Strange Trip」(「長く不思議なトリップ」)というデッドについての著書がある。Stephen Petersは、デッドのファンジンとしてデッドヘッズの広い支持を得ていた「The Golden Road」(「黄金の道」誌)の編集長。本の構成は、グループ最年長のPhil Leshが生まれた1940年から、彼らの幼年時代を経て、2003年の夏の(ガルシア亡き後の)デッドのカムバック・ツアーまでのグレートフルデッドの全活動や発言、メンバーの私生活などを時系列にそって網羅。デッドの音源については第一人者と言われるIhor Slabickyも全面協力。ワーロックス時代からガルシア後のバンドによるジ・アザーワンズやザ・デッドまで幅広くカバー。コンサート・ツアーやレコーディング、主要楽曲などグループや各メンバーの活動はもちろん、それらの期間にガルシアや各メンバーが絡んできたさまざまなシーンやムーヴメント(アシッド・テスト、アンダーグランド・ペーパーからヒップ・ホップ・ネーションまで)も網羅。多くの未公開ものを含む2000枚以上の写真や貴重な資料のカラフルな図版を掲載。デッド関連の類書の息の根を止めるデッド・ヘッズ必携の決定版といわれている。

*2:ロンドンのノッティングヒルゲートのコミュニティ・バンド(地域のバンド)としてのピンク・フェアリーズなど地域限定のそういうグループは(まあ)いくつかあるにはあっただろう。

*3:デッドの音楽もまた人種も国もジャンルも問わず、人の曲もおかまいなしに、さながらすべては共有財産のようにして、その名高い長時間コンサートで黙々と演奏され歌われる。毎年、バイロイトにワグナーを聴きにいく人がいるように、シスコとかロスとかアメリカまで毎年デッドを聴きに行く日本人がけっこういたことも(べつにどうでもいい話だから)あまり知られていないことだろうな