American Pie


Words & Music by Don McLean.
(1971年発表)



(原題直訳 「アメリカン・パイ」(パイの種類))


Performed by Don McLean.

You can listen to Don McLean album, "American Pie".
名作アルバム度 ☆☆☆

アメリカン・パイ」 (ドン・マクリーン)



歌詞は、次のURLから
http://www.don-mclean.com/guitars/preview.asp?id=115200360154AM



名曲度 ☆☆☆☆☆



邦題 「アメリカン・パイ」 (ドン・マクリーン)





A long long time ago
ずっとずっと昔のこと
I can still remember how that music used to make me smile
まだ音楽が人を笑顔にしてくれるものだった頃のことを
ぼくはいまでもよく覚えている
And I knew if I had my chance
そして、機会さえあれば自分も
That I could make those people dance
そんなふうに人々を踊らせることをしたいと思っていた
And maybe they'd be happy for a while.
そうすれば、きっと人々はしばらくの間はハッピーでいるだろう
But February made me shiver
だけど、あの2月*1にぼくは凍てついてしまった
With every paper I'd deliver
Bad news on the doorstep
ぼくが玄関ごとに配達していたどの新聞にも
悪い知らせ*2が載っていた
I couldn't take one more step
やっとのことでぼくは仕事を終えた
I can't remember if I cried
When I read about his widowed bride
未亡人になってしまった彼の新妻の記事を読んだとき
ぼくは自分が泣いたかどうかは覚えていない
But something touched me deep inside
だけど、心の中の奥深くで何かがぼくに触れたのだ
The day the music died
音楽が死んだあの日に




So bye-bye, Miss American Pie
そうさ、バイバイ、ミス・アメリカン・パイ
Drove my chevy to the levee
ぼくのシヴォレーに乗って土手に行こう
But the levee was dry
でも土手ではしらけてしまった
And them good old boys were drinkin' whiskey and rye
幼馴染の仲間たちもウィスキーやライを飲んでいた
Singin' this'll be the day that I die
きょうはオレが死ぬ日だ*3と歌いながら
This'll be the day that I die
きょうはぼくの死ぬ日になるんだ




Did you write the Book of Love
きみが「愛の書」*4を書いたのかい
And do you have faith in God above
きみは天の神への信仰を持っているのかい
If the Bible tells you so
もし聖書に書いてあったら
Do you believe in rock 'n roll
きみは信じられるかい、ロックンロールが*5
Can music save your mortal soul
人間の魂を救済するんだと。
And can you teach me how to dance real slow
そして、ぼくに教えてくれるかい
チークタイムのスローなダンスを
Well, I know that you're in love with him
うーん、きみが好きなのは彼のことだって
おれ、知ってるよ
'Cause I saw you dancin' in the gym
だって、体育館で踊ってるきみたちを
ぼくは見たもの
You both kicked off your shoes
ふたりとも靴を脱ぎ捨てて踊っていたよね
Man, I dig those rhythm and blues
なあ、オレはいまリズム&ブルースに夢中なんだ
I was a lonely teenage broncin' buck
ぼくは群れを離れた孤独な牡鹿
With a pink carnation and a pickup truck
カッコつけてナンパしまくり
But I knew I was out of luck
だけど、ぼくにはわかったんだ、
おれには運がないんだってね
The day the music died
音楽が死んだあの日だよ




I started singin'
ぼくは歌いはじめたんだ
So bye-bye, Miss American Pie
だから、バイバイ、ミス・アメリカン・パイ
Drove my chevy to the levee
ぼくのシヴォレーに乗って土手に行こうぜ
But the levee was dry
でも土手ではしらけてしまった
And them good old boys were drinkin' whiskey and rye
幼馴染の仲間たちもウィスキーやライを飲んでいた
Singin' this'll be the day that I die
きょうはオレが死ぬ日だと歌いながら
This'll be the day that I die
きょうはぼくの死ぬ日になるんだ




