Tomorrow Never Knows

Words & Music by John Lennon and Paul McCartney.
(1966年発表)






(原題直訳 「明日はけっして知らない」)







From The Beatles album, "Revolver".
名作アルバム度 ☆☆☆☆☆


リボルバー」 (ビートルズ







歌詞は、次のURLから
http://www.webpak.net/~mrolig/lyrics.htmlGsong_idEtnk.html





名曲度 ☆☆☆





邦題 「トゥモロー・ネバー・ノウズ」 (ビートルズ








Turn off your mind, relax and float down stream,
あなたの心のスイッチを切って
力を抜いて、流れに身をまかせてごらんなさい
It is not dying, it is not dying
それは死ではありません、それは死ではない




Lay down al thoughts, surrender to the void,
あらゆる考えを掃き出すして
虚空に身を投じてしまいなさい
It is shining, it is shining.
それが輝きです、輝いています




That you may see the meaning of within
内なるものの意味が見えてくるかもしれません
It is being, it is being
それがい存ることです、在ることです




Love is all and love is everyone
愛はすべてであり、愛はひとりひとりの人なのです
It is knowing, it is knowing
それは知ることです、それが知識です




When ignorance and haste may mourn the dead
ときに無知や性急さから死者を悲しむことがあっても
It believing, it is believing
信じることです、それが信じることなのです




But listen to the colour of your dreams
だが、あなたの夢の色に耳を傾けてごらんなさい
It is not leaving, it is not leaving
それは失せていきません、それは消えてしまいません




So play the game "Existence" to the end
ですから、この「実在」というゲームを終わりまで演じることです
Of the beginning, of the beginning
はじまりの終わりの、はじまりの
Of the beginning, of the beginning
はじまりの、はじまりの
Of the beginning, of the beginning
はじまりの、はじまりの








Translated into Japanese tonight by komasafarina.訳詞







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(先日もちょっと書いたことだが、)
「昨日」「今日」「明日」、というこの3日というユニットが1週間のほぼ半分を占め、実に1ヶ月の10分の1に相当する。
といっても、もちろん、これは(言わば)ギャグの一種だ。
実際には(言うまでもなく)日々はユニット単位で進行していくわけではない。
「今日」は「昨日」になり、「明日」が「今日」となる。
「昨日」はどんどんと過去へと遠ざかる(もし、時間がリニア(=直線的)なものと簡単に考えるのならば・・・・)
そして「明日」はつねに「明日」として予定されている。
としたら、やはり「今日」というのがもっとも確かな日ということになるだろう。わたしたち(の身体)が(時間的に)「存(る)=在(る)」(ある=いる@宇宙に)しているのは「きょう」(もっと言えば「いま」という瞬間)なのだから。
要するに「昨日」「今日」「明日」というのは、ひとつのフレームであり、「枠」にすぎない。定規の目盛りみたいなものである。
そして「わたし」(たち)にとって、時間は必ずしもリニアなものではない。
過去がすぐ目のまえに現前することもあれば、未来が閃光のようにして一瞬の時の狭間に光臨し、そして(ときに気づかぬうちに)その像を散らしてしまうこともある。
だが、身体というものに照らせば、確かに時間の流れがリニアであるとするのも理に適ったことといえよう。「合=理」的なことである。


・・・・というこんな話は、とくにきょうのこの歌「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ」に関係があるわけではない。
(すでに皆さんお気づきのように)このところ連日、この「きのう/きょう/明日」の反復を敢えてしてきている。
ビートルズの昨日(「イエスタデイ」)にはじまり、同じくビートルズの「今日」(の誓い)を経て、こうして(やはり)ビートルズの明日(「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ」)で、うまい具合に(このblogという形式を借りたこの公開作業も)1周年という地点に到達することとなった。左のジャケット画像も(「ソープ・オペラ」のイラストが消えて)久しぶりにすべてジャケット画像に復帰することとなった。(途中で気づきはしたが)これはべつに計算してのことではない。うまい具合にそうなっただけのこと。わたしが計算したのはビートルズの「昨日/今日/明日」をうまく三段返しで使えないかということだった。これは(単なる)風流である、(もっと欲をこいて言えば)風雅である、(わたしごときの程度に合わせて言えば)婆娑羅である、(だが、少しばかり)千利休でもある(笑い)わけだが、(話を本線に戻すと・・・・)


こういう「よい偶然」というのは、仕事をしている人なら(おそらく)誰もが体験し、(そう、体験的に)知っていることだろう。
わたしの知り合いの映画監督は、それを「デーモンがやって来た」というような言い方で言っているが、彼に倣ってそんな大袈裟な表現をするなら、わたしにはそれが「神の見えざる手」のなせる技のように思える。神の見えざる手が微細な細部をきちっと調整してくれて(より完璧な)(思わぬ)全体像を啓示してくれる。
盆栽のようにしてビートルズの歌の題で遊んだ三段返しに(何か大いなる者が)応えてくれたのだろうか?
だとしたら、それは「奉納」の一種だったのか、「祈り」の一形式だったのか?
できることをしていると、よいことがある。
だが、これはいささか性急にすぎるかもしれない、おそらく厳密には、展開はこうだろう・・・・

