Empty Sky


Words by Bernie Taupin.
Music by Elton John.
(1969年発表)



(原題直訳 「からっぽの空」)




From Elton John album, "Empty Sky".
名作アルバム度 ☆

「エンプティ・スカイ(エルトン・ジョンの肖像)」 (エルトン・ジョン



歌詞は、次のURLから
http://www.eltonography.com/songs/empty_sky.html



邦題 「うつろな空」 (エルトン・ジョン







I'm not a rat to be spat on locked up in this room
ぼくはこの部屋に閉じ込められて唾棄されるネズミなどではない
Those bars that look towards the sun at night look towards the moon
太陽の方を向くと見えるあの鉄格子、夜は月の方向に見える
Everyday the swallows play in the clouds of love
ツバメが、毎日、愛という雲の中で遊んでいる
Make me wish that I had wings take me high above
おかげでぼくにも空高く飛べる翼があればと願ってしまう




And I looked high and saw the empty sky
そして、ぼくは空を仰ぎ、うつろな空を見た
If I could only, I could only fly
もし、ぼくが飛ぶことができさえすれば
I'd drift with them in endless space
果てしない空間をツバメと一緒に流れていこう
But no man flies from this place
でも、この場所から飛び立てる者などいやしない




At night I lay upon my bench and stare towards the stars
夜は椅子によこになり、星に向かって目を凝らす
The cold night air comes creeping in and home seems oh so far
夜の冷気が忍び込んでくる、そして、家は、あゝ、はるか遠くに
If only I could swing upon those twinkling dots above
もし、ぼくがあの空にきらめく小さな点々の上をまわることができたら
I'd look down from the heavens upon the ones I love
ぼくは天から愛する人を眺めることができるのに




Hey the lucky locket hangs around your precious neck
ほら、きみの可愛い首にかかった幸運のロケット
Some luck I ever got with you
きみと一緒に手にしてきた運もあったけど
And I wouldn't like to bet
ぼくにはとても信じられない
That sooner or later you'll own just one half of this land
遅かれ早かれ、おまえがこの里の半分をわがものにするなんて
By shining your eyes on the wealth of every man
ありきたりな男の富におまえの瞳を輝かせて


Just send up my love ain't seen nothing but tears
ぼくの愛を馳せてみても、涙しか見えてこない
Now I've got myself in this room for years
ぼくはもうこれで何年間もこの部屋に閉じ込もってきた
I don't see no one, I never see anyone
誰とも会わず、誰にもけっして会うことなく






Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞





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すでにお気づきのことだろう、一昨日の「朝日のあたる家」から、それまでの「家」の主題が(どういうわけか)「獄」という主題にスライドしてしまったようだ。
ですから、しばらくの間、皆さんとともに名曲を聴きながらのムショ暮らしとなります。
刑期がどのぐらいになるのか、あるいは意外に早く何らかの契機でまた次なる主題へとうまく脱獄できることやら・・・(さあ、どうなるでしょう? 次はどうなるんだ? というのは「アラビアン・ナイト」Arabian Nights' Entertainments 以来の古くからの「物語」というものの本質かな。


さて、この歌、本日、晴れて同性結婚を決めたことを発表したエルトン・ジョンさんが、デビュー前に制作しながらオクラ入りし(その後、はるかにすばらしいアルバムでデビューしてしまったために)長く発売されずにいた「エンプティ・スカイ」というアルバムの冒頭に収められたそのタイトルトラック。


ところで幸せいっぱいのエルトンさん、
http://music.yahoo.co.jp/rock/music_news/mtv/20050426/mtvent002.html
その昔、20世紀の中頃までイギリスでは同性愛は犯罪で(まえも話したけども)オスカー・ワイルドなんかは実際に投獄までされているのですよ。
ということで、この時期、この意味で、この歌を聴くと、また違った心象が浮かんでくるかもしれませんが・・・



歌の最後で(一瞬)これは恋に破れた男が、その傷ついた心で世を儚んで自ら引きこもった歌なのかと思ってしまう。この牢獄は比喩なのではないか・・・と、わからなくなるのだが、第一連であまりにはっきりと壁と鉄格子が「外」の極致である太陽や月とともに提示されているのだから、これはやはり獄の中なのだと、あらためて知らされることになる。