Now for ten years we've been on our own
あれから10年間、ぼくらは自分たちだけでやってきた
And moss grows fat on a rollin' stone
転がる石にも贅肉のように苔が生えてた*6
But that's not how it used to be
だけど、まえはそんなじゃなかった
When the jester sang for the King and Queen
あの道化師*7が王様と女王様のために歌った
In a coat he borrowed from James Dean
ジェームズ・ディーンから借りたコート*8をまとって
And a voice that came from you and me
きみやぼくらの中から出て来た声と言葉で*9
Oh, and while the King was looking down
あゝ、王様が軽視している間に
The jester stole his thorny crown
その道化師は茨の王冠*10を盗み出し
The courtroom was adjourned
法廷は*11は休廷延期となってしまって
No verdict was returned
評決は出なかった
And while Lennon read a book of Marx
そしてレノンがマルクスの本を読み*12
The quartet practiced in the park
四重奏団*13は公園で練習していた
And we sang dirges in the dark
そしてぼくらは暗闇で葬送の歌を歌っていた
The day the music died
あの音楽が死んだ日に




We were singing
ぼくらは歌っていたんだ
So bye-bye, Miss American Pie
そうさ、バイバイ、ミス・アメリカン・パイ
Drove my chevy to the levee
ぼくのシヴォレーに乗って土手に行こうぜ
But the levee was dry
でも土手ではしらけてしまった
And them good old boys were drinkin' whiskey and rye
幼馴染の仲間たちもウィスキーやライを飲んでいた
Singin' this'll be the day that I die
きょうはオレが死ぬ日だと歌いながら
This'll be the day that I die
きょうはぼくの死ぬ日になるんだ




Helter Skelter in a summer swelter
酷暑の夏の阿鼻叫喚*14
The birds flew off with a fallout shelter
鳥たち*15放射能シェルターを出て飛び立った
Eight miles high and falling fast
高度8マイル*16のハイな気分と急降下
It landed foul out on the grass
草むらに違法な着陸をする*17
The players tried for a forward pass
選手たち*18フォワードにパスをしようとする
With the jester on the sidelines in a cast
ギプスをはめたベンチの道化師*19
Now the half-time air was sweet perfume
ハーフタイムの雰囲気は甘い香り
While the Sergeants played a marching tune
よそでは軍曹たち*20が行進曲を演奏した
We all got up to dance
ぼくらはみんな踊ろうと立ち上がった
Oh, but we never got the chance
おゝ、しかし、ぼくらにはとうとうチャンスはなかった
*21
'Cause the players tried to take the field
選手たちはグランドを奪おうとしたが
The marching band refused to yield
軍楽隊は明け渡しを拒んだのだ*22
Do you recall what was revealed
暴かれたこと*23をきみたちは思い出せるかい
The day the music died
音楽が死んだあの日




We started singing
ぼくらは歌いはじめた
So bye-bye, Miss American Pie
だから、バイバイ、ミス・アメリカン・パイ
Drove my chevy to the levee
ぼくのシヴォレーに乗って土手に行こうぜ
But the levee was dry
でも土手ではしらけてしまった
And them good old boys were drinkin' whiskey and rye
幼馴染の仲間たちもウィスキーやライを飲んでいた
Singin' this'll be the day that I die
きょうはオレが死ぬ日だと歌いながら
This'll be the day that I die
きょうはぼくの死ぬ日になるんだ




Oh, and there we were all in one place
あゝ、あそこでぼくらみんなはひとつの場所にいた*24
A generation Lost in Space
宇宙空間で迷子になった世代だった*25
With no time left to start again
再出発をする時間もなしに
So come on, Jack be nimble, Jack be quick
だから、さあ、来いよ、ジャック、素早くやれ
ジャック、早くしろ
Jack Flash sat on a candlestick
燭台にすわったジャック・フラッシュ*26
'Cause fire is the Devil's only friend
炎こそが悪魔*27の唯一の友だから
Oh, and as I watched him on the stage
おゝ、そしてぼくらはステージの彼を見つめるうちに
My hands were clenched in fists of rage
ぼくの手は怒りの拳となったのだ
No angel born in hell
地獄に生まれた天使*28などには
Could break that Satan's spell
悪魔の呪いは解けやしない
And as the flames climbed high into the night
そして宵闇に向けて炎が高く燃え上がる中
To light the sacrificial rite
生贄の儀式*29を照らし出し
I saw Satan laughing with delight
歓びに満ちた悪魔の笑いをぼくは見た
The day the music died
音楽が死んだあの日