できることをしていれば、(その都度)しなければならないことが見えてくる、それを(きちんと)やっていくことで(いつしか次第に)(思いもしなかった細部や全体が)見えてくる、そのより大いな展開が力となって意識され、感覚が研ぎ澄まされてくる。
(おそらく「ボールが止まって見える」とか「相手の動きがスローモーションで見えてくる」といった知覚状態がそれだろう。)

いま、思わず、「知覚」といったが、知覚の及ぶ範囲が「近く」であるのかもしれない。
先ほどリニアな時間の流れの話をしていたが、(こうしてつい先ほどの話を「いま/ここ」ですると(笑い))、リニアな時間の「昨日/今日/明日」はより広義にまた一般的には「過去/現在/未来」というかたちでそれぞれに(またセットでも)概念化されて言われる。
この「現在」を「知覚」の領域とし、「過去」を「記憶」の領域としたとき、「未来」は「空想」の領域、「想像」の領域、(もう少し狭く限って)「予想」「予測」の領域とすることができるだろう。
しかし、それではあまりに主観的にすぎるかもしれない。
「過去/現在/未来」のある種の客観性がきれいさっぱり捨象されてしまうから・・・。
ま、とくに必要ないですしネwink)問題は、それぞれが(個々の「私」の)身体、意識、感覚をすべての方位へ(呼応力=responsibility=責任)を持って解き放ち、それぞれが(個々の「私」の)現実を(想像し)創造することなのだから。
そのとき、客観性は「神」の領域になるだろう。

そして、わたしが「想像の領域」と呼ぼうとした「未来」は、けっしてこれまでの「過去」(かつての「現在」たち)なしにはありえず、これまでの過去から自由にはありえない。つまり、ある程度のデータが集積されて、その想像は「予測」や「予想」となるわけだ。これを少々飛躍した表現で言うならば、それは「化石」の領域となるだろうか。「未来」とは実は化石のようにして「現在」に埋まっており、(いつか未来のある時点において)掘り起こされ、発見されることで初めて「現=在」することになる。あるいは、もっと前向き上向きに「種子」の領域とでも呼んだ方がいいかもしれない。発芽し、根を張る「種子」である。種子も化石も、どちらも土の中、地下、地面の下のものだが、これはわたしたち個々の物理的=低次の形而下的実在の未来が「死」というものを逃れえないことを如実に反映した(土の下に向かう)正しい意識の方向づけにもとづく思考過程の産物だとでも(冗談めいたことを)言えようか。実際、わたしたちの多くは生きながらも日々に埋没し、社会的にはいわば錯綜した地下茎となっていまのこのマッスな大量消費大衆情報民主社会を縦横無尽に網羅して、現代社会というひとつの巨大でいまだ未知なる力のある意識体を形成していることにも対応している。
そして、いずれにせよ、(化石も種子も(地下の神経組織のような)地下茎も)それは想像や空想によって、ある程度は予知されているものとなって(ことあるごとにその都度)「現在」に立ち現れてくることだろう。



えーと、何の話をしていたのかというと・・・・
結局のところ、「ツキ」の話をしていたのだ。ギャンブラーたちが言う(いわゆる)「ツキ」、「運」である、よい運、幸運、good luck!


そして、おそらく、この「ツキ」の1/10 ほどは(やはり)日々の「昨日/今日/明日」から形作られていることだろう。



ということで、
この「Something Celebration Is Goin’ On」も、
きょうから(太陽の周り)第2ラウンドの開始です・


きょうから新企画として、毎日のエントリーに【A Year Ago-Go】というリンクを設けて、公開作業場という発想ににふさわしく、毎日、1年まえの作業を読み返し、手直しやシェイプアップ、その他を書き加えていこうかと思っています。(楽曲のデータの充実も心がけたいのですが、そこまでできるかどうかなァ?)




まずは、はじまりの日へ、ア・イヤー・ア・ゴー・ゴー!





【A Year Ago−Go!】




(1年まえのエントリーを playback♪)




・「ブルー・スウェード・シューズ」 (カール・パーキンズ)(エルヴィス・プレスリー

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20041205




※これまでここで紹介したビートルズによるスピリチュアルな歌


・「アクロス・ザ・ユニヴァース」 Across The Universe
・「ウィズイン・ユウ、ウィザウト・ユウ」 Within You, Without You
(2曲同日で)
http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050107

また、マントラ真言)として、、、wink

・「オブラディ・オブラダ」2005-01-01 Ob-la-di, Ob-la-da
http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050101