つまり、それだけ人間の想いは強いということだ。
壁や鉄格子は想いに没頭するかぎり(その間)消滅したかのようになきものとなる。

実際、この歌には空のツバメや雲や星や月や太陽など(鉄格子の向こう側へと)視覚という感覚が延びていく、また(この歌には不覚にも(音楽のクセして)触れられてはいないが)聴覚だって楽々と壁も鉄格子を超えるのだ。

だから、想いはさらに遠くまで壁を超える。ただ身体だけがそれを超えることができない。*1


きのうの2つの歌が「懲役」という刑罰であれば、きょうの歌はその刑罰のあまった余白の時間、すなわち拘禁という状態だ。
つまり獄中にあるその拘禁という状態からごく自然にもたらされるのが、外部との交通(すなわち交流と通信)の遮断もしくは厳しい制限という事態だ。

監獄を題材とした歌にもっとも多いのが、この外部との交通の不自由を嘆き、悲しみ、ときにはわが身を呪うように歌ったものだ。

この歌がかつての恋人へ想いであるように、べつの歌では、それは妻であり子供たちであり故郷であり、親であったりする。

獄とシャバは(日本語で言う「塀」によって)隔てられているのだ。



刑罰には、原則として重たい順に、「死刑」、「懲役」、「禁固」、「罰金」、「拘留」、「科料」、「没収」という7つの種類がある。
これに倣えば、拘禁というのは刑罰のうちには入っていない。おそらく(あえて言うまでもないその)前提であって、それ自体は(わたしに言わせれば法学上)刑罰ではない。
罰はあくまでも懲役やその他なのだ・・・ だからなのか、アメリカの刑務所などは懲役の作業時間を除けば、なんだかとても自由に見える。外に電話をしたり獄内をウロウロ歩いてとなりの房に入って話をしたり、勝手にTVのチャンネルを替えながら好きな番組を見たり、つまり懲役の作業時間以外は罰ではないフリータイムのように思えるのだ。


いちばん重い「死刑」と、いちばん軽い「没収」は(両極は相似するという例に漏れず)この両者は似ていなくもない。死刑とは生命の国家による没収であり、つまり一度、刑の執行がなされれば二度と戻って来ることはない。手鏡も生命も同じ扱いとなっている。

そして、「懲役」と「禁固」は(本質的には)「時間」刑である。無期や(日本にはないが)終身を含めて時間の長さ(つまり刑期)が(法に定められた罪に応じた)刑の軽重を決定する。懲役のその作業の違いによる刑の軽重があるわけではない。

「罰金」、「科料」は、(法に定まる罪に応じた罰としての)金額の問題である。


こう書いてくると、この刑罰の体系は、その背骨を外せば、もっと自由な多彩な編成に変えることができるだろう。どことなく直線的なお行儀のよい刑罰の体系をもっとグシャグシャにシャッフルすることもできるのではないか。


たとえば、禁固より軽い懲役だってありうることになる。極端な話、通勤による懲役だって考えられないこともない。そんな「在宅通勤懲役」を「執行猶予」の少し向こうにセットするなど、もっと広い視野での刑罰を考えてみることもできるだろう。(何のために? それは社会と刑罰の関係が不明確あるいはきわめて矮小化されてしまっているからだ)



罰金刑については、すでに「アリスのレストラン」を紹介した。
http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050314


死刑についても「想い出のグリーングラス」を紹介している。
http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050125


そして有期刑を終えて出獄した男の歌もあった。
http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050126


そして、サイモン&ガーファンクルのこんな歌もあった。
http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050112

*1:いまのダサハラのていたらくを「実はあれソンシの抜け殻で最終解脱者はとうに獄の外へと自由な魂となってトンズラしてますぜえというキャンペーンを張るような過激信者の分派が出ないあの教団はやはりあんまりちゃんと成就も修行をしてなかったのだろーな思われてもしかたがない