He was singing
彼は歌っていたのだ
So bye-bye, Miss American Pie
だから、バイバイ、ミス・アメリカン・パイ
Drove my chevy to the levee
ぼくのシヴォレーに乗って土手に行こうぜ
But the levee was dry
でも土手でしらけてしまった
And them good old boys were drinkin' whiskey and rye
幼馴染の仲間たちもウィスキーやライを飲んでいた
Singin' this'll be the day that I die
きょうはオレが死ぬ日だと歌いながら
This'll be the day that I die
きょうはぼくの死ぬ日になるんだ




I met a girl who sang the blues
ブルースを歌う女の子*30にぼくは会い
And I asked her for some happy news
彼女が嬉しいニュースをもたらしてくれることを期待した
But she just smiled and turned away
でも、彼女はただ微笑んだだけでいなくなった
I went down to the sacred store
ぼくは聖なる店*31を訪れた
Where I'd heard the music years before
何年もまえにぼくが音楽を聴いていたところだ
But the man there said the music woudn't play
でもそこにいた男*32が言ったよ、
もう音楽はやらないんだと
And in the streets the children screamed
そして街路では子供たちが騒いでいた*33
The lovers cried, and the poets dreamed
愛し合う者たちは叫び、詩人たちは夢を見た
But not a word was spoken
だが、一言も口にされはしなかった
The church bells all were broken
教会の鐘はすべて壊れていた*34
And the three men I admire most
そしてぼくがもっとも敬服する三人の男たち
The Father, Son and the Holy Ghost
父と子と、そして精霊と*35
They caught the last train for the coast
その彼らは彼岸への最終列車*36に乗ったのだ
The day the music died
音楽が死んだ日に




And they were singing
そして彼らは歌っていた
So bye-bye, Miss American Pie
だから、バイバイ、ミス・アメリカン・パイ
Drove my chevy to the levee
ぼくのシヴォレーに乗って土手に行こうぜ
But the levee was dry
でも土手はしらけきっていた
And them good old boys were drinkin' whiskey and rye
幼馴染みのよい子たちもウィスキーやライを飲んでいた
Singin' this'll be the day that I die
きょうはオレが死ぬ日だと歌いながら
This'll be the day that I die
きょうはぼくの死ぬ日になるんだ






Translated into Japanes tonight by komasafarina.訳詞




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先日、id:gotanda6 さんより、バディ・ホリー命日の3日当日(現地時間=当地時間2月1日付け)にトラックバックをいただき、あちらのコメント欄でお約束したドン・マクリーンの「アメリカン・パイ」です。
(ドン・マクリーンは「ヴィンセント」につづいて2曲目の登場となりました)
「ヴィンセント」 http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20041213


この「アメリカン・パイ」は1972年の1月15日から4週にわたって「ビルボード」誌のヒットチャートの第1位を記録しているが、
それにしても、こんな曲がヒットチャートの1位になってしまうなんて、
あたりまえだが、やっぱり文化の差、文化の違いを感じますね。


この歌については、昔から議論がさかんなようで、インターネット上でもサイトやメーリングリストなどがあり、
「FAQ: The Annotated "American Pie"」という専用ページがあるのを見つけました。

http://www.faqs.org/faqs/music/american-pie/

そこにはドン・マクリーン本人が、そんなこの歌の熱心な研究者のひとりに宛てた(おそらく返書として書いたものだろう)手紙が掲載されていたので、訳文とともにここに板抱いて転載しておこう。



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     THE LAST WORD (PROBABLY) ON "AMERICAN PIE"

アメリカン・パイ」に関する(おそらく)最後の言葉。



As you can imagine, over the years I've been asked many times
to discuss and explain my song "American Pie" [June25]. I have
never discussed the lyrics, but have admitted to the Holly
reference in the opening stanzas. I dedicated the album
American Pie to Buddy Holly as well in order to connect the
entire statement to Holly in hopes of bringing about an
interest in him, which subsequently did occur.

This brings me to my point. Casey Kasem never spoke to me and
none of the references he confirms my making were made by me.
You will find many "interpretations" of my lyrics but none of
them by me. Isn't this fun?

Sorry to leave you all on your own like this but long ago I
realized that songwriters should make their statements and move
on, maintaining a dignified silence.

- Don McLean
Castine, Maine



 ご想像のとおり長年にわたってわたしは何度も自分の歌「アメリカン・パイ」についての議論と説明を求められてきました。

歌詞については一度も論じたことはありませんが、冒頭の段がホリーの出来事に言及したものであることはわたしは認めています。わたしのアルバム「アメリカン・パイ」もやはりバディ・ホリーに捧げたものですが、それはアルバム全体のメッセージをホリーに結びつけることで彼への関心がもたらされるようにと願ってのことでした。その後、それはそのとおりになりました。


このことからわたしの観点が決まってきます。わたしはケイシー・ケイザムとは一度も話したことはありませんし、また彼がわたしの作ったものに関して主張していることも、どれもわたしのものではありません。皆さんはわたしの歌詞から多くの「解釈」を見い出すことでしょうが、そのどれひとつとしてこのわたしによるものなのではありません。これでは面白くはないでしょうか?


 こんなふうに皆さんをほっぽり出してしまって心苦しいのですが、わたしははるか昔からソングライターというものは自分のメッセージを示したら、そこから移動し、名誉ある沈黙を保つべきだと心得ているのです。



メーン州キャスタイン
ドン・マクリーン


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しかし、まあ、そんなに大袈裟に考えることもなく、ある程度ロックの歴史に精通した人間なら、誰でもこの歌から考えたり連想するものは自ずと限定されてくるにちがいない。
ということで、わたしも(ついでなので、この際い)いくつか独自の解釈をまじえながらこのゲームに参加してみることにした。

以下、とくに作者の認定を求めるようというのではなく、日本にもこういう意見があるゾということでその下書きとして書いてみたが、どんなものでしょうか・・・・・・。



では、冒頭の段から
(詩の言葉だと「スタンザ」ということで「連」とするのが正しいのであるが、古文の解釈ふうに「段落」でいってみる)、



【歌詞の1段】

これは作者あるいは歌の主人公の少年時代の思い出だ。初めてロックンロールを聴いて心ときめき、自分も「踊らせる」側の人間になろうと考える。これはぼくには自然な感情で、感動すれば自ずと自分もやってみたくなるのが自分というものの全能感にとらわれて妄想的に生きている若い生命体の特徴である。ということでわたしにとっては、自分でやってみようとかやりたいとか思わない人は理解の外であり、感動が少ないのかなァなどと思っていた。おそらく他にやりたいことを持っていたのだろう、そういう人たちは。


ということで若き日のドン・マクリーン少年は新聞配達をしていた。そんなある日、1959年2月3日の翌朝ということになるだろう。1945年10月生まれのマクリーンだから、伝記的な事実とすれば、当時13歳の彼は大好きなバディ・ホリーの悲報を知らせる新聞をその朝、ニューヨーク州ニューロッシェルの通りをドアステップからドアステップへと配達することになる。


(ここで「バディ・ホリー」の音楽やキャリア(さらには一緒に死んだリッチー・バランス、彼については何年か前に伝記映画が日本でも公開されてたなあ、タイトル忘れた)について述べたつもりになって、それは省略してつづけまうすでクリック・オン)


バディ・ホリーが死んだ」、それがこの段での「音楽が死んだ日」The day That Music Died という主題になる。

そして、その後、何度も繰り返されることになるリフレインのパートが来る。


【リフレインのコーラス・パート】

これはいかにも映画「アメリカン・グラフィティ」などで見るような1950年代中期以降のアメリカのティーネージャーたちの夜の生活を思わせるスケッチになっている。

「シボレー」Chevy というのは当時のアメリカの大衆車でいかにもアメ車然とした「Chevrolet」の愛称、おそらく親の車を週末や夜に乗り回していたのだろう、


Drove my chevy to the levee
ぼくのシヴォレーに乗って土手に行こうぜ
But the levee was dry
でも土手はしらけきっていた


という歌詞になっているけれども、
「chevy」という語には「狩り」という意味もあって、そっちの線で歌を聴けば、


「河原に行って女のコをハントしようぜ。でも、河原には誰もいなかった」


という意味になる。英語圏のポピュラー・ミュージックにはこういうダブルミーニングや暗示めいた言い回しが多く、それが愉しみのひとつでもある。
そして、「(drove my) chevy /to the levee / but the levee was dry」という韻の愉しさも(droveからdryの「d」も併せて)メロディーに乗せてこころときめく。


(たとえば、ドリカムなんかはまわりの制作スタッフが無知なので韻を踏まない英語の歌詞、それもたいしたことのない内容の歌詞を平気で歌ってアメリカで売ろうなんてチョー恥なことをホントにやらかしちゃって、それをバカなこととも恥なこととも気づいていないようなのが、ホント哀しい、というか気の毒だよね。日本のトップグループのひとつなのに吉田美和のヴォーカルが汚い英語を歌ってひどく醜悪。無知が無恥に通じてしまったカイワソーなケース、関係者は鞭打ちの刑をビシバシ!)


そして、音楽が死んだその日、若者たちはみんなガックリと失意の夜を過ごしていた。飲まずにいられよかというもので、そこで歌っていたのが、バディのヒット曲「That’ll Be The Day」(ぶっちゃけ、キミにフラれたらボク死んじゃうヨというごくあたりまえの失恋の歌)。いまも頭の中でプレイしているが、ホントにノリのイイ曲で、やっぱりバディ・ホリーのヴォーカルには非凡なものがある。アメリカとイギリスで物凄い人気だったのがよくわかる。ジョン・レノンミック・ジャガーもみんなバディ・ホリーの虜になることから自分たちで歌やギターをはじめるようになったことは彼らの伝記の類に詳しい)


そして、このコーラス部分につづく、次の段もとてもアメリカン・グラフィティな絵に描いたようなアメリカン・ティーネージ・ライフ。



【第2段】

ここでは何曲か歌の中にほかの歌がこだましている。

モノトーンズの1958年のヒット曲「Book of Love」と、
(ぼくは知らないが)ドン・コーネルという人の1955年の曲で「If the Bible Tells You So」という歌、そしてジョン・セバスチャンがいたラヴィン・スプーフルの1965年のヒット「Do You Bekieve In Magic」(マジック=ミュージック)の3曲だ。

そして最初の行の最後の「Book of Love」と
2行目の末の「God above」の韻も美しい。

そして、この段にはドラマがある。


And can you teach me how to dance real slow
そして、ぼくに教えてくれるかい
チークタイムのスローなダンスを


と訳したが、実際の歌詞は「ぼくにすごくゆっくりした踊りを教えること、きみ、できる?」というものだ。
つまり強烈なロックンロールのビートに乗っかって踊ることはできるけど、スローな曲で頬と頬を寄せ合って体を密着させて踊ることに、この歌の主人公は馴れていない、というか経験したことがない。つまり彼にはそういうことができるスティディなガールフレンドがいないのだ。
それにつづく恋敵と彼女が体育館で裸足になって踊っていたのを見たくだりとも好対照だ。

そして、モテない彼は群れを離れてより過激で本格的なブラック・ミュージックであるリズム&ブルースに熱中する。


Man, I dig those rhythm and blues
なあ、オレはいまリズム&ブルースに夢中なんだ


これはちょっと背伸びしたツッパリ口調というヤツで、
普通の家庭の子供が口にする英語ではない。
当時のアメリカのティ−ネージャーたちが心境的に(つまり情緒的に)当時のアメリカの黒人たちに気持ちを同化させることができるところにいたことを物語るエピソードだ。
つまり、「子供というには育ちすぎ」であり、
かといって「大人というには幼すぎる」、
そういうティーネージャーは、当時のアメリカの社会には居場所がなかった。
まだまだ社会は「大人」と「子供」からできていたのだ。
その「中間」地帯は存在しなかった。おそらくロックンロールをはじめとするポピュラー・ミュージックは(ファッションとならんで)初めて「若者向け」を意識した戦後の好景気下のアメリカの最初の産業だったのだ。とそこまで言うのが歴史家や社会学者のお仕事となっている。

そして、「dig」というのは、いまはまるっきり死語になっているが、原義の(掘る)にかけた(深く聴く)、つまり「掘り下げる」という意味で(研究する)などの意味合いを含んだビート・ジェネレーション御用達のイカした(笑い)コトバだった。

こんなふうにあらゆる面で背伸びして意識の表面張力で精一杯つっぱてみせるのが若い男の子の正しい生き方だった。
そうすることで実際に背も伸びるし、意識も高まるのだ。


I was a lonely teenage broncin' buck
ぼくは群れを離れた孤独な牡鹿
With a pink carnation and a pickup truck
カッコつけてナンパしまくり


「pickup truck」は女の子をつかまえるという意味の「pickup(=ナンパ)」にもかかっている。
しかし、彼はいつも収穫ゼロだったことがうかがわれる。
そういうヤツじゃないと自分を苦しめてまでいろんなことを深く考えることをしないものだ。

そうやって(国家や社会が)学校を通じて教え込もうとしたこと以外の大事なことをストリートやヒップな黒人音楽から若いアメリカが学んでいった、ロックンロールの初期とはそういう時代だった。

そして男子が賢くなれば、当然、女子はもっと賢く、そして可愛くなる♡ それはステキなカップルを見てみればすぐわかる。

そんな彼ら若い世代がやがて世界を揺るがすことになったのが、この歌の次の段落以降に描かれる1960年代という時代となる。



【第3段】


Now for ten years we've been on our own
もう10年になる、その間、ぼくらは自分たちだけでやってきた


バディ・ホリーが死んだあの2月から、この歌の世界の中で10年がたっている。
バディの死後、それが直接の原因になったわけではないが、ロックンロールは急速に勢いを失い、終息する。

「we've been on our own」という歌詞には、バディ・ホリーなしに(また、その他のロックンロールのスターなしに)「ぼくらだけでやってきた」となるだろうか。
ロックンロールにとびついた子供たちも次第に「大人」のアメリカ社会に組み込まれていく。
そもそもロックンロールのカリスマであり、イコンであり、「キング」と称されたエルヴィス・プレスリーからしてがアメリカン市民の義務である兵役に応じて、ドイツで軍務に服し、アイゼンハワー大統領の時代のアメリカ国家のプロパガンダに大いに寄与することになる。
しかし、それはロックンロールが決して反社会的なものでないことを世に知らしめたのではなく、エルヴィスがもはやロックンロールではないことを(それがわかるヤツに)知らせた出来事だった。
エルビスの応召は、「ロックンロールの死」の集大成ともいえる「死」の結実として物語ることができるだろう。

実際、退役後のエルヴィスもまた非凡なすばらしさを発揮してはいたが、それはもはやロックしロールする(揺れて転がる)初心な若い魂をゆさぶるものではなくなっていた。それが次の歌詞によく出ている。



And moss grows fat on a rollin' stone
転がる石にも贅肉のように苔が生えてた
But that's not how it used to be
だけど、まえはこんなじゃなかった


「転がる石には苔はむさない」A Rolling Stone Gather No Moss. という(日本の国歌とは正反対の価値観を持った)英語の諺があるが、あのローリングストーンズというグループ名は、この諺を睨みながら偉大なブルースマンマディ・ウォーターズの名曲「Rollin' Stone (ローリングストーン)」からつけたものだという。


 本当はここでいくつか音楽史的な出来事をならべておくのが論の展開上親切になるのだろうけれど、ちょっと手間がかかるのでそれは省略、ただひとつだけ、アラン・フリードのスキャンダルを挙げておこう。

「ロックンロール」の名付け親とされ、初めて白人のラジオ局で黒人のリズム&ブルースをかけたクリーブランドの人気DJで、後にニューヨークに移り、自らも司会役として何組ものアーチストを率いてパッケージ・ショーという形式で全米をまわることもしていたロックンロールの伝道師というにふさわしいアラン・フリードが、レコード会社から賄賂を貰って選曲をしていたという事実を大々的に暴き立てられ、ロックンロールを好ましくないと思っていた勢力(単に業界内勢力のみに限らず、黒人文化から白人の子供を守ろうとするより大きなモラル勢力の連携もあったのだろう)によって、このスキャンダルで彼は社会の第一線からほぼ完全に抹殺されてしまう。
ネット上では見かけなかったが、この段の次の歌詞は、段の構成上からしてもぼくはほぼ間違いなく、このアラン・フリードのスキャンダルを指したものと考えている。


The courtroom was adjourned
法廷はは休廷延期となってしまって
No verdict was returned
評決は出なかった



こうして、ロックンロールが死んでしまってから(つまりドン・マクリーンが言う「音楽が死んだ日」以降、巷にはあたりさわりのない甘く切ない思春期の歌をメインにしたプロフェッショナルな職人芸の歌作りによるコマーシャルな(つまり商業的な)60年代ポップスが溢れることになる。それはそれでステキな曲の宝庫ではあるのだけれどどうしても何かが足りないことは誰の耳にも心にもハッキリとわかっていた。


この段落では、そうした「革命」前夜が歌われている。

まず登場したのが、ユダヤ預言者のようなボブ・ディランだった。



In a coat he borrowed from James Dean
ジェームズ・ディーンから借りたコートをまとって
And a voice that came from you and me
きみやぼくらの中から出て来た声と言葉で



1960年代初頭からアメリカ社会における黒人の市民としての権利と地位の向上を求め、それを認めようという「公民権運動」Civil Rihgts Movementが起こり、ケネディという若い政治家が新たに大統領に就任し、「フロンティア・スピリッツ」という彼のキーワードとともに、退屈で堅実なアイゼンハワー時代とは違った新たな希望が生まれた。
この時期のボブ・ディランは「風に吹かれて」や「時代は変わる」といった曲で公民権運動の波に乗り、「フォークの女王」と呼ばれたジョーン・バエズとともに時代の代弁者と言われるようになった。
だから、


When the jester sang for the King and Queen
あの道化師が王と女王の地位のために歌った


と聴くこともできるのではないかというのが、ぼくの考えだ。

このときはまだビートルズアメリカに上陸していない。
やがてひとつの事件として起こることになる「ザ・ビートルズ」という世界同時革命を予見させるのが次の一節だ。


And while Lennon read a book of Marx
そしてレノンがマルクスの本を読み
The quartet practiced in the park
四重奏団は公園で練習していた


Lennon」という名前は確かに「Lenin」を連想させ、ビートルズもよく「マルクス・ブラザーズ」にも喩えられていた。とりわけリーダー格としてのたその言動や態度からジョン・レノンは、グルーチョ・マルクスを思わせ、実際ビートルズの主演映画でもそうしたキャラクターを演じていた。
「四重奏団」というのは、もちろんジョン、ポール、ジョージ&リンゴの4人組、ビートルズのことだが、この時期、ビートルズは、ハンブルグの歓楽街のナイトクラブと故郷のリヴァプールの人気バンドからロンドンに進出し、アメリカ進出を通じての世界制覇を準備していた。
センセーショナルなビートルズアメリカ上陸は、1964年10月のこと、ちょうどボブ・ディランがフォークギターとハーモニカで「時代は変わる」というメッセージソングを歌うっていた頃のことだった。


だが、この「アメリカン・パイ」という歌のこの段階では、まだそんな予兆を含んだその前夜でしかない。
そして、日本の歌にもあるが「夜明けまえがいちばん暗い」のである。



And we sang dirges in the dark
そしてぼくらは暗闇で葬送の歌を歌っていた
The day the music died
あの音楽が死んだ日に





つまり、この段落の「音楽が死んだ日」とは、さまざまなかたちで明きらかになった「ロックンロールの死」のことを歌ったものと考えるのが歌のプロットに適った「筋」というものだろう。



(※ 以下、明日以降につづく。再びこの欄で。)

といいながら1年が過ぎてしまった。申し訳ない。
明日より、きちんと進め、追加状況を(その都度)最新エントリー内にて告知しますので、どうぞまたごらんください。(Feb 14,2006記)

*1:1959年2月3日 ロックの世界では「音楽が死んだ日」として記憶される

*2:飛行機事故でバディ・ホリーが死亡。アイオワのクリアレイクでの公演を終え、移動のための乗った飛行機が離陸直後に墜落、バディ・ホリー、リッチー・バランス、ビッグ・バッパーの3人のロックロール・スターが即死

*3:バディ・ホリーのヒット曲「That'll Be The Day (When I Die)」

*4:モノトーンズのヒット曲「The Book of Love」

*5:ロックンロールを讃えたラヴィンスプーフルのヒット曲「Do You Believe In Magic?」

*6:「キング」と言われていたエルヴィス・プレスリーのことだろう

*7:ボブ・ディランのこと

*8:ディランの3枚目のアルバムのジャケット写真は、ミケランジェロの「ダヴィデ像」を真似たジェームズ・ディーンの有名なポートレート(デニス・ストック撮影)を真似てポーズをとったものだった

*9:ディランはすぐに「世代の代弁者」と言われるようになった

*10:ユダヤの王を名乗ったことで処刑されるキリストをからかってローマ兵がかぶせたニガヨモギの茨の冠

*11:「ロックンロール」の名付け親でもあるDJ、アラン・フリードが賄賂を受け取っていたというスキャンダルを指すものと思われる。以後、ロックンロールは終息していった

*12:ビートルズによる革命前夜。ジョン・レノンレーニン、「マルクス・ブラザーズ」のグルーチョ・マルクスと「資本論」のカール・マルクスをかけている

*13:もちろんザ・ビートルズのこと

*14:カリフォルニアのコミューンで暮らすヒッピー・カルトのチャールズ・マンソンらがビートルズの曲「Helter Skelter」から神のお告げを受けたとして女優のシャロン・テートらをオカルトの儀式めかして惨殺した事件。「ヘルター・スケルター」とはイギリスの遊園地にあるジェットコースターの前身のような巨大渦巻状の滑り台のこと

*15:ザ・バーズビートルズらイギリス勢に対抗したアメリカのロングヘアのグループ。ディランの「ミスター・タンブリンマン」でデビュー、フォークロック・ブームを先導した。

*16:そのバーズのヒット曲「Eight Miles High」(邦題「霧の8マイル」)、ドラッグ・ソングだとして各州で放送禁止になった。高度8マイルのようなハイな気分を歌っサイケデリック・ミュージック

*17:グラス(=大麻)で逮捕されたとも訳せる。そういうミュージシャンが続出した

*18:当時のミュージック・シーンをアメリカン・フットボールに喩えている

*19:1966年7月のオートバイ事故以来、ボブ・ディランはシーンを離れていた

*20:ビートルズの画期的アルバム「Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Bnad」、ロック・ミュージックの無限の可能性を感じさせた名作

*21:ビートルズの音楽は複雑になり、当時のサウンド・システムではライヴ演奏での再現が不可能となり、ビートルズはライヴ活動を停止していた

*22:その後もビートルズの快進撃はつづき、プログレッシヴな音楽を創造するグループが台頭した。だが、それらはけっしてダンス・ミュージックではなかった

*23:だが、ビートルズはすでに事実上解散状態にあり、解散をめぐるいくつもの訴訟のさなかにあり、それが続々と世界中にスキャンダラスに報道された

*24:1969年8月15日から3日間にわたってニューヨーク州の郊外ウッドストックのヤズガー農場で開かれた史上最大のロック・フェスティヴァル、いわゆる「ウッドストック」のこと。40万人が集まり、会場で新生児が2人誕生、死者1名「ウッドストック・ネーション」とも言われた。

*25:当時のキーワードのひとつは「expanding」、幻覚剤の助けもあってさまざまな意識空間へとマインドが拡張されていった

*26:ローリング・ストーンズのヒット曲「Jamping Jack Flash」とそれにつづく彼らのアルバム「Begger's Banquet」のジャケット・インナー・スリーブの写真からのイメージと思われる

*27:この時期のストーンズのキーワードが「悪魔」だった。アルバム「Their Satanic Majesties Request」やヒット曲「Sympathy For The Devil」などによる

*28:ストーンズが出演した「オルタモント・ロックフェスティヴァル」の会場警備を請け負ったのがヘルズ・エンジェルのグループだった

*29:その会場でストーンズの演奏中にステージのすぐそばで警備のヘルズエンジェルによる観客の刺殺事件があり、その場面がドキュメンタリー・フィルムに記録されていた

*30:夭折の女性シンガー、ジャニス・ジョプリンである

*31:ロックのメッカといわれた「フィルモア」。ニューヨークとサンフランシスコにあり、それぞれ「フィルモア・イースト:「フィルモア・ウェスト」と呼ばれていた

*32:フィルモア」の経営者、ビル・グレアム

*33:以下の記述などからハイトアシェベリーなどのヒッピーを指すものと思われる

*34:ママズ&パパズのヒット曲「California Dreamin'」を連想させる

*35:この歌のメインテーマである「音楽が死んだ日」の3人の犠牲者、ビッグ・バッパー、リッチー・ヴァランス、バディ・ホリーのことだろう

*36:モンキーズのデビュー・ヒット「Last Train To Clarksville」を連想